エピローグ
新宿ゴールデン街のバーたまゆらで長瀬と伊原、大友は事件のあと一週間ぶりに顔を合わせた。今度は伊原の職場復帰祝いだ。元いた天王寺南署に戻ることになる。姉の梨沙も他の信者とともに居室に軟禁されていたところを保護されたそうだ。
「天道聖媽会の関西支部にも捜査が入るってよ」
「あれだけの事件を起こしたら、どれだけ上が止めても市民が許さないですよ」
長瀬は伊原のジョッキにグラスをぶつける。キン、と涼やかな音がした。
「しかし、胸クソ悪ぃ事件だったな」
伊原は竜仙の死に様が夢に出そうだと震えてみせる。
「蠱毒は邪悪な心を持って使ってはいけないということです」
大友の言葉は深い。春美の血はあのときにすべて使ってしまったという。帰ってシャワーを浴びるとすっかり洗い流せたそうだ。
「あれは賭けでした」
大友の度胸に長瀬はいつも驚かされる。
「長瀬のハッタリも効いたな」
三人は事前に蠱毒を防ぐ丸薬をしこたま飲んでいた。長瀬が蠱術にかかったように苦しんでみせたのは芝居だったのだ。竜仙がそれに乗せられて大友にも大技をかけた。
「大友は春眠堂を継ぐんだって」
「はい、祖母の守った古文書をぼくが守っていこうと思います」
大友は憧れていた日本で暮らすのが夢だった、という。
「俺は今回の件をドキュメンタリーとして書こうと思う。蠱毒を守る人たちの話を。また春眠堂にも遊びに行くよ」
「お茶を用意して待っています」
大友は嬉しそうにグラスを掲げた。
深江琉架は栗原記念病院のVIP向け特別室のベッドで横になっている。聖誕祭で騒ぎがあったことで報道陣や大口の支援者から説明逃れのためだ。あのとき、自分はすぐに避難したため、健康被害は特段発生していない。現地で倒れた三百名の信者たちには祝福メッセージの動画を流しておいた。騒動のせいで集まった寄付金は昨年の半額だ。会場で集金できなかった分、ネットで寄付を募ればいい。教団広報担当にこの事件をネタに寄付を募るよう指示を出した。
入院生活は暇で仕方がない。酒や煙草はともかく、さすがにここに愛人を呼びつけることは憚られる。琉架は通常病院内では禁止されている煙草に火を点けようとした。急に腹に突き上げる痛みを覚えた。腹の中で何かが蠢いている。何か悪いものでも食べたか、いや、ここは病院だ。そんなはずはない。
琉架はナースコールに手を伸ばす。しかし、次に走った激痛に身動きが取れなくなった。腹の底から何かがせり上がってくる。喉が詰まり、呼吸ができない。琉架は喉を掻きむしる。喉が圧迫されている。詰まっているものを吐き出さねば。
大きく咳込む。すると、口の中から黒い蛇が這い出した。
「うぐぐ、ぐううっ」
琉架の目の前に蛇の顔がある。蛇はペロリと舌を出すと、鼻の頭に噛みついた。
「ぎゃああっ」
蛇が次々口から飛び出してくる。叫び声を上げることもできない。身体中を蛇に噛まれ、琉架は目眩と吐き気、動悸にもがき苦しむ。一際大きな蛇が首に巻き付き、身体をしならせる。呼吸が出来ず、琉架は手足をばたつかせる。やがて動かなくなった。
回診にやってきた医師がベッドの上でのたうつ黒い塊を見て悲鳴を上げた。琉架の身体は無数の蛇に締め上げられ、全身の骨が粉砕されていたという。現場の甚だしい異常さから詳細な死亡状況は報道されることはなかった。
「そういえば、行方知れずの千里眼は竜仙の息子だったとはな」
「奴が殺しの実行犯だった。春眠堂に天道聖媽会の悪事の証拠書類が一式送られてきたんだってな」
「そうです。封筒に名前はありませんでした。」
書類には竜仙の足取りの空白期間が断片的に記されていた。弟が病死したのち、竜仙は母を殺害。南に流れて沖縄から船便で台湾に密航した。そこで台湾マフィアの小間使いとして立ち回りながらその日暮らしをする。ある時、裏社会に流れていた蠱毒の古文書の写しの一部を入手する。蠱毒の力に魅せられた竜仙は力を得る方法を探していた。南永島にいる蠱術師の情報を得て、彼女の血を奪うために殺害。教祖生誕祭での蠱神の贄を実行に移すことになる。
大友が書類を警察に持っていくと重要証拠として受け取ってもらえたという。
「蠱毒を悪用する竜仙を許せないと思っていた心ある人がいたのでしょう」
「深江琉架自身は狙われなかったのが不思議だな」
長瀬がアメリカンスピリットにスカルの刻印のジッポで火を点ける。
「竜仙は渾身の蠱毒を用意していたようなんですが、見つからないそうです」
大友は届いた書類に目を通している。それは琉架の本名の形代と毒蛇を使った蠱毒だったという。
「一体どういう風の吹き回しなの、お兄ちゃん」
長瀬は知佳を誘ってファミレスにやってきた。お店ならもっと他にあるのに、と知佳は怪訝な顔を向ける。
「誰かと待ち合わせしてるの」
「そうだよ」
長瀬は時計を気にしながらメニューを捲る。
母は結局、神世透光教団生誕祭の会場には行かなかった。動画配信を見て現場で集団ヒステリーが起きたことを知り、ふと憑きものが取れたそうだ。数日後、長瀬に感謝の電話が入った。それから、教祖の琉架が失踪したこともあり、すっかり熱意が冷めたという。
紅葉を始めた街路樹から降り注ぐ木漏れ日がテーブルに揺れている。入り口のチャイムが鳴り、中年女性がひとり店内に入ってきた。目を泳がせる女性に長瀬は手を振る。知佳も振り向いて一瞬表情を強張らせる。女性は遠慮がちに長瀬と知佳の正面に座った。
「俺、ハンバーグにするよ」
「うん、私も同じのにしよう。何だか懐かしい。ね、お母さんは何がいい」
知佳は女性に向かってぎこちなく微笑んだ。
了
蠱神の贄 神崎あきら @akatuki_kz
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