5-3
天道聖媽会本部五階にある本堂に白い装束を着込んだ信者たちが入っていく。信者の数は二十名。祭壇の方を向いて等間隔に並び、背筋を伸ばして正座する。それぞれ男性十名、女性十名、年齢は二十台から六十台まで多様だ。首には金の装飾刺繍が入った赤色の輪袈裟を掛けている。赤は最高位の色で、住み込みでの奉仕を許された高位の信者の証だった。
祭壇の御簾は上げられ、本尊として鎮座する媽祖観音が蝋燭の炎に照らされ、暗闇に浮かび上がっている。本殿正面の両脇には黒い装束を着た千里眼と順風耳が影のように佇んでいる。
祭壇の奥から金色の袈裟を身につけた槙尾竜仙が姿を表わした。竜仙は媽祖観音に一礼し、祝詞を唱える。そして信者たちに向き直る。信者たちは一様に竜仙を憧憬の眼差しで見つめている。香炉から立ち上る線香の濃い匂いが本堂に充満していた。
「あなた方は選ばれたのです。これから世の穢れを払うために尊い使命を果たすことになります。苦しみはほんの一時です。使命を完遂したとき、あなた方の尊い魂は神仙となり、蓬莱山の頂から天界へ昇るのです」
竜仙は大仰に両手を広げて見せる。信者たちは静かに頷く。
「竜仙様のために尽くします」
「竜仙様のために」
信者たちは熱に浮かされたように呟く。竜仙は満足げにその光景を見つめている。祭壇に用意した三宝を手に取る。そこには二十体の白木の形代が載っている。前列中央に座っていた信者の一人が竜仙から三宝を受け取る。それを信者一人一人に配り始めた。別の信者が硯と筆を用意する。
「その形代はあなた方を正しく天界へ導く霊符です。あなた方の名前と生まれた日を書きなさい。間違っては天へ昇ることはできません。どうぞ慎重に」
竜仙は信者たちの周囲をゆっくりと歩いていく。信者たちは硯で墨を磨り、形代に自分の名前と生年月日を書く。全員が書き終えたところで一人が取りまとめ、恭しく三宝に置いた。二十名分の形代を祭壇へ備え、竜仙は読経を始める。信者たちは自前の数珠を手にそれぞれ媽祖観音に祈りを捧げる。
千里眼はその様子を冷ややかな瞳で見つめながら唇の端を歪めて笑う。順風耳は青ざめた表情で唇を引き結んでいる。その瞳には微かに憐憫の情が浮かんでいた。一時間に及ぶ読経が終わると、信者たちは本堂を出てそれぞれ本部ビル内に与えられた居室に帰っていく。
「順風耳よ、この情報は確かだな」
竜仙は手にした報告書と順風耳を見比べる。その視線は威圧的だが、順風耳は落ち着いた態度を崩さない。
「はい、間違いありません」
「ご苦労だった」
竜仙の言葉が合図だった。背後に立つ千里眼が順風耳の心臓をナイフで貫いた。血に塗れた刃先が胸を突き破る。
「ぐふっ」
順風耳は畳に鮮血を吐いて膝をつく。意識が朦朧としてきた。自分と見下ろす竜仙と目が合う。その顔は怒りで醜く歪んでいた。
「お前のことは信用していた。しかし、古文書に手を出すとは万死に値する」
「蠱毒はお前のような俗物が扱えるものではない。いずれ神罰が」
みなまで言わせず、千里眼が順風耳の喉を掻き切った。鮮血が吹き出し、順風耳はゆっくりと崩れ落ちる。千里眼は眉ひとつ動かさず、ポケットから取り出した白い布でナイフの血を拭う。
「有能な情報屋だと思っていたが、古文書が狙いの裏切り者だったとは」
「古文書は高く売れます」
千里眼は鼻を慣らして嘲笑する。
「ここまで潜り込んでくるとは、金ではない執念を感じておる」
竜仙は千里眼に順風耳の死体を片付けるよう命じる。媽祖観音の正面に座り、形代を手にする。信者に渡したものと同じ白木の形代だが、背面には呪いの文字がびっしりと書き込まれている。竜仙は自分の親指を小刀で切りつける。流れ出る血を絞り出し硯に落とした。その血で丹念に墨を磨り、おろしたての筆に充分に墨を含ませる。形代に名前と生年月日を記した。赤黒い墨で書かれた禍々しい文字を見つめ、酷薄な笑いを浮かべる。
昨日は伊原に付き合って飲み過ぎた。ひどい頭痛だ。頭の中で派手にドラムロールが鳴っている。長瀬は重い目蓋を開ける。焦点が合うと、ここが蒲田のアパートだと気がついた。泥酔して記憶が無いが、新宿のバーたまゆらから帰巣本能で無事に帰ってきたようだ。着ている服は昨日のままだ。ポケットの財布は無事、家の鍵もある。スマートフォンはベッドの下に落ちていた。
時計を見ればもう昼前だ。長瀬は二日酔いの頭痛と戦いながらシャワーを浴びてブラックコーヒーを淹れる。一口含むと頭がすっきりしてきた。昨日、鳴美にもらった封筒には九万円が入っていた。鳴美に提供するレポート作成がてら、天道聖媽会と蠱毒についてわかったことをまとめることにした。いずれ記事にもできる。
クッションの上に胡座をかいてノートパソコンを載せる。一見ずぼらだが、長瀬にとってこの姿勢が一番集中できる。
「最初の事件は、歌舞伎町のホスト怪死事件か。次にひきこもり息子の死、パワハラ会社員の転落事故。共通点は恨みか」
渡辺万莉絵は貢いだホストが別の女に乗り換えられた。河井は期待して育てた息子がひきこもりになり暴力を振るった。新橋の会社員岩谷はパワハラ問題があった。蠱毒で呪い殺された三人は深い恨みを買っている。それも恨みを持っていた二人は天道聖媽会の信者だ。もしかしたら岩谷と同じ会社の人間で天道聖媽会の信者がいるかもしれない。
馬祖の蠱術師を殺害したのが竜仙なら、蠱術師の出自を知っているはずだ。強い力を得るため、恨みを持つ人間を集めて蠱毒で作る。つまり、個々の蠱術による殺人は大金を積んで人を殺したいほどの恨みを持つ人間を炙り出すためではないか。
長瀬は渡辺と河井の所在、岩谷の周囲で天道聖媽会に関係する者を調べられるか伊原にLINEをしておく。
「それから、ライブハウスと青空朗読会の刻死蝶。これはターゲットが不特定多数。閉鎖会場と開放空間で試験的に刻死蝶の威力を試した」
そして、破蠱の術を使った麗子を殺害した。蠱術を邪魔する人間がいるのは都合が悪いからだ。伊原は姉を探して天道聖媽会に潜入し、蠱術の証拠を見たことで狙われた。一緒にいた自分も殺害するつもりだったが、偽名で形代を作ったために呪いが作用しなかった。そこで入会書類がデタラメだと気づき、偽りの住所へ探偵を殺して置き去りにすることで脅しをかけた。
「邪魔な者を排除し、強力な呪いをかけようとしている。本番となる大舞台の準備のようだ」
竜仙が狙う大舞台とは一体何なのか。長瀬は頭痛に軋む頭を悩ませる。
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