放浪の果て、極夜の明けを見る
@Tenzou_Dogeza
雪解けのゼルトリンゲン
「君にとってはまあ……あまり愉快な事実ではないかもしれないが、この季節の帝国は非常に旅のしやすく、そして楽しい季節だと思ってる」
「そう、なのですか?」
『へぇ、アンタこっちも旅をしたんだ』
まだ溶けきっていない雪が街道の横には見える。芽吹く緑は春の色を見せ、そこには日差しを浴びて力強く育つ花々も見える。半溶けの雪の中から顔を出す花は生命力に溢れており長く、苦しい冬を超えて咲き誇る瞬間を今に今にと待ち構えていた。
そんな溶けた雪でややぬかるんでいる街道の先頭を歩む。着古した旅装には術師によるエンチャントが施されており、まだ残る寒さを感じる空気が漂ってる中でしっかりと体を暖かく守ってくれる。ぬかるんだ足元に気を使いながらまだマシな道を歩いて教える。
そんな自分の背を追う様に歩くのは黒いマントに身を包んだ少女の姿だ。姿を覆い隠すように被っているマントは元は彼女のものではなく、自分のものだ。その為大きすぎるマントの裾はギリギリ大地に届きそうで、そうならないように少女が時折マントを引っ張り上げて気を使っているのが見えた。
そんな不格好な装いでありながら、被っているフードの隙間から僅かに零れる銀髪は彼女の高貴さを表すような美しい色をしていた。姿を覆い隠しても、彼女が生来から持ち合わせる気高さ、美しさ、貴さは一切隠しきれていなかった。
その姿を見て、早めに何とかしないとならないな、と言葉なくぼやく。
『正直、敵国ってイメージのが強いからあんまり良い印象はないんだけど』
そう零すのは少女の横を飛ぶ赤い小鳥だ。長い尾羽を風の中でゆらりと揺らしながら、少女に寄り添うように飛んでいる。その姿を視界の端に留める。
「偏見は良くないぞレノア。確かに帝国はアストリアと年中バチバチにドンパチしてるが、アレは結局皇帝が未だに野心を忘れられていないだけで、市民レベルの話になると戦争は勘弁して欲しいって意見の方が大きいぞ」
『興味があるのは上ばかり、って奴ね』
「上というかほぼ皇帝が、だな。ラディウス帝は未だに野心を隠してないからなぁ……軍部もラディウス帝を支持してるせいで抑えが利かないし。もう既に60過ぎて70近い筈なのによくもまあ、やるもんだよ」
そこでおっと、と声を零した。本題から脱線してしまった。軍事と政治の話を若い娘にしてもそんな面白くはないだろう。
「つまらない話をしたな。えーと、つまりは、だ……この季節の帝国は旅行するには丁度良い頃だって言いたいんだ。もう感じてるかもしれないがアストリアの北に位置するダリウス帝国は冬が寒く、そして雪も深く積もる。その影響で雪解けが少し遅く、春遅くまで雪が残る」
まだ街道に残る雪の塊を踏み潰す。
「だからこんな風にまだそこらに雪が残っていてな。溶けた雪の影響でそこらにぬかるみもある。そういう意味じゃ少し歩き辛さもあるんだが……そこら辺は大丈夫か?」
少女向けて言葉を放つと、マントのフードから見上げる少女が頭を軽く振った。
「いえ、はい……レノア様の魔術のおかげでなんとか普通に歩けています」
マントの下に隠れているが、少女が今履いているのは旅用のブーツ等ではなく、ハイヒールだ。とてもじゃないがこういう環境で歩くのに適したものではない。
「そうか、なら良いんだが……あー、それでなんだっけ……あぁ、そうだ。帝国の季節の話だったな。今の季節、雪が残って少しだけ空気が冷えるんだが、それを打ち消す日差しの暖かさがあってな、ちょっとした涼しさの中に春を感じる事が出来るんだ」
この世さが解るかなぁ、と呟く。
「この冬から春へと変わる空気の感じ。澄んでいるけど過ごしやすい感じ、俺はコレが好きなんだ。これ以上春に踏み込むと本格的に暖かくなってきて日差しの心地よさに眠くなっちまうが……まだ冬の欠片が残るこれぐらいが丁度良く意識がシャキっとするんだ」
アストリア王国よりも少し長めの初春、それが嫌いじゃない。この寒さと暖かさの混ざった感じは、帝国じゃないと味わえない季節の味だ。
「それに街道の脇に咲いてる花が見えるか? あれは竜鱗花と言って、花弁が竜の鱗の様な形状をしている事から取られた花なんだ。春が近づくと雪の中で咲いて、そして完全な春が来る前に咲き誇り、散る。一年の間で僅かな時間しか咲かないが、力強く雪の下で咲いて春を迎える姿は帝国……ダリウス人からすれば彼らを象徴する花だという話だ」
言葉に少女は僅かに目を輝かせながら街道脇の花に目を向ける。どことなく疲労の見える表情を見せているが、今はまだ周りの景色を楽しむだけの余裕があるらしい。見た目以上に気丈な娘だ。
とはいえ、ここまでの状況を考えると限界は近いだろう。街に突いたら早めに宿を取る必要がある。
街道わきに咲く花を眺めながら少女が声を作る。
「カシウス様は……とても博識なのですね」
思わず背筋にぞわっとした感覚が走る。
「様、は止めてくれ。出来たらさん付けも止めて欲しい。怖気が走る」
『そうそう、こいつなんてカシウスとか、おじさんで充分よ』
「そう言ったらお前も俺と同い年なんだからもう十分おばさんって言える歳だろ……痛い、痛い痛い、突くな、突くなこの」
『デリカシー!!』
キレた小鳥の主が使い魔を通して頭を突いてくる。絶妙にダメージが通りそうなところを狙って突いてくるところが憎い。痛い、と声を零しながら払うように手を振るが、的確に避けて突いてくる。しばらく鬱陶し気に小鳥を払っていると、くすりという笑い声が聞こえた。
「カシウス……さんは博識ですけど、こういう事はどうやって?」
「知るか、って? まあ、そんな難しい事じゃあないよ」
足を止め、花を眺める少女を見ながら答える。
「そう難しい話でもないよ。こういうどうでも良い知識は結局のところ、そこら辺の人が知ってるような事だから、図書館に行くわけでもなく雑談に耳を傾ければ自然とこの手の知識は増える」
酒場で酔っ払いの与太に耳を傾けたり、詩人の歌に聴き入ったり、或いは朝食の最中に宿の主人と軽く世間話に興じたり。そういうことでこういう無駄な知識はどんどん増えるし、使いどころは欠片もない。
だから君のように、と言葉を区切る。
「どうやって国を良くするのか。どうすればもっと民が富むのか。政治や経済、礼儀作法、そういう事に関してはさっぱり理解出来ないし、出来る気もしない。君が普段から学んでる習い事の方がはるかに有用だ。こんな余計な知識を増やすよりは有意義だよ」
それに、と言葉が続く。
「まあ、知識があった所で使えなければ意味はない……な、レノア」
俺の言葉に使い魔が胸を張る。
『何で私が宮廷を追い出されたと思う? 権力闘争に欠片も興味がなかったからよ……! はあ、カスばっか。宮廷のカス魔術師はみーんな権力と金ばかりで本文を忘れたカスばかりよ。もう頼まれても戻るかあんな所。めんどくささの極みにあるわ』
「自信満々に言う事じゃないだろそれ……」
思わず呆れの溜息を零すが、それに気にすることなくレノアは使い魔の向こう側で呪詛を吐き続ける。昔、国を出て行く前はあんなにも宮廷魔術師になる事を夢見て努力していたのに……人間、変われば変わるもんだというのを実感させられる。
「ふふ、お二人は仲良しなんです―――あ」
楽しそうに俺と小鳥を見て笑っていた少女の動きが止まり、後ろを振り返る。かたん、かたん、と街道の凹凸に揺れながら馬車がやってくる。それを目撃してからの少女の動きは早く、俺を壁にする様に外側に立つと深く、フードを被り直した。
そうするとゆっくりと馬車がやってきて、横に並ぶと速度を落として止まった。手綱を握る男は帽子を軽く脱いで挨拶する。その首元には商神の聖印が吊り下げられているから恐らくは商人である事が解る。
恐らくは雪解けに合わせて商いに来たのだろう。挨拶をする相手に合わせて此方も軽く手を振る。
「そこの旅人さん。ゼルトリンゲンまでこの道で合ってるかな?」
「あぁ、目の前の丘を超えればもうすぐだよ」
正面に見える丘を指差すと、商人は成程、と頷いた。
「あぁ、なんだもうそんな所まで来てたのか……ここらは初めてだから不安だったけど間違っていなくて良かったよ。ついでだ、君たちを街まで運ぼうかい?」
丁寧な物腰の商人の提案にありがたさを覚えるが、服の裾をぎゅっと握られた感触に苦笑を零す。
「申し訳ないけど、見た通り娘は人見知りが激しくてね……もうそんな距離もないし、歩く事にするよ」
「ははは、そうでしたか。それでは縁があればゼルトリンゲンで」
そう告げて馬車は元の速度を取り戻し、先へと進んで行く。やがて丘の向こう側へと消えた姿を見送ってからカシウスを掴んでいた手をゆっくりと少女は振りほどき、フードの位置を調整するように被り直した。
「……すみませんでした」
申し訳なさを滲ませる言動に頭を横に振った。
「いや、敵国を歩いているんだ……神経質になるのもしょうがない」
そう、本質を忘れてはならない。ここには決して観光出来ているのではない。旅行気分で歩いていて良い場所でもない。ここは敵国だ、敵陣の真っただ中にいる。例え本格的な開戦に至っていない状態であっても。潜在的な脅威に一切の代わりはない。
この少女は今、最も危ない状況にある。彼女は敵に囲まれている状態にあり、一歩間違えればそのまま二国間で大規模な戦争へと発展する……ここまでの数十年間、回避されている戦争が本当に始まってしまうのだ。だから少女の不安や警戒は決して間違ってはいない。
「ただ少し、警戒しすぎだな」
「警戒しすぎ、ですか」
「そうだ。警戒している人間はどうしても態度や言動に脅えが見え隠れするもんだ。そういう奴は見ればすぐにわかる。特に商人や兵士ってのはそういうのを見抜くプロフェッショナルだ。隠れようとする、隠そうとする、そういう態度は何かを隠しているという事を逆に証明しているようなものだ」
「うっ……き、気を付けます」
そういうと少女は少し背筋を伸ばし、隠れるようにしていた身を街道側へと戻して歩き出す。その横を、しっかりと守るように歩く。跳ぶのに疲れたのか小鳥は肩の上へと降りて来る。
「必要以上に臆病な態度を見せなければどうと言う事はない。理想的なのはフードも被らない事なんだけど……まあ、君の髪色は目立つし、そのままでもいいかもしれない」
フードの端から零れる少女の銀髪を見る。彼女の母親とそっくりの銀髪を。その色を見ているとどうしても彼女の事を思い出してしまい―――要らぬ、感情が湧き上がってくる。だが同時にどうしようもない郷愁と後悔が一緒に胸を焼く。それを振り払うように前に視線を向け、丘へと向かって歩く。
「堂々と……臆病にならずに……」
『うーん、それは堂々としすぎじゃない? 何というか、大貴族特有の覇気みたいなものまで見えちゃってるし。そうそう、適度に肩の力を抜いて、自然体で良いのよ、自然体で。ここでは難しいかもしれないけど』
宮廷作法を叩き込まれている身にはそれを崩せ、と言われるのは少々難しいのかもしれない。生まれてからずっと、人の前に立ち、ひとのうえに立つ事を教わっていた少女は自然と人の目を惹き、魅了するように育てられてきた。
それを今、この旅の間は全て捨てる必要がある。
これまでの常識を捨てなければ、国境まで辿り着く事は出来ない。
「ふぅ、見えてきたな」
丘の頂点まで登るとここら一帯を見渡す事が出来る。眼下には更に続く街道、そしてその先にある地方の街の姿が見える。流石にそこまで大きな街ではないものの、城壁に囲まれた姿は活気に満ちているのが遠くからでも解る。街の上では色のついた煙が上がっている。
「火事……ではないんですよね?」
「たぶん迎春祭じゃないか? 帝国には冬を超えた歓びを分かち合う祭があった筈だ。冬の間の残った備蓄を放出し、それを分け合いながら村や街を巻き込んでの祭……もうそろそろダメになりそうなものを処分するついでの、って奴だな」
「帝国の文化はアストリアとはかくも違うものなんですね」
少女の零す言葉に頷いて返答する。帝国の形はアストリア王国から大きく変わる。
「昔からダリウス帝国の冬は辛く、苦しく、暗いものだった。だから国家としてもどうやって冬を超えるか、という事に多くの労力と知恵を割いた。今では当然のものとして受け入れている飛竜を使った輸送は現皇帝ラディウスが若い頃に打ち出した政策の一つでこの国の食糧事情を大きく改善した一手だ」
「昔は違っていたんですか?」
「竜は高貴な種としてこの国は崇められている。だから足のように使う事は認められなかった。ドラゴンライダーや竜騎士たちも主に貴族たちにしかなれないものだった。それを改善、改定したのがラディウス帝だ。帝国の大英雄として帝国臣民には慕われ、愛されてるよ」
これでアストリアと年中バチバチやり合ってなければ手放しに誉められたんだけどな、と言うと少女がくすりと笑った。
『こっちから見たクソボケも、相手からしたら大江裕なんだから嫌になっちゃうわよねー』
アストリア側からすればずっと頭を悩ませている相手だ。まだ全面戦争に移行していないだけであって、やる気はどちらの国にもある。既に火薬の前に火種は運ばれている、そしてこの少女はその足りないピースを満たしてしまう。
そうなる前に、国へと届けないとならない。
とはいえ、準備は必要だ。歩き出し、活気に満ちるゼルトリンゲンへと向かって再び歩き出す。この調子なら昼前には到着し、宿を取ってから昼食を楽しめるだろう。今なら祭りもあるから少し豪華なものが食べられるかもしれない。そんな事を考えると少し腹が空いてくる。
「ま、折角迎春祭真っただ中なんだ、少しは楽しむ時間もあるだろう」
「え? いえ、その、カシウスさん? 急いで国へ戻らないと……」
「どうせ本格的な旅の為に幾つか揃えないといけないものもあるし、君の体調も整えないとならない。二日三日ほどは逗留する予定だからそう焦らなくても良い。追手も見える範囲では全て潰してきた。君が逃げたという話はしばらくの間は漏れないから安心して良い」
振り返り、歩んできた道を見る。もうここからでは少女が監禁されていた古城は見えない。アレはもう、夜の闇の向こう側にある。実行犯は恐らく全員殺せた、連絡がない事に気づき、実際の確認が行われるまでは数日かかる筈だ。その間に準備を整えて距離を稼ぐ。
そこからはどうすれば見つからないか、トラブルを回避できるかを考えながら国境までのルートを引く。
「……」
それでも不安そうに振り返って来た道に視線を送る少女に対して、軽く深呼吸をしてから声を作った。
「―――エヴァンジェリカ・セルマ・アストリカ王女殿下」
「っ、はい」
呼ばれた名に、少女の、エヴァンジェリカの視線が此方へと向けられる。
「恐らく、貴女は完全な信用を私に向ける事は出来ないでしょう」
「いえ、それはっ!」
「良いんです、そもそも貴女にとって私は今まで会った事も、話した事もない完全な他人です……そんなぽっと出の男を信用しろと言う事の方が難しいでしょう」
エヴァンジェリカ王女殿下。アストリア王国の姫。国王と正妃の間に生まれた一人娘。アストリア王国の継承権を保有する王族の一人。
「ですが……」
だけど、この少女を救おうとする思いは、気持ちは、願いは。
「私が貴女を救いたいという事実は本物です。安心してください、私がいる限り、この地の脅威は何一つとして貴女の身を穢す事は出来ません。もはや名誉を残さぬ元騎士ですが……それでも残された僅かな矜持で誓います。貴女を必ずや、国へと帰す事を」
心の底から感情を言葉に乗せて、真剣に少女を見下ろす。その視線を見上げるように受け止めた少女の瞳は自分が思っていたよりも遥かに強く見えた。
「カシウス……さん、謝らないでください。私は別に貴方を疑っているという訳ではないのです。ただ……」
ただ、と少女が言葉を一度区切り、それから少しだけ困ったような表情を浮かべ、それから再び此方を見上げてきた。
「ただ……いえ、なんでもありません。申し訳ありません、カシウスさんは私を窮地から救い出してくれたのです。貴方を疑う事はありません、どうか楽に、そして必要な事をなさってください」
真っすぐと向けられた言葉とその表情から視線を逸らし、良しと声を零す。
「じゃあ行こうか……この国を抜ける為に、まずはあの街で準備を整えよう」
それまで黙っていた小鳥が軽く鳴き、歩き出すのに合わせて飛び始める。二人と一羽で正面に見える街へと向かいながら歩みだす―――この長い道のりを。
これは二日や三日で終わる様な短い旅路じゃない。
ほぼ大陸の反対側、帝国の辺境から国境を越えて王国まで向かう、帝国を横断する旅路。
待ち受ける追手、自然の猛威、魔獣の類を退け、旅に成れていない一人の王女をその家へと帰す為の旅路だ。それこそ数週間、数か月かかる旅路。
それでもこの旅は必ず、完遂しなければならない。
この少女が、エヴァンジェリカがアストリアの王女だからではなく、この娘が二人の友人が残した唯一の子だから。国を捨て去り、放浪の旅路に出た果てで残された罪の清算を行う為にも……この娘を必ず無事に国へと帰さなくてはならない。
それでこそ漸く、俺はこの罪を償うことが出来る。
―――長くも短い、旅路が始まった。
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