雪解けのゼルトリンゲン ー 3
「いや、悪い。これだけじゃ自己紹介にならないよな」
調子が狂う、そう思いながら愛想笑いを浮かべる。目の前にいるのは昔、青春を共に過ごした友人たちの娘だ。その事実に思っていたよりも緊張しているのかもしれない。実際の所、国へと帰るつもりもなければ会う予定もなかった。
それがこんな事になって顔を合わせる事になったのだから……俺も、覚悟は出来てなかったのだろう。
「カシウスさんはお父様とお母様の親友で……若い頃はともに青春を過ごしたと聞いています」
エヴァの言葉に頷く。
「ああ……俺は公爵家の人間だったが、わけあって騎士として身を立てる事になった。中央に送られることになってな、それからセオとの付き合いが始まった。幸い才能があったから俺は早めに騎士になれたし、そこから近衛へと上がるのもそう難しいものじゃなかった」
「10で騎士になり、12で近衛騎士へと至るのは並大抵の才能ではないと思うのですけれど……」
「なんだ、結構俺の事を聞いてるのか」
セオドリクとエリスは一体俺の事をどれだけこの娘に語ったのだろうか? 正直俺を罵倒するか呪うかしているものだと思っていたのだが、エヴァの様子を見る限りそういう類の感情は読み取れない。エヴァが思ったよりも俺に対してガードが緩いのは親から聞かされた話が理由か。
信用させる為の手間が省けるのは良い事だ。正直言葉を使って信用させろと言われると困った話になる。この15年間、根無し草の無頼漢として過ごしてきてすっかり王侯貴族の相手なんてしてこなかった。いきなり話題を合わせたり心を掴めと言われても困る所だった。
『控えめに言って12で近衛になるのは化け物の所業なんだけどね。そんな化け物の事を簡単に忘れられる訳がないでしょ。近衛のデュークはアンタに戻ってきて欲しいってぼやいてたわよ』
「あー、隊長には悪い事したなとは思ってるよ。まあ、俺が国に戻る事はもうないだろうけど」
「ないの、ですか」
エヴァの言葉にそうだなぁ、と声を零す。アストリアには青春の記憶や思い出も多く眠っている。だがそれは決して戻る理由にはならない。いや、国を捨てる事にした原因そのものはもう問題が解決した、してしまった。だからと言って今更国へと戻ろうという意思がないだけだ。
「根無し草の生活がすっかりと馴染んでしまってな。もう騎士としての生き方は忘れたよ」
『……』
「そう、ですか。お父様たちが語ったカシウスさんがこの後も傍に居てくれればとても助かったのですが……」
「お、もう国に帰った後の考えか? 気が早いなぁ。ま、そのぐらい前向きな方が良いな」
けらけらと笑い、わざと明るく振る舞う。見ている感じ、思っていたよりもエヴァの精神力は強く、そこまで沈んでいるようには見えない。彼女の性質が気丈なのか、それとも取り繕うのが平気なのか。どちらにしろ、その細かい心の機微を読めるほど俺は器用じゃない。
そんな心の機微が読めるならちゃんと公爵家を弟に任せず俺が継いでただろう。まあ、未熟だ。他の誰でもない、俺の未熟だ。そして昔から成長しない部分でもある。それに引き換え、セオドリクはそこら辺の機微を読むのが凄く上手だった。
「思ったほど自己紹介の必要はなさそうだったな。レノアの事は知ってるん……だよな?」
「はい、レノア様には幼い頃に魔術の手ほどきを少々」
テーブルの上で小鳥が胸を張る。
『当時は宮廷魔術師だったからね! その後権力争いが嫌になって宮廷を出て行って以来顔を合わせてないんだけどね』
「あの頃は丁寧に教えていただきありがとうございます……このように苦境に立たされた身を助けていただける事、なんて言葉にすれば……」
『止めて止めて。別に王家への忠誠とかそういうもんで動いてる訳じゃないから、私も』
私も、その言葉はつまり俺も含める。そして当然、俺も別段王家のへの忠誠心がある訳ではない。人生の半分を過ごした王国が恋しいとかいう感情は今更ないし、忠誠心も既に抜け落ちた。残されたのは後悔と、申し訳なさぐらいだろう。
それでも俺達がこうやって王国に先んじてエヴァを救い出したのは、過去に対する義理と未練があったからだ。あの頃の後悔と、死んでしまった友人たちの為に出来る事がこのぐらいしかないから。だからこそ、こうやって無理筋を通しに来ている。
「しかしこれで自己紹介は不要になったな。もっと建設的な話が出来る」
「……」
エヴァはもっと俺について話しを聞きたいという顔をしているが、それを無視する。正直、人に対して誇れるような過去はないと思っている。これ以上この話を続けた所で俺がダメージを受けるだけだ。強引に話を切り替える為にもマジックバッグから地図を取り出し、小鳥を退けて地図を広げる。
ベッドに座っていたエヴァが立ち上がり、近寄って来る。
「さて、この旅でも最も大事な事の一つ、どうやってこの帝国領を抜けるかって話を簡単にする……意識の方は大丈夫か?」
「大丈夫です」
「良し、じゃあ説明するぞ」
広げた地図は雑貨店で販売されている簡易的なものではなく、その道のプロフェッショナルから購入した詳細な地図だ。お蔭で最近の気候の影響などで変化した地形などもマーキングされている。安くはない買い物だったが、必要なものの一つだ。
「まず帝国の北西の端、北海に通じるこの港がポートセルマで……この古城がお前の軟禁されてた場所だ」
地図で古城の場所を示し、そこからポートセルマを指差す。そこから近くの街道を指でなぞりながらゼルトリンゲンまでの道筋を示す。
「で、ここがゼルトリンゲンだ。一応ポートセルマから北海から南進すればアストリア近郊の海域にまで出る事は出来るが、正直海の上に出ると逃げ場がない上に港は間違いなく見張りがいる。この場合海の上で戦闘になる可能性が高いから陸路を選んだ、って訳だ……良いか?」
「はい、理解してます。カシウスさんとレノア様では海上での戦闘は不利、と……ですがこっちに来る時は海路を利用したのですよね?」
『海路? まあ、ギリギリ海路』
「海の上を通ったから海路だろ」
陸路では時間がかかりすぎる、空路は帝国が抑えている。必然的に障害のない海路を行くのが最も早い。だから金に言わせて大量の触媒を購入して、それでウンディーネを召喚、ウンディーネの数と質の暴力で海流を生みだしてそれで船を射出する。
考え得る限り最も早く救出に行くための手段だ。
吐き気で乗り手が死にかける事に目を瞑れば。
「俺達が今いるのはここ、ゼルトリンゲン。街道はちゃんと整備されていて、ここから街を五つ経由すれば帝都グランダイクに到着する」
街道は一度大きく東方面へと森を回避するように通ると、川を超える為の大橋を渡り、関所を超え、領地を幾つか抜ける。そのまま山の間を抜けるように街道が伸びて……そこからは比較的に安定した道になる。
「遠い、ですね……」
「南にあるリフティア氷樹海を回避する為だな」
ゼルトリンゲンの南にある氷樹海を指差す。広く、そして魔力の濃い樹海だ。
「ここは魔力が濃く、その影響で強い魔獣……モンスターの類が出現する。また季節的にも冬眠から目覚めて腹を空かせた獣の類も出没するからな、かなり危険な場所だ。魔力の性質が氷に寄っている影響で植生も変わっていて、季節に変わらず一年中雪と氷で溢れているそうだ」
この手の秘境を開拓するというのは実はかなり難しい。ここを真っすぐ南に街道を引く事が出来れば帝国としても新しい交易路の開拓にもなるのだろうが、その為には単純に開拓のための業者だけではなく、魔獣に対応する為の軍隊も動かす必要が出てくる。
魔力が濃いという事はそれだけ厳しい環境でもあるのだ。それこそ開拓には十数年かかる大事業となるだろう。少なくとも、アストリアと国境で睨み合っているうちは不可能だ。
「グランダイクでレノアの本体と合流予定になってる」
小鳥が胸を大きく張ってアピールするが、何をしたいのか軽く行方不明になってる感じがある。とはいえ、エヴァはそれを見て少し楽しそうにしている。
「だからまずはグランダイクを目指す事になる」
「すみません、今の状況で帝都へと向かうのは危なくありませんか?」
追手が帝都で待ち構えていないだろうか、という言葉がエヴァから出てくる。それを否定するように頭を振る。
「もしエヴァを誘拐した連中が皇帝の手の者なら今頃君はこんな辺境ではなく帝城でこれ以上なく快適な日々を過ごしてるだろう。だが残念ながらあのラディウス帝はこの手の“卑怯な手”を嫌う。君を誘拐したのは皇帝の手の者ではなく、恐らくは皇帝に反目する連中だろう」
成程、とエヴァは呟く。
「私を態々辺境に隠したのは皇帝に私を誘拐したという事実を露呈させない為ですか……そうなるとラディウス様はこのことを……?」
「どうだろ。ラディウス帝なら知っていて放置してるって線も十分ありうる。助けを求めたら助けてくれるとは思わない方が良いだろう」
国内の反抗勢力を叩くついでにアストリアに恩を売るぐらいの事は考えているんじゃないだろうか? そう考えるとあまり皇帝派に接触したくはないと思えるだろう。結局のところ、アストリアは国境を越えられないので動ける味方は俺とレノアの二人だけになる。
「話を戻すが、街道沿いに帝都へと向かうとなると関所を幾つか超える必要がある」
ここで懐から身分証代わりに使っている、冒険者のライセンスカードを見せる。
「見ての通り、金級冒険者のカードは身分証だけじゃなく旅券の代わりに使う事も出来る。金級もあれば身分をギルドが保証してくれるおかげで色んな国や領地を通る事が出来る訳だ」
『それ、悪用されない?』
「今してるだろ?」
ウィンクを送ると小鳥がオエー、と吐くようなジェスチャーを取る。そんなに酷かったか?
「まあ、金級の上は白金、そして聖銀級……ここまで来ると上澄みだし、個人の特定もそう難しくない。誰かが悪用してればそれを見つけ出して追放するのもそう難しくないって話だ。だからこれがあれば基本的に関所を超える事は難しくはないんだが」
言葉を区切って、帝都までの道をなぞる。
「単純に、遠い」
「このまま真っすぐ南下する事が出来れば半分ぐらいの距離で済ませられそうなんですけどね」
エヴァの言葉に頷いて応える。
そう、ゼルトリンゲンの南にある森が邪魔なのだ。これさえなければもっと早く帝都まで行けるのだ。ここを回避しようとすると他にも面倒な地形を回避せざるを得ず、そのせいで帝都までの距離が伸びてしまう。
「だから俺達はリフティアを抜ける」
「樹海抜け、ですか」
ゼルトリンゲン南部に広げ大樹海を指差し、叩く。広く広がる樹海の周囲には山脈が広がっており、中央を海から繋がる川が分断している。年中雪と氷に覆われたこの樹海を抜けるのはそう簡単な事ではないだろう。
だが単純計算で帝都までの道筋を半分にまで減らせる。
「ここを通る理由はもう一つあって、古城では何頭かの飛竜がいたな? 全部始末しておいたが、アレが最後だとも思わない。追手が飛竜を使って空から探索してきた場合、街道を通っていると簡単に見つかってしまう問題がある」
それに引き換え、樹海の中であれば隠れる所が豊富にある。追手が来るにしても撒けるし、見つかる可能性も低くなる。レノアと合流さえすれば取れる手段も増えてくる。その頃になれば国境まで逃げ切るのは難しくないだろう。
「だからリフティアを突っ切る。リフティアを抜ければヴォルグラードという都市に出る。ここから帝都までは直ぐだ。馬車か馬をここで調達して帝都に寄ってレノアと合流する……その後のプランは一応あるが、状況によってある程度変えていくから今は良いだろう」
『基本的に最初は私との合流を目指す訳ってね。まあ、この使い魔越しじゃあ出来る事もそう多くはないし、私の本体が合流するのに越したことはないのよ』
「成、程」
しばらく地図を眺めるように睨むと、エヴァは頷いて返答する。見た感じ、此方の脱出プランには文句はない様子だ。
「無論、樹海を抜ける以上そこそこの危険はある。が、そこら辺は俺に任せてくれ……こういう秘境や魔境の類はこの15年間で死ぬほど探索してきた。そこら辺の探索に関しては俺はプロフェッショナルだ」
ちょんちょん、と小鳥が跳ねて此方へと向く。
『そういやアンタ、この15年間どこで何してた訳?』
「まあ……色々だよ、色々。大体はこの大陸を出て冒険してたよ。西へ東へ、まだ見ぬ秘境や遺跡の類に潜ったり。賞金首って言われる強力な魔獣を討伐して腕試ししたり。それなりに充実した15年間だったよ」
『ほーん……』
俺の言動に興味を失ったのか小鳥は視線を逸らすと地図を眺める。エヴァも再び地図を眺め、樹海から帝都までの道のりを確認しているようだった。
「そういう訳で、だ。明日はお前の着替えの類を買いに行く。今のその格好だと到底歩けるもんじゃないからな」
「あっ……そ、そうですね」
恥ずかしそうにマントをぎゅ、っと身を包む様に隠そうとするエヴァは誘拐当時のドレス姿のままだ。だがそれも裾が切れて、汚れ始めている。これから通る環境の事を考えると流石にこの恰好のままではいられない……靴だってヒールのままだ。
他人に見られる事も考えて、装いを用意する必要がある。
「まあ、後で何か着替えを調達してくる。明日まではそれで我慢してくれ」
「その……ご迷惑、かけます……」
消え入るような声で恥ずかしそうにエヴァが呟くのを聞いて、小鳥をと顔を合わせて軽く笑い声を零す。とりあえず、王国の姫との関係はそう悪くはなさそうに思える。その腹の底で本当は何を考えているのかはまだ解らないが……少なくとも、俺に怯える様な様子はない。
このまま、順調に進めば良いのだが。
自分でそう思いながら、絶対にそうはならないという確信があった。
長年アストリアと争ってきたこの国が、王国の姫を拉致しておいて何もせずに逃がしてしまう等まずありえないだろう。本当の勝負は、相手が今の状況に気づいてからだ。
それまでに出来る事は全部やろう。
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