5-5

「熱心な信者たちが私の生誕を祝ってくれる。幸せな一日だ」

 琉架は広大な庭園を埋め尽くす信者たちを見下ろし、慈愛の笑みを浮かべる。

「深江さんは今年でおいくつですか」

 クッションの良いソファに深く腰掛けた栗原記念病院院長、栗原明紀久が訊ねる。栗原は琉架に特別来賓として招かれている。その隣にはシルバーラメのパーティドレスにダークブルーのショールを羽織った鳴美が立つ。ヴィヴィッドなレッドのルージュを引いた唇は固く引き結ばれている。

「六十五歳になりますよ。これから二十年は現役でおりたいものです」

 琉架は病院にはお世話になりますよ、と付け加える。

「ええ、もちろん。深江さんにはこれからもご活躍いただかないといけませんからね」

 栗原は脚を組み替え、葉巻に火を点ける。ひひじじいめと腹の中では嘲笑っている。本来ならこんな茶番に付き合う時間も勿体ない。しかし、琉架は業界に顔が利く。病院の利益を考えるとこうして金で繋がっておくことは有益だ。せっかくの日曜日なのに、父の政治活動にお飾りとして付き合わされた鳴美は機嫌が悪い。

「お嬢さんはいつもお綺麗ですな」

「仕事が恋人だといって、嫁の貰い手がみつからんのですよ」

 鳴美は琉架に無難な愛想笑いを向ける。琉架は鳴美を上から下までねっとりとした視線で値踏みする。ドレスから伸びたすらりとした脚に目を留め、豊かにたくわえた髭の下で口角を上げる。いい歳をして娘ほどの年齢の女に色目を使う琉架に、鳴美は嫌悪感を押し殺す。

 聖誕祭のメイン会場になる庭園では、信者で組織する聖歌隊とオーケストラ楽団がリハーサルを始めた。今日はどれほどの金が集まるだろうか。琉架は庭園に蠢く信者の頭を金に換算し、ほくそ笑む。


 神世透光教団本部の巨大な門の前にマイクロバスが乗り付ける。ここは駐車禁止だ。雇われ警備員がバスの動向に目を光らせる。バスからスーツの二十台から六十代の男女が降りてきた。その数二十名。ここへ来るために遠方の信者同士乗り合わせてきたのだろう。乗客の降車が終わるとマイクロバスは速やかに立ち去った。バスから降りた乗客たちは門を通り、他の信者と共に庭園に向かって歩いていく。

 乗客たちは庭園の正面に立った。荘厳な本部教会の背後には雄大なシルエットの深嶽山が聳え立つ。グレーのスーツの男がスマートフォンを取り出し、見取り図を確認する。

「いいですか、打ち合わせ通りの場所に移動してください。本部教会前に一番、二番、三番。噴水両脇に四番、五番」

 メンバーは通し番号で呼ばれる。スーツの男は配置を指示する。メンバーたちは真剣な表情で自分の持ち場を確認している。全員が持ち場を把握できたことを確認し、スーツの男はそれぞれの顔を見回す。使命感に燃えた真剣な眼差しには狂気が宿る。

「見なさい、ここにいる者はすべて罪深き者たち、蠱神の贄だ。我らは崇高な使命を持ってやってきた。苦しみの時間は短い。竜仙様が天界へと導いてくれる」

「はい。では皆さん、天界へ参りましょう」

 オフィスカジュアルの女性が恍惚の表情で微笑む。二十名の選ばれし者たちは神世透光教団の信者たちに溶け込むように各自の配置場所へ散って行く。


 日曜日の朝、長瀬と伊原、大友は東品川の天道聖媽会本部ビル近くの公園に集まった。残暑はなりをひそめ、秋を運ぶ清々しい風が吹き抜ける。雲ひとつない空は澄み渡り、彼方まで広がっている。

「どえらい規模や。おっさんの誕生会にこんなに来るねんな」

 伊原はスマートフォンの画面を凝視して驚いている。人気アイドル顔負けの集客力だ。神世透光教団の教祖聖誕祭は動画サイトで生配信されていた。

「だから怖いんだよ」

 長瀬は醒めた目で見ている。プロのカメラマンによる撮影やドローンを飛ばした上空からの臨場感ある映像で、視聴者数は五万を越えている。

「新興宗教の集会がどんなものか面白半分、興味本位の視聴者も多いだろうが、それもプロパガンダのうちだよ」

 何度も目にする商品を買いたくなるのは潜在意識に残っているからだ。神世透光教団もこの集会で認知を高めている。実際、集会後は信者の増加率が上がっていると聞く。

「大友は大丈夫か」

「はい、眠いです」

 天道聖媽会が行動を起こす日が思ったより早かったため、大友は蠱術師の血の使い道のヒントがないか調べるため、蠱術の古文書を徹夜で読み込んだらしい。

「偉大な蠱術師になった気分です」

 大友は黒縁眼鏡を持ち上げる。

「聖誕祭は十時開催か、あと一時間ほどだが、結構集まってきているな」

 動画を確認すると、庭園の芝生が見えなくなるほど人が集まってきている。一万人と予想されていたが、確かにその通りだ。竜仙が動くのは聖誕祭のセレモニーが始まってからだろう。信者が十分ここに集まってからだ。

「今日の作戦はどうなっているんだ」

「ああ、長瀬が考えてるんとちゃうんか」

 伊原が目を見開く。

「あんた、刑事だろう。こういう現場の指揮に慣れてるんじゃないのか」

「停職中や、今は違う」

 伊原は不服そうに頬を膨らませる。大友は二人の険悪な雰囲気に戸惑っている。

「五階に行って竜仙を止める」

「そんな大味でええんか」

 伊原は口をへの字にして眉を顰める。

「大友は必殺技とか無いんか」

「なんですか、それ」

「遠隔で呪いをかけるとか」

 大友にありません、ときっぱり断られていた。長瀬がベンチから立ち上がる。

「そろそろ行ってみようか」

「しゃあないな、丸腰やけど行くか」

 伊原は本部ビル五階を見上げる。 

「え、銃無いんですか」

「休職中はバッジと銃は取り上げられるんや」

 伊原はお手上げのポーズを取る。長瀬は一気に不安になった。

 天道聖媽会本部ビルでは週末には必ず開催していたイベントを中止している。正面玄関のガラス扉に建物のメンテナンスのため、奉仕活動は無しと張り紙が出ている。扉の鍵は開いていた。館内に入ると受付スタッフも来ていないようで、人の気配はない。伊原は階段に足をかける。 

「エレベーター使わないんですか」

「あほ、非常時は階段に決まってるやないか」

 長瀬は階段で五階まで上がる羽目になることに項垂れる。五階まで誰ともすれ違うことはなく到達した。

「住み込みの信者もいないのか」

「もしかしたら、神世透光教団聖誕祭に向かったのかもしれません」

 大友の言葉に伊原は青ざめる。姉の梨沙がその中にいるかもしれない。時計は十時を指す。聖誕祭のセレモニーの開始時間だ。

「行きましょう」

 大友が本堂の観音開きの扉を押す。しかし、扉は施錠されていた。中で読経の声が聞こえる。伊原が助走をつけて扉に跳び蹴りをする。鍵が壊れる音がして、扉が開いた。御簾の上がった祭壇の前で金色の袈裟をつけた竜仙が正座して読経している。祭壇の前には二十余りの古めかしい素焼きの壷が置かれていた。

「槙尾竜仙、お前の生い立ちを調べた」

 長瀬は本堂に踏み込む。竜仙は振り向きもせず読経を続けている。祭壇の脇に大型モニタが置かれていた。聖誕祭の動画中継が流れている。やはり、狙いは深江琉架に違いない。

「あれは蠱毒です。二十名に蠱術をかけている」

「壷を割れば解けるんか」

「それも手だと思います」

 伊原は大股歩きで祭壇に向かう。それを遮るものがいた。以前、階段で見た黒いスーツに長い前髪を撫でつけた男だ。その目は冷酷な光を帯びている。ナイフを弄び、唇を歪めて笑う。

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