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 その日の夕方、興奮気味の伊原に呼び出され、長瀬は京急蒲田駅前にある中華料理店金春本館へ向かった。到着すると伊原はすでにビールと羽根つき餃子で一杯やっていた。長瀬も生ビールを注文する。伊原が声をかけたらしく、大友もやってきた。

「槙尾竜仙の正体がわかった」

 警視庁の福永刑事から情報を得たらしい。竜仙のプロフィールはホームページにもなく、謎に包まれていた。

「本名は槙尾和憲、出身は新潟県」

 竜仙は新潟の貧しい農家で生まれた。冬には雪が降り積もる日本海側の豪雪地帯だ。父は酒癖が悪く、よく母と幼い竜仙を殴った。農家に嫁いだ母は泣き言も言えずずいぶん苦労したようだ。しかし、父の暴力に堪えかねて母は九つだった竜仙を連れて家を出た。狭いアパートを借りて女手ひとつで竜仙を育てた。

 その時、母は竜仙の弟を身籠もっていた。竜仙は夜も遅くまで仕事をする母の代わりに歳の離れた弟の面倒を見た。竜仙は弟を可愛がっていたようだ。竜仙が十三歳になったとき、母は親戚から勧められて神世透光教団に入信した。

「神世透光教団だって」

 聞き入っていた長瀬は思わずビールを吹き出しそうになる。

「そうや、まあ続きを聞け」

 母は神世透光教団の熱心な信者になり、竜仙や弟にも信仰を強要した。教義に背けば暴力を振るい、汚い言葉でなじった。

「聞くに堪えない話だ」

 長瀬は竜仙が自分と似た境遇であることに衝撃を受けている。

「母は少ない稼ぎだけでなく親戚からの借金までして教団へ多額の寄付をした。生活費にも困り、一家は困窮。竜仙は高校を出て働き、家計を支えた」

「そんなの美談じゃない。実際竜仙は今何をしている」

 長瀬は憎悪を剥き出しにする。微かな同情と、憎しみのない交ぜになった複雑な思いに心がざわついている。伊原は続ける。

「弟が十歳のとき、病気がわかった。急性骨髄性白血病だ。総合病院で治療をすれば命は助かる病気や。もちろん、入院治療には金がかかる。そこで母は神世透光教団に縋り、多額の寄付をして祈願したんや」

 普通の思考ではそうはならない。神に祈るより現代医学の方が確実だ。母親は完全にマインドコントロールされていた。長瀬はやりきれない思いにゆるゆると頭を振る。

「治療が受けられず弟は死んだ。同じ時期に母は行方不明、竜仙も姿をくらました。そして十年前に天道聖媽会を組織して今に至るというわけや」

「竜仙の空白期間が気になりますね。その間、どこへ行っていたのでしょう」

 大友は羽根つき餃子をふうふうしながら頬張る。

「竜仙は台湾ゆかりの道教や漢方の知識が深い。台湾に滞在していた可能性もあるな。そこで蠱術の情報を得て、実用化できるまで研究を続けていた」

「それはありやな」

 伊原はパーラメントに火を点ける。

「おお、それと昼間連絡あった件、三人目の新橋の会社員に天道聖媽会信者がおった。それに現在三人とも行方知れずや」

 長瀬は読みが当たったことを素直に喜べない。三人はおそらく命は無いだろう。蠱毒の贄にされたに違いない。

「竜仙は弟が命を落とすきっかけとなった神世透光教団を憎んでいる」

 天道聖媽会を組織したのは家族を崩壊させた神世透光教団に対抗するつもりなのか。いや、そもそも勢力が違いすぎる。それにそんなことを望んでいるだろうか。

「教祖聖誕祭はいつだ」

 長瀬は目を見開く。スマートフォンで検索すると、九月十五日の日曜日、明後日だ。聖誕祭には毎年多くの信者が集い、今年は一万人規模だと煽り文句がある。昨年の写真では、山裾の教会堂の広大な庭に信者が密集している。

「一万人か、そこでもし刻死蝶を放てば多くの死者が出る。普段表に出ない深江琉架もその場に現れる。狙うには最適だ」

「なんて恐ろしい奴や。まさにテロや」

 伊原も事態の深刻さに絶句する。

「蠱術は多様な術があるんです。古代中国では死者を生き返らせたという記録もあります。しかし、そのために多くの犠牲が払われました。死者の復活はそれほど大きな力が必要です」

「竜仙の狙いは神世透光教団と張り合える権力ではなく、弟を生き返らせるため」

 竜仙は弟への歪んだ愛情で狂気に走っている。長瀬は知佳の顔を思い出す。彼女は母のせいで自殺未遂に追い込まれた。もし、知佳が死んでいたら、自分はどうしただろうか。長瀬も竜仙になり得たかもしれない。

「死んだものは元通りにはなりはせん。それを他の命を犠牲にして賄おうなんて、トチ狂てるで」

 長瀬ははっと顔を上げる。伊原の言うことは理に敵っている。竜仙はどんな犠牲を払ってでもその理をねじ曲げようとしている。それを止めなければ。伊原は福永に教祖聖誕祭の警備を強化するよう連絡している。

「ほな日曜日、誕生パーティーに行くか」

「蠱術は遠隔でかけることができます。刻死蝶を使うつもりなら現場は危険ですね」

 大友が神妙な表情で黒縁眼鏡を持ち上げる。

「つまり、竜仙は離れた場所から術をかけるということか。そこを抑えればいい」

「天道聖媽会の本部だな」

 伊原の言葉に大友は頷く。

「ぼくならそうします」

 日曜日に天道聖媽会の本部に乗り込むことにする。竜仙が渾身の蠱術をかける現場を押さえてしまえば聖誕際は無事に終わるだろう。

 長瀬はふと神世透光教団が壊滅したら、と考える。このまま竜仙を野放しにすればおそらく大打撃を与えられるだろう。歪んだ教義から解放されて自由になれる人がどれほどいるか。しかし、その犠牲は罪の無い信者が払うことになる。長瀬は無言で席を立ち、店の脇の路地に入る。


 母は必ず教祖聖誕祭に行く。会場で蠱毒が撒かれたら母も犠牲になるかもしれない。刻死蝶が空を舞い、母が胸を押さえてもがき苦しむ姿が脳裏に過ぎる。もし、そのまま行かせたなら、母が死んだら、この先母の妄信によって生じる気苦労も無くなるだろう。自らの選択の結果、自業自得だ。それで良いのだろうか。ふと、知佳の言葉がよみがえる。「お母さんを憎みきれないのは、可哀想な人だから」

 知佳は母と過ごした時間が長い分、どんな形であれ母と向き合ってきた。自分はどうだ、逃げてばかりだ。

 長瀬はスマートフォンを取り出し、長らく連絡していなかった母親の電話番号を呼び出す。

「母さん、よく聞いて。教祖生誕祭に行かないで欲しい」

 久しぶりに連絡をくれたと思ったら一体何を言うの、と母は呆れている。年に一度の大事な祝祭だから行きたいのに、と不満をぶつけてくる。

「頼むよ、俺と知佳からのお願いだ」

 長瀬は悲痛な声で叫ぶ。母は黙り込んだまま反応がない。どんな顔をしているのか想像ができない。いや、母の顔を忘れてしまったのかもしれない。それに気が付いて涙がにじんだ。

「俺は母さんが初めてパートでもらった給料で連れていってくれたファミレスのハンバーグの味が忘れられないよ。あの時は三人だったけど、幸せだった」

 返事はない。長瀬は穏やかな口調を崩さずそれだけ言って通話を終了した。


 東京郊外、深嶽山みたけやまの裾野に神世透光教団の本部教会が建つ。

 伝統的な日本の寺院建築とモダンアートな現代建築を見事に融合させた美しい建物だ。設計は世界的に名のある建築家、有森剣太郎に依頼している。建築資材にもこだわり、深江琉架自ら調達的に赴いて名産地から最高級の素材を集めた。特に教会内部の六本の大理石の柱はイタリアのカッラーラから輸入した。深みのある美しい青はエーゲ海を思わせる。本部教会の正面には広大な芝生の庭園が広がり、中央の大噴水には美しい白亜のマリア像が建つ。

 深江琉架は全面ガラス張りの部屋から庭園を見下ろす。今日の聖誕祭のために全国から続々と信者たちが集まり始めている。

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