11.ミカエラとリヒト

 ファウスト公爵家の事件について、民衆が知らない事実が一点ある。それは、だということ。当時家にいた者で、生き残りは誰一人いない。父も母も使用人達も、リヒトさえも。全員が悪魔によって殺害された。

 ミカエラ一人が無事だったのは、彼女だけが被害を免れるよう手引きした存在がいたため。メフィストフェレス。人を深い絶望に陥れる、歪んだ欲から生じた悪魔。今までに様々な人間に取り憑いては他人の人生を掻き乱し、破滅に導いてきた。ファウスト家の事件も、彼にとっては戯れの一つに過ぎない。

 あの日、リヒトから準備して見せたいものがあるから、と告げられたミカエラは外出して暇を潰した。ちょうどその日はミカエラの18歳の誕生日だったのだ。きっとリヒトが主導して誕生日パーティーを開いてくれるに違いない。幼い弟が姉を喜ばせようと懸命に準備を進める姿を想像しながら足取り軽く帰宅した彼女を待っていたのは、夥しい惨劇の跡と、愕然とする彼女を嘲笑うリヒト――否、彼に取り憑いたメフィストフェレス。

「誕生日おめでとう、姉様。これがぼくからのプレゼントだよ――なんちゃって」

 頭から返り血を被ったリヒトが無邪気に微笑みながら告げる。直後、リヒトの肉体は四散した。粉々に弾け飛んだリヒトだったものは、両親達が盛りつけられた皿に更なる彩りを与えた。

「私からのプレゼントは喜んでいただけましたか、ミカエラ嬢! 申し遅れました、私はメフィスト、メフィストフェレス。以後お見知りおきを」

 メフィストフェレスの哄笑が響き渡る。ひとしきり嘲笑したメフィストは姿を消した。

 悲しみは湧かなかった。何故、どうして。違う。もっとどす黒く、醜い感情がミカエラの腹の奥底からどろどろと溢れ出し、悪魔として形を成していた。悪魔に報復を。復讐を。名づけるならばそれは、憤怒の悪魔。自らの復讐心からミカエラは悪魔を生み出し、それに取り憑かれた。

 悪魔憑きの中でも、その強靭な精神をもって魂を呑まれずに悪魔を使役する者を、憑き人ツキビトと呼ぶ。ミカエラは自らが生み出した悪魔に、弟の容姿を与えた。事件後のリヒトは、ミカエラに憑く憤怒の悪魔がリヒトの姿形と言動を模しているだけに過ぎない。もっとも、これから死ぬ運命にあるハンスが彼女達の事情を知る由もないが。

 ミカエラの望みは全ての悪魔の殲滅。そして、家族の仇であるメフィストフェレスへの復讐。そのために彼女は悪魔リヒトを連れて悪魔事件の現場に幾度も赴き、メフィストの形跡を追ってきた。此度の事件に関わったのもメフィストを探す一環であり、決して男共に懸想されるために姿を見せたのではない。

 リヒトが纏う焔はミカエラが抱える憤怒そのもの。高温の青い火がハンスに触れた途端、瞬く間に彼の全身を包み込む。悲鳴を上げてのたうち回るハンスを睥睨し、ミカエラは罪状を告げる裁判官の如く冷酷に訊ねた。

「ハンスさん。最後に一つ質問を。貴方はメフィストフェレスという悪魔に会いましたか?」

「し、知らないッ、そんな奴! それよりも、早く! 火を、火を消してくれ……ッ」

 身を焦がす炎に体中を焼かれながらもどうにか火を消そうと必死に足掻きながら喚く姿は、嘘を吐いているようには見えない。ミカエラは長い睫毛を伏せた。

「そうですか。では、もう貴方に用はありません。さようなら、罪深き人」

 救いを求めてハンスが伸ばした手は、想い焦がれた女に届くことはなく。醜くもがいた彼はみるみる黒い肉塊へと姿を変えてゆく。

 やがて全て燃え尽きた後には灰も、塵一つすら残らない。ハンスだったものの痕跡が消えた床を見下ろし、ミカエラは憂いの息を落とした。

「ああ、また手掛かりを得られなかった」

 仇を見つけるその時まで、彼女の心が安まることはない。

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