5-2
「うちの父、
鳴美は鼻で嘲笑い、ソルティードッグを傾ける。その嘲笑は父と兄に向けられたものなのだろうか。鳴美はチラシを指で弾く。
「ここってさ、医師議会や医療関連団体にパイプを持ってるらしくて、教祖のこの人、深江琉架っていう人が重鎮に口利きできるらしいのよ。単純に利害関係ね」
そうやって個人だけでなく、団体からも金を集めて権力を強化しているのか。長瀬はチラシの深江琉架の顔を苦々しい気持ちで見つめる。それほど金を集めているなら、貧しい母子家庭から小銭をむしり取らなくても良いものを。
「それでね、何が最悪かってこの聖誕祭に私も行かなきゃならないのよ。兄がこの日海外出張で、父のエスコート役ってわけ」
せっかくの日曜日がこんなおっさんの誕生日会で潰れるなんて、と鳴美は不服そうだ。彼女の父は高額寄付者なので、深江琉架に直接面会できるらしい。普段人前に姿を見せない教祖だ。この日はよほど特別なのだろう。鳴美は愚痴を言うだけいって気が済んだのか、別の店で待ち合わせをしている友達のところへ行くとたまゆらを出ていく。
「あ、長瀬くんちょっといい」
ドアから半分顔を覗かせて鳴美が手招きをする。長瀬は席を立って外へ出た。鳴美がバッグからピンク色の洋封筒を取り出し、長瀬に手渡す。
「何ですか、これ」
「天道聖媽会の潜入調査をお願いしたじゃない、その日当よ」
「でも、何も情報がありませんよ」
調査をやめるよう鳴美に忠告されてからも、天道聖媽会のことを調べていたことは黙っていた。長瀬はお金はもらえない、と封筒と返そうとするが鳴美はかたくなに受け取らないつもりだ。
「いいの、もともと興味本位だったし。そのせいで長瀬くんが危険な目に遭うところだった。それも怖くて、本当にごめんね」
確かに伊原の情報から探偵を殺害したのは天道聖媽会に間違いないだろう。鳴美にはこのことを話すつもりはない。長瀬は鳴美の背中を見送りながら、天道聖媽会に潜入してわかった当たり障りの無いことをレポートにまとめて送ることにした。自分は腐ってもライターだし、それが日当に対する義理だ。
そういえば、母も神世透光教団の教祖生誕祭に行くのだろうか。娘である知佳の心の傷を抉ってまで神でもない男に大金を捧げる母の気持ちが長瀬には理解できない。
たまゆらの店内に戻ると、伊原が蠱毒の呪いにかけられたときの体験談を大友に熱っぽく語っている。久しぶりの酒が入っているので伊原の語りは大げさでエンドレスだ。辛抱強く話を聴く大友は人間が出来ていると感心する。
長瀬はマスターにジントニックを注文し、席についてアメリカンスピリットに火を点ける。
「急に腹に鈍い痛みが走って、何か動いてる感じがしたんや。まさか雀蜂を食わされたとはな」
伊原は口の中で小刻みに羽ばたく雀蜂の不気味な感触が忘れられない、と頭を抱える。解毒してくれた大友の手を握って涙ながらに何度も礼を言う。伊原は深酒をすると泣き上戸になるようだ。面倒くさい、と内心思いながら長瀬は煙草を吹かす。
「せやけど、なんで腹の中にムカデやら蜂やら入れることができるんや」
「それが蠱術の呪いなんですよ」
蠱術により通常ではあり得ないことを起こす。伊原も雀蜂を食べたわけではない。ターゲットの体内で蠱毒に使った生き物を発生させて呪い殺す術だ。大友の説明に伊原は煙に巻かれた気分で首を傾げる。まさにオカルトだ。長瀬は実際に伊原にかけられた蠱呪を見た。超常現象など無いと思っていたが、その信念が揺らいだ瞬間だった。
「神保町の朗読会で起きた集団ヒステリーでも蠱毒が使われたって麗子さんは言ってた。麗子さんが黒い蝶を踏み潰すのを見たよ」
「蠱術は多岐に渡ります。形代で犠牲者を決めて呪い殺すのもそのうちのひとつです。集団ヒステリーは不特定多数を狙う呪法です。例えば、毒性を持つ蝶を人混みの中に放つとか」
「あの蝶が蠱毒で生まれた蝶だったのか」
「おそらくそうでしょう。黒い蝶は刻死蝶と呼ばれます。毒性の鱗粉を持ち、それを吸い込んだ者を死に至らしめます。肺に吸い込むと呼吸困難を起こすそうです」
麗子は刻死蝶を無力化する薬を調合して香炉で燃やしていたのだ。
「そうや、渋谷のライブハウスで集団ヒステリーあったやろ」
伊原は言うのは渋谷スイートプラネットで起きた、百名近くのライブ客が痙攣や呼吸困難の発作で救急搬送された事件だ。長瀬の記憶にも新しい。
「気になって福永に調査のこと聞いたんや。そしたら、ライブ会場で黒い蝶の死骸が十匹くらい見つかったらしい。その蝶はこの地域におらへん珍しい種類やいうて、昆虫博士に回すいうてたわ」
しかし、蝶が痙攣や呼吸困難の引き金になる証拠は出ず、調査は終了するだろうということだ。
「そうでしょうね、刻死蝶が死んだ時点で蠱毒は無力化されます」
「証拠隠滅もバッチリというわけか、テロにでも使われたら厄介や」
沈黙して話に聞き入っていた長瀬は、知らぬうちに燃え尽きていた煙草を灰皿で揉み消す。
「刻死蝶を使った蠱術は天道聖媽会に何か得があったか、それが疑問だな。その場所を狙って金が発生するのか。形代を使う蠱術とは全く異質だ」
長瀬は考え込む。
「最初はライブハウス、そして次に書店が開催した朗読会」
場所の決定に何かきっかけはあったのかもしれない。現場となった特定の場所にこだわりが感じられない。そこが引っかかる。
「ライブハウスは閉鎖空間、朗読会は屋外ですね」
大友の言葉に長瀬は目を見開く。
「そうだ、まるでテストだ。刻死蝶の効果があるか、テストしていた」
「ライブハウスで効果を得て、小規模な屋外イベントに場所を移した。段階を測っているようですね。屋外で成功したことでしばらく事件は起きていないのではないですか。きっと彼らは刻死蝶の強化に注力しているでしょう」
伊原が長瀬と大友の顔を見比べる。
「てことは、もっと規模の大きいイベントで大勢を狙うつもりちゅうことか」
すっかり酔っ払っていたはずが、刑事の血がアルコールを打ち消しているのかいやに冷静だ。
「竜仙は何か大それたことを企んでいる。一連の事件がそこに向かっている気がするけど、繋がるようで繋がらない。一体何が目的なんだ」
長瀬は腕組をして眉に皺を刻んで考え込む。
「ジェイソンって宇宙に行ったことあるんだぜ」
背後のテーブルでは若者のホラー談義が盛り上がっている。
「それってB級パロディ映画だろ。人気映画のタイトルに似せた低予算映画シリーズの」
「いや、ちゃんと正式タイトルだよ。ジェイソンXっていう。宇宙船の中でナタを振り回すんだ。ラストは超合金になってパワーアップするんだぜ」
「やっぱB級パロディじゃん」
ホラーファンが必死に説明しているが、さしてホラーに興味の無い友達は笑い飛ばしている。
「B級パロディなんかじゃない。正統な続編だし、ジェイソンXは隠れた名作ですよ」
話を聞いていた大友が誰にともなくぼやいた。
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