5-6

「お前が殺しまわってた奴か」

 伊原は男の脇を回り込んで距離を取る。

「もう一人はどないしたんや」

「奴は裏切った。もういない」

 男は表情を変えず、つまらなそうに吐き捨てる。

「邪魔者を片付けろ、千里眼」

 竜仙が命じる。千里眼はナイフを薙ぎ、伊原に切りつける。伊原はバックステップで攻撃を避け、構えを取る。

「早く呪いを止めろ」

 伊原が千里眼を牽制しながら叫ぶ。長瀬と大友は祭壇に向かって走る。


 荘厳な音楽で聖誕祭のセレモニーが始まった。聖歌隊の清らかな歌声が庭園に響き渡り、会場は神聖な雰囲気に包まれる。盛大なファンファーレとともに純白の祭服を身につけた深江琉架がレッドカーペッドの上を歩いて登場した。その姿を見た信者が感極まって泣き出す様子がアップで映し出される。

「親愛なる皆さん、本日は私の生誕を祝福してくださり、感謝します」

 聖歌が終わり、琉架が壇上で演説を始めた。

 庭園に散開した天道聖媽会の信者たちが苦しみ始める。周囲の信者たちは琉架の演説に聴き入っており、異常に気付かない。群衆の中から黒い蝶が飛び出した。蝶はだんだんとその数を増してゆく。隣に立つグレーのスーツの男がもがき苦しみながら黒い蝶を吐き出すのを見た信者が悲鳴を上げる。男は白目を剥いて喀血しながら棒立ちになり、小刻みに痙攣している。まるで下手なマジックショーのように黒い蝶を続々と口から吐き出している。

 それは画面にも捉えられた。会場に異変が起き始めている。信者たちが過呼吸を起こし、胸を押さえて苦しみ始めた。

「あれは、刻死蝶か」

 長瀬が叫ぶ。

「刻死蝶を仕込んだ人間を送り込んだのか」

 大友は祭壇の壷に目をやる。その数二十名だ。画面の中で無数の刻死蝶が庭園上空を舞い、死の鱗粉を振りまいている。

「なんて恐ろしいことを。信者をまるで生物兵器のように」

「彼らは私に殉じてくれたのだよ。私は彼らを天界へ導くと約束した」

 竜仙がゆっくりと立ち上がる。画面の中で大勢の信者が苦しみもがき、現場は阿鼻叫喚の渦に飲まれている。異例の騒動発生を受けて動画の視聴率は一気に跳ね上がる。その様子を見て竜仙は満足そうに歪んだ笑みを浮かべている。

「何が天界だ、こんなのはただの殺人だ」

「彼らはそれを望んだのだ」

「そんなはずは無い。歪んだ信仰のために死んだ弟にそれが言えるのか」

 長瀬は竜仙を睨み付ける。

「ほう、そんなことまで知っているのか」

 竜仙は目を細める。

「弟は眠っているだけだ。邪教徒の命を糧にしてもうじき目覚める」

「死者はよみがえらない。これはただの大量虐殺だ。呪いを解け」

 長瀬は叫ぶ。竜仙は長瀬を凝視して呪詛を唱え始める。

「ぐっ」

 長瀬は畳の上に膝をつき、胸を押さえて苦しみ始めた。大友が長瀬の元に走る。長瀬は脂汗を流し、呼吸がひどく乱れている。激しく咳き込み、口元から鮮血が流れ落ちた。

「わたしは最凶の力を手に入れた。壷など使わなくともお前を呪い殺すことができる」

 竜仙は哄笑する。大友は唇を歪めて竜仙を睨みつける。

「大丈夫か、長瀬」

「よそ見をする余裕があるのか」

 千里眼のナイフが伊原の柄シャツを切り裂く。

「てめ、これお気に入りなのによ」

 伊原は悪態をつく。千里眼はナイフを振り回す。伊原は積み上げてあった座布団を掴み、防戦に徹する。

「あなたは蠱術を盗み、悪用して大勢殺しました。心清い蠱術師も、ぼくの祖母も」

 大友は竜仙に向き直り、真っ直ぐにその顔を見据える。竜仙は嘲笑う。

「弟の復活のためだ、どんな犠牲でも払う」

「蠱術をすべて解きなさい」

 大友の鋭い声に、竜仙は一瞬怯んだ。

「貴様も呪い殺してやる」

 竜仙は怒りに任せ、大友に向けて腕を突き出す。そして呪詛を唱え始める。畳の上に蹲っていた長瀬が立ち上がり、竜仙にしがみつく。

「やめろ」

「邪魔だ、どけ」

 竜仙は長瀬を足蹴にする。竜仙は呪力を振り絞るが、大友は動じない。竜仙はさらに呪力を込め、声高らかに呪詛を叫ぶ。

「うぐっ」

 竜仙が突然動きを止めた。顔色がみるみる蒼白になる。身体が小刻みに震えだし、激しく咳き込み始めた。竜仙の口から黒い甲虫が這い出した。竜仙は慌ててそれをはたき落とす。竜仙は動揺し、口を両手で抑える。鼻からムカデが這い出して頭の方へ登っていく。

「げえっ、げえっ」

 竜仙は畳に手をつき、嘔吐した。ムカデや蜘蛛、蠍に甲虫が次々飛び出してくる。周囲に胸が悪くなるような腐臭が立ちこめる。

「そ、そんな馬鹿な」

 竜仙はまた嘔吐する。悍ましい害虫が絡み合い、竜仙の身体を這い回る。眼球の隙間からミミズが這い出した。竜仙は泣き叫びながら畳の上をのたうちまわる。千里眼はその姿を呆然と見つめ、力無くナイフを落とした。

「こりゃ一体どういう」

 伊原も手にした座布団を放り投げる。大友がペンギンデザインのTシャツを捲り上げた。その腹には血で記号のようなものが書かれていた。

「破蠱の術、つまり蠱毒返しです。最強の蠱術師の力で呪いを返した。その力は何十倍にもなっているでしょう」

「ああ、見ればわかる」

 長瀬は嫌悪感を露わにして口元の血を拭う。断末魔の叫びを上げた竜仙は無数の毒虫に真っ黒に埋め尽くされ、畳の上で動かなくなった。その身体が大きく痙攣した。竜仙の身体が爆ぜた。ドス黒い血と肉片が飛び散り、ネズミや蛇が飛び出した。もうその身体は原型を止めていない。

「人を呪えば穴二つ、ってことや」

 伊原は無惨な死体から目を背ける。長瀬は本堂の窓を開け放つ。明るい光が差し込み、目を細めた。

「親父」

 魂が抜けたように畳に座り込んだ千里眼がぽつりと呟いた。祭壇の媽祖観音がぐらりと揺れ、金色の仮面が転がり落ちた。その下にはミイラ化した顔が覗いていた。


 騒ぎを受けて、聖誕祭は即座に中止になったらしく、中継は終わっていた。呼吸苦の信者三百名余りが各地の病院へ救急車で搬送された。死者は二十名。口の中から大量の黒い蝶が出てきたことがSNSで拡散されている。教祖の深江琉架も症状は軽いが、大事を取って栗原記念病院へ救急車へ運ばれた。夕方のテレビのニュースでは集会での集団ヒステリーと報道された。

 天道聖媽会にも警視庁の捜査が入った。そこには福永の姿もあった。地下倉庫から二十名の腐乱死体が発見され、衝撃的なニュースとして報道された。地下の冷凍室からは保存状態の良い少年の遺体が発見された。五階にあった媽祖観音は中年女性のミイラ化した遺体であることが判明した。また、本殿で死亡していた男性の身元は解明中だ。

 天道聖媽会の悍ましい事件は連日報道され、早くも神世透光教団聖誕祭の事件は記憶の隅に追いやられた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る