惑い返すリフティア ー 5

 一般的に魔術師とは魔術を使う者を意味する。


 かなり意味の範囲が広く思えるが、魔術そのものはある程度の教養がないと使う事が出来ない。その為魔術師とは教養のある、魔術の言語を理解できる人間を差す言葉だ。そして基本的にこの手の人間は社会的な地位や、或いは魔術の真理を追究する。


 その為冒険者などで魔術師を見かける事は稀だ。それだけの能力があるなら幾らでも仕事を探す事が出来るからだ。魔術を使用できる、それだけで多くの選択肢を得られる。魔術の素養、資質とはそれだけで人生における勝者になれるものだ。


 それでも異端と呼ばれる者達はフィールドワークに出る為に研究室を出る。遺跡や文献に隠された古い魔術の痕跡を探す為に旅に出る。その為に外へと出る魔術師というものも見かける事は出来る。それでもこれは全体で言えば三割程度になるだろう。


『ドルイドやシャーマンはそれで言えば異端の中の異端よ。真理を求める訳でもなく、地位を求める訳でもなく、名誉を求める訳でもなく、力の為でもない―――彼らにあるのは信仰よ。魔術でありながらその在り方は教会の神秘を扱う僧侶たちに近いわ』


「つまり言葉は通じないって事だな」


 咆哮。


 雄たけびと共に熊が数頭一気に迫ってくる。ドルイド達が使う変身魔術は自分たちの肉体を森羅の生物に変える魔術だ。その重量、膂力、そして思考までがその生物に近くなる。元々ドルイド達は自分のテリトリーに踏み込んできた侵入者には厳しい。


 考え方までが熊や狼に侵食されている今、言葉が通じる筈もない。


 魔術によって背で浮かぶクレイモアの内、一本に手をかける。


『殺しちゃダメだからね!?』


「解ってる」


 解ってる―――だから迫ってくる熊の顔面に剣の腹を叩きつけた。剣越しに通す衝撃が顔面を砕く感触を伝え、そのまま振り抜いて熊を森の中へと吹き飛ばす。衝撃が雪を散らし、木々を揺らす。それに怯える事無く後続の熊や狼が迫ってくる。


『今の死んだ! 絶対に逝った!』


「死んでない! 逝ってない! 手加減しなきゃ頭をふっ飛ばしてる!」


 素早く二連撃。そこから分離した打撃が四つに分割されてそれぞれ狼を打ち据える。飛び掛かる姿が吹き飛ぶよりも早く雪の大地を蹴って狼の合間を抜けて瞬発する。足元の雪が爆発して後方へと煙幕のように広がり、視界を遮る。


 その中を抜けて獣たちが追いかけて来る。


「鼻か……臭い消し使ってないし追いやすいか」


「え、私そんなに臭いますか……? カシウスさん、どうですか?」


 首からぶら下がるエヴァがそう言って確かめてこようとするの、気が散るので正直止めて欲しい。大丈夫、女の子は皆良い匂いする生き物だって解ってるから。そんな事よりもこいつらをどうやって撒くか、それが最も大事な事だ。


 振り返る事無く生命探知を行えば距離を保って追いかけて来る狼の気配を感じられる。大きく迂回しているのは熊だろうか? 空から感じられる気配は飛行動物のもの……恐らくは鷹か何かかもしれない。幻獣クラスの変身がない事だけが救いか。これなら振り切れる。


「問題はどっちへ逃げるか、だ」


 元々想定してたルートは完全に土着の連中のテリトリーとなっていて通れない。迂回路を選ぶ予定だったが、それも今無理矢理道を外された。なるべく頭の中で地図を広げて走っているが、正直全力で連中を撒く為に走っていて方角は見失いつつある。


 それでも全力で駆けて、連中を引き離さないとまずは話にならない。


 その為に雪を蹴って跳躍し、枝の上に着地したらそれを足場に跳躍を繰り返して移動する。


 足元をウロチョロする狼たちが上がって来れない高度に達すれば、それだけで追手は半減する。熊たちは昇ってくることは出来るが、流石に枝から枝へと高速で飛び移りながら移動する事は出来ない。


 これで逃亡出来れば楽なのだが。クレイモアを背に浮かべるように戻しながら思考した所で、安易な考えは捨てるようにと言わんばかりに何かが同じように正面、木々の上を移動するように迫ってくる。


 やや青白い肌、毛皮のマントを纏い、顔に獣の面を被った戦士。


「進む方向を間違えたか」


「え?」


 枝を蹴って正面から戦士が斧を振り上げてくる。魔力を体に漲らせているのを見ればどういう系統の戦士かは一瞬で解る。相手の斧が人間一人簡単に引きちぎる程の威力があるのを理解しつつ正面から相対する。


 素早く、命を砕く為に振るわれる斧を正面、素手で掴み、砕く。


「っ!?」


 驚愕の表情を浮かべる顔面を掴み、跳躍の合間に地面へと向けて叩き込む。足元で雪の爆発が起き、狼の群れがそれに巻き込まれる。多少の足止めになるだろうと思いつつ、期待を裏切るように周囲から殺到する戦士や獣の気配を感じ取る。その総数は既に二十を超えている。


「思ってたよりも数が多いな……集落が近いのか?」


『こんな浅い場所で? やっぱ奥で何かあって出て来たんじゃないかしら』


「あの、余裕ですねお二人とも!?」


 この程度の危機であればさほど騒ぐほどでもない。口にするほどのものでもないが。だが危機は抜けられる。それを証明するように体に力を込めて跳躍と移動のペースを引き上げる。一気に上がる風圧を無理矢理纏う闘気の鎧で真っ向から耐え抜く。


 そして殺到する戦士達を片手で対応する。


 拳、足、そしてエヴァのコートの内側から顔を出す小鳥が魔術で迎撃する。素早く跳躍の間に最小限の動作で攻撃を叩き込み、全ての相手を後ろへと向けて投げ捨てて行く。段々と寒さと運動によって余分な体力が削られて行く。址どれぐらい持つのかを頭の中で計算しつつ更に生命を燃焼させて身体能力へと加算、加速する。


 後ろから迫ってくる全てを振り切るように一気に体を前へと押し出す。


 獣の膂力でも追いきれないほどの速度を出し、視界の外へ獣たちの姿が消えて行く。左右から囲いこむ様に広がっていた気配達も置き去りにする。周囲に何も見えなくなり、それでも一直線に前へと向かって進んで行く。


 そのまましばらく、追手を完全に振り切る為に跳躍を繰り返しているとエヴァが後ろへと視線を向けた。


「振りきれた……のでしょうか?」


「どうだろうな。追おうと思えば追って来られるとは思うが。レノア?」


『完全に連中のテリトリー真っただ中って感じよ。嫌な方向に突き進んだわね』


 レノアの言葉に顔を顰めて枝の上で足を止める。周囲を見渡すが同じような景色ばかり続いていて具体的な位置を特定出来ない。一応来た方角は解るが、戻っても先ほど振り切った連中の相手をしなければいけないだけだ。その選択肢は選びたくない。


「何か便利な魔術はないのか? こういう時こそ万能な魔法の出番だろ?」


『うーん、土地と契約されてる感じだから魔術を使えばその瞬間場所を特定されちゃうからそれでも良いけど色々と出来るわよ?』


「あんまり取りたくない手段だな……よっと」


 枝の上から雪の上へと降りて、抱えていたエヴァを下ろす。まだまだ警戒を続ける必要があるもののとりあえず近くに敵の気配はない。抱えていたエヴァをゆっくりと下ろすと、エヴァが少しふらつくので片腕で彼女を支える。


「ありがとうございます……ちょっと慣れない速度だったので」


「それだけ速度を出してたからな。一応俺の闘気で反故してたが大丈夫か?」


「はい、この通り傷一つありません」


 腕を広げにっこりと笑うエヴァの姿に安心感を覚えつつ、辺りを見渡す。完全に予定されていない方向へと進んでしまった。或いは当初の予定通りの方へと進んでしまったのかもしれない。地図とコンパスを取り出して方角を確認する。


「先ほどまで大体ここら辺で……えーと、こっちが北で……クソ、真っすぐ南へと向かって移動してるんじゃねえかこれ」


『当初の予定通り?』


「つまり先ほどの方々の集落? の方ですよね」


「だな」


 当初の予定通りといえばそうなのだが、先ほどの連中がこの樹海のそんな浅い場所まで出てくるとは思いもしなかった。そう考えると部族全体がもっと浅いエリアまで移動してきてるのかもしれない。


「……そう考えればいっそこのまま真っすぐ進んだ方が良いかもな」


『浅い場所まで移住してるからもっと深い所には居ないって事?』


「ああ……勿論何で連中が浅い場所まで出て来てるか、って問題もあるが。まあ、物理的に解決できる問題であれば大体なんとかなるからな」


 振り返ってきた道を眺める。ここまでだいぶ飛ばして来た。稼いだ距離も本来なら半日ほどかけて移動するだけの距離だ。そう考えればだいぶ時間の短縮になったんじゃないかと思える。いや、そう思わないとやってられないというだけの話だ。


 腕を組んで考える。当初の予定通り進むか、それとも迂回路へと向かって移動するか。


「このまま進むと当初予定していた廃棄された集落があるんですよね?」


 エヴァの質問に頷く。


「あぁ、そうだ。本来ならそこを野営地にしてもっと奥へと進んで、中央を突っ切ってそのまま樹海を抜ける予定だった。これが一番早いルートだからな。だけど入り口で最近ここが危ないって話を聞いて迂回するかって考えてたんだが―――」


「なら中央を行きましょう」


 エヴァの言葉に、彼女に視線を向ける。それを受けてエヴァは力強く返す。


「カシウスさんが強いのは解りました。だから何があっても絶対に私を守り抜いてくれると、そう信じて命を預ける事にしました。だから行きましょう、最短ルートを」


 真っすぐ向けられる視線に、既知感を覚えた。そうだ、彼女も常に自分に対してこんな視線を向けていた気がする。知れば知る程彼女に似ている―――が、別人だ。


 視線を南へと向ける。本来予定されていたルート、今となっては最も危険かもしれない道を。


「君がそう言うなら行こう」


 少し、距離を開けるように言葉を放ってから奥へと向かって歩き出す。これが今取れる最善の選択肢だと信じて。追いかけて来るドルイド達がいない事を確認しながら更に樹海の奥へと踏み込む。


 そんな俺の姿を直ぐにエヴァが追いかけて来る。


「そう言えばカシウスさん、先ほどは凄い速度で私を運んでくれましたけど……アレで移動はしないのですか?」


「アレはそこそこ体力を食う。アレでずっと移動してても良いんだが、さっきみたいに不測の事態が怒った時に対処するだけの体力が残るかどうか……って話になるからな」


『闘術が生命力を燃焼して発揮する力よ。燃焼する生命力、体力が多ければ多い程力が出るけど、逆に使いすぎると使い物にならなくなるからね』


「西方大陸じゃ魔力を使った強化のが主流だけどな。俺にそっちの才能はなかった」


 騎士が使う聖剣技や魔法剣の類も結局は魔力を使う前提だ。俺みたいに魔力もその才能もなかった人間は別の手段を見出すしかない。そういう理由で俺は生命力を削る闘術に行きついた。とはいえこっちはこっちで体力の管理が面倒な部分がある。


 誰でも出来る分、破滅するのも簡単だ。


「俺も、決して無敵じゃない。一対一なら誰が相手でも絶対に負けない自信はある。が、この国にも強者の類は存在する。そういう連中と戦い続きになった場合は流石に俺でもキツイ」


 当然だがこの国にも抜きんでた強者は存在する。そしてそれが複数殺しに来るような状況になった場合、出来る限りを尽くすつもりではあるが、厳しい状況になるだろうと言わざるを得ない。それでも負けるつもりはないが。


「まあ、帝国が派手に強者を動かしてくる事はないだろうし、そこら辺の心配をする事はない……少なくとも動くとしても少数の竜騎士ぐらいだろう。相手がエルダードラゴンと契約してる様な化け物でもない限りはどうにでもなる」


 ざく、ざく、ざく。


 雪を踏みしめる音が静かな樹海に響く。時折気配を探り、振り返るがそこに追手の姿はない。どうやら本当に撒いたのか……或いは追ってくるのを止めたのか。彼らにとって樹海の中央付近はもしかして死地になっているのかもしれない。


「それは今回の件、首謀者が皇帝ラディウスではなく……この国の貴族が我が国の貴族と共謀した事だから、ですか」


 足を止めて言い放つエヴァを振り返って見る。その表情を見る限り、彼女はどうやらある程度犯人の目星がついているらしい。


「ラディウス帝はこういう手を好まない、でしたか」


「ああ。ラディウス帝はそもそも非戦派だ。自分からアストリアと開戦する様な事は避ける筈だ」


「ですが帝国内部には開戦したがっている層もいる」


 エヴァの言葉に頷き、再び樹海の奥へと視線を戻し、歩き出す。


「この話も長くなるだろう。続きは野営地にたどり着いてからだ」


 喋って無駄な体力を使わせない為にも話を切り上げて歩く。横に並ぶように駆け足で近づいてくるエヴァを確認しつつ、最後に一度だけ振り返る。視界の端でチラつく銀髪が他の誰にも見えていない事を祈りつつもっと樹海の奥へと踏み込んだ。

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