4.夜分のパトロール

 その日夜勤のハンスは領内の巡回に出掛けた。凶悪な悪魔は退治されたと報告を受けたが、人に危害を加えるのは何も悪魔だけではない。人が人を襲う事例も残念なことに後を絶たないのだ。そういった事件を取り締まるためにハンスら警官がいる。

 それに――南部の田舎で育ったハンスは、悪魔とやらの実物を目にしない限りはどうにもその存在が信じ難かった。今回の事件もファウスト公爵家の事件も確かに人の仕業とは思えないが、悪魔などではなく本当は獣に襲われただけではないか? イェーガーも教会の退魔師とはいうが、その実体は害獣を狩る狩人なのではないか?

「あれ、昼間の人? こんばんは」

 思考を巡らせながら夜の街並みを歩いていると、前から歩いてきたファウスト姉弟と出会した。

「ああ、どうもこんばんは――って、危ないですよ、こんな夜遅くにお二人だけで出歩いては」

「ご心配なく。すぐに戻りますから」

 ミカエラはやはり素っ気ないが、それも澄まし顔の仮面の下で感情を押し殺しているからに違いない。胸が締めつけられる思いがした。そのためだろう、差し出がましい提案を口にしたのは。

「よければお屋敷まで送りますよ」

「いいえ、結構です。家路まで慣れていますので」

 ミカエラは冷たく突き放すも、リヒトがその袖を引っ張った。

「いいじゃない姉様、せっかくだし厚意に甘えちゃおうよ」

 曇りない眼に見上げられて根負けしたのか、ミカエラは小さく頭を下げた。

「……リヒトがそう言うなら」

 道を知っている姉弟が灯りを手に前を歩き、ハンスは一歩控えて同行することにした。仮に暴漢に襲われても対処しやすい位置につき、常に周囲に目を光らせた。

 箱入り息子だからか、リヒトは道中、ハンスが生まれ育ったヴォルスト領の話をせがんだ。リヒトはよく喋る快活で利発な少年だった。何事もなければ、家を継いでいたのは姉ではなく彼だっただろう。全てを奪われた十歳そこらの少年が継ぐには世間は厳しい。ミカエラが爵位を継いだのはまだ幼い弟を守るためでもあったのだ。それでも彼は健気に笑っていた。

「あのね、姉様のこと、悪く思わないでね。色々ガマンして不機嫌なだけだから」

「リヒト。余計なことは言わないで」

「ぼくは解るんだ。だって姉様はぼくで、ぼくは姉様だから」

 彼らは急に二人きりで生きていかなければならなくなったのだ。互いに支え合って生きる様は、まさに一心同体と呼べるだろう。仲睦まじい姉弟の様子に思わず頬が弛む。

「あっ、着いたよ」

 暗がりでも判るほど、屋敷は立派に聳え立っていた。外観や庭に荒れた様子はなく、とても半年前に凄惨な事件があった現場とは思えない。

「ねえハンスさん、せっかくだからお茶でもどう? もっとお話し聞きたいな」

 リヒトの提案にハンスの心臓が跳ね上がる。抗い難い誘惑だが、屋敷に招かれた者が行方不明になっている、とマルコが言っていたことを思い出していた。頭から信じた訳ではないが、それでも夜分に事件現場となった屋敷に足を踏み入れることは躊躇われた。

「申し訳ありません、まだ領内の巡回が残っていますので……」

「そっか。なら仕方ないね」

 丁寧に辞退するハンスを、リヒトは無理に誘うことはしなかった。やはりただの噂だったのだろう。ハンスは安堵し、彼らと別れた。

「じゃあね、ありがとう! また会おうね」

 彼女達は雲の上の存在。敷地内から大きく手を振るリヒトに手を振り返しながら二度と関わることはないだろう、と思っていたのだが。

 新たな悪魔事件が発生したのは、それから二日後のことだった。

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