お嬢様は勃起について考察しない

「早急に原因を解明する必要性がありますね」


 僕たち2人以外に誰もいないエーテルフィギュア女学院の女子寮の食卓の上に並んでいた食事――琴見硝子と一緒に作ったご飯――を全て平らげると同時に彼女は食後のコーヒーを啜りながらそんな事を口にした。


 原因……いきなりそんな事を言われても、多くの人間は何の事だろうかと思い至るのかもしれないのかもしれないけれども、今回に限ってはそう言えればどれだけ良かっただろうかと僕は内心で嘆息する。


「どうして勃起しない筈の僕の男性器が勃起したか……ですね」


 今日、僕は女装生活において絶対にやらかしてはいけないミスをしてしまった。

 というのも、僕は聖エーテルフィギュア女学院という女子しかいないお嬢様学園の中で、堂々と勃起をしてしまった挙句になんやかんやあって、琴見硝子を失神させてしまったのである。

 

 ……まぁ、事実だとはいっても、こうして男性器と公然に言い放つのはそれは一種のセクハラではないのだろうかと思い至るものの、言われた当の彼女は全く気にしていない様子であるらしかったので、僕も気にしない事にする。


「琴見さんも知っているとは思いますけども、僕は3ヶ月に男子のクラスメイトに性的に襲われた所為で勃起が出来ない身体になりました。肉体的要因というよりも、精神的要因の比重が大きいと医者が言っていましたけれど……」


「存じております。とはいえ、私は男性の身体についてよく知らないのですが、そう言った生理現象は常日頃から起こりうるものなのでしょうか?」


 椅子に座りながらコーヒーを飲んでいる彼女の姿は実に様になる……のだけれども、昼同様に身体全体がぷるぷると震えていらっしゃる所為で今にもコーヒーがカップから零れ落ちそうになっており、僕は別の意味で琴見硝子から目を離せないでいた。


 取り敢えず、彼女が熱々のホットコーヒーをこぼしても大丈夫なように布巾と氷の準備をしておくかだなんて頭の隅で考えつつも、僕自身がどうして勃起してしまったのかを考える。


 しかし、こういう問題は答えがあるようで無いとしか言いようが無い。


 というのも、勃起と言うのは先ほど彼女が口にしたように『生理現象』でしかない。


 当然ながら、興奮すれば勃起してしまうだなんて当たり前の事に思えるかもしれないけれど、その興奮の度合いは男性によって異なってくるだろう。


「うーん……。そういうのは個人差があるとしか言いようがないですね」


「左様ですか。であるのであれば、1つ質問をしても宜しいでしょうか」


 見慣れた無表情を浮かべた彼女はそんな前置きを言った後に、こほん、とわざとらしい咳払いをして――。


「光輝さんが興奮する対象……その、えっと……好きなタイプの、恋人にしたいような、そんな女性について、聞いても宜しいでしょうか……?」


 本当に、今、飲み物を飲んでいなくて助かった。

 無表情のままにたどたどしい様子でそんな事を爆弾発言を口にした彼女に液体だとかそういうものをぶっかけずに済んで本当に良かった。


「……あの、それ、言う必要あります……?」


「正確な情報は多くて困る事はありませんので」


 もっともらしい言い分を述べる彼女であるが、彼女の耳と両頬はそれはそれはもう真っ赤っ赤。


 なんかもう、見ているこっちが恥ずかしくなって目を背けてしまいそうになるぐらいに真っ赤っ赤。


 無表情なのにかわいいな、この人……とは思うけれども、よくよく考えれば彼女の言及は妥当なのかもしれない。


「えっと、僕の好きなタイプの女性、ですか……?」


「えぇ。髪色、性格、家柄、財産……そう言った要素を数多く有した異性の特徴をお教えくださいませ。男性の勃起現象は基本的に生殖行為の為に使用するものであると本で知りました。であるのであれば、光輝さんの男性器は生殖に適した相手を知覚した瞬間に勃起するのではないか――それが私の仮説です」


 仮説も何も、それが常識なのではないのだろうか……そう口にしようと思ったけれども、男子校にいた時に女性の生殖器の勉強だとか性行為のやり方の勉強なんて知る必要がなかったし、そもそも僕自身が女性の性事情に関する知識が皆無なのである。


 男女比が1:99になってしまった所為で人工授精によって人口を増やすよう移行していった現代社会において、男性は女性と付き合う必要性は消え失せたし、逆もまた然り。


 彼女が男性の身体を知らないように、僕もまた女性の身体を知らなかった。

 知る必要性がなかったし、そんなモノを知ったところで生活において何の役にも立たないものだから知らされなかった。


 だからこそ、

 

「……僕の、好きな女性……」


「えぇ、光輝さんがお好きな女性です。例えば髪色が栗色の女性は好きですか」


「え? まぁ、髪の色は別に何色でも。僕自身が髪の色で苦労した過去がありますし」


「そうですか。では料理が出来る女性は好きですか」


「うーん。1人暮らしが出来るようにある程度の料理は出来ますし、そういうのは別に求めてないですかね」


「なるほど。であればお金がある女性は好きですか」


「お金……男性補助金とかそういうので間にあってますね」


「ほう」


 矢継ぎ早に質問を繰り返した彼女はそう言い放ったと同時に瞬時に黙りこくり、いつもの無表情のまま、何故か絶望的な色の気配を醸し出していた。


「こ、琴見さん……?」


「……何か……私は今、頭の中の情報を整理するので忙しいのですが……」


「思ったのですけれども、そんなに僕の好みのタイプって必要ですかね?」


「何を仰るのですか光輝さん。これは我が琴見家存続の危機を解決する打開策なのですよ。もし仮に貴方が男性だという事がバレてしまえば、我が琴見家はトカゲの尻尾のように日本政府に切り落とされてしまいます。であるならば、早急に貴方の生理現象をコントロールする手立てを見つけるのに越したことはないと私は考えますが違いますでしょうか」


 めちゃくちゃに早口で言い訳された。

 だがしかし、僕が男であると周囲にバレて一番に不味いのは僕以外の人物だと確かに琴見硝子なのである。


 元を正せば主犯は男女共学化プロジェクトを掲げた国家政府であり、それに乗っかかったのが目の前にいる彼女な訳で……って。


「そもそもの話、これって僕が勃起が出来なくなったから女子学園に行くことになった訳ですよね?」


「……? 何を言うかと思えば……それはそうでしょう。国家機関に精液を提供できなくなった健康優良男性児かつ、容姿が女性である貴方のバイタル値をサンプルにすることで、今後の社会の為に共学化プロジェクトの一助にするのが目的なのですから」


「ですよね? でしたら、、ってことでは? そもそも勃起ができるようになってしまえば、国の義務である精子提供も普通に出来て補助金が貰えますし、わざわざ女学園にいて危険すぎるリスクを被る必要性なんて――」


 ない、と言いたかったのだけれども、かしゃーん、と何か陶器のようなものが地面に落ちた音が響き回った所為で中断されてしまった。


 一体全体、音の正体は何だろうと周囲を見回してみると、音は前方から発せられたようであるらしく、地面に黒色の液体と陶器の破片が散らばっていて、その地面の真上には無表情の琴見硝子がわなわなと震えているではないか。


「――――え――――?」


 信じられないと言わんばかりに瞠目している彼女の表情はいつも通りの無表情。

 まるで仮面か何かを上から被っているかのように無表情。

 

 あるいは無表情の仮面が脱がさないように針か何かで貼り付けているかのように彼女の表情筋は動かないというのに、その瞳だけが動揺の余りに揺れ動き、彼女の瞳から物凄い量の涙が零れ出てきては、つぅ、と彼女の仏頂面をどんどん濡らしていく。


「こ、琴見さん……⁉」


 当然ながら、いきなり目の前の人間が泣きだしたら困惑してしまうのが人間という生物である。


 いや当然と断言するのはとてもいけない事だろうけれど、目の前で異性の女子が突然に泣きだしたら誰だって動揺するに決まっているだろう。


「え、ちょ、な、何で泣いて……⁉」


「……いや……いや、です……私、まだ一緒に……」


 そんな事を思わず口にしようとした彼女であったが、理性を取り戻したのか、はっとした表情を浮かべては顔を僕から逸らしてみせて、小さく華奢な背中を僕に見せつけてきた。


「……目に汚れが入りました。確かに貴方の言い分はごもっともです。ですが、貴方は性的現象を人並みに行える状態に回復したと言っても、未だ男性への不安が取り除かれたとは言い難い状態です。むしろ、そんな環境に戻るぐらいならば、私と貴方の為にもここに居てもいいのではないのでしょうか」


「えっと……琴見さんの為?」


「はい。……はい? ……っ⁉ えっと、それは、そのっ……! 琴見の家の為! そう! 琴見家の為! 我が琴見家の為にも私は貴方を利用する義務と責務があります。我が琴見家はご存知の通りかつての栄光からは程遠い。私の役割は今の琴見家をかつてあった栄光以上の存在にへと導くこと他ありません。その為には貴方を通じて国家政府のプロジェクトで良質なデータを提供する必要性があります」


「つまり、協力して欲しいという訳ですね」


「そうとも取れます」

 

「そうしか取れませんよね」


「違いますが。何なら私単体だけでも余裕で琴見家を立て直せますが。あくまで最速かつ最効率で御家再興が可能なのが貴方の協力あってのこのプロジェクトであって、私はそのプロジェクトに協力しているだけに過ぎませんが」


「それなら僕はいりませんよね?」


りますが?」


 動揺の感情を垣間見せた彼女ではあるけれども、その動揺が嘘だと思うぐらいの堂々ぶりと頑固ぶりでものの見事にかき消してみせた彼女の言葉を聞いて、この生活を止めるのを考えるのは些か早計過ぎたかもしれなかったと自己反省する。


 そもそも、僕は既に国家政府から前払いという形でお金を得てしまっているのだ。

 それなのに、勃起が出来るようになったから止めます……は通用しない気しかしない。


「分かりました、いいでしょう。もしも光輝さんがこの生活を止める様でしたら琴見家の総力を挙げて貴方の人生を滅茶苦茶にしてやります」


「……えっと。冗談、ですよね?」


「私は冗談が嫌いですが」


「脅しは流石にどうなんですかね?」


「これぐらい人生で何回もやりました。没落から這い上がろうとしているこの私を舐めないで下さい」


「……分かりました。そんな事をされたら僕が生きていけなくなりますしね」


「ふふん、分かれば結構です」


 背中越しから涙声でそんな怖い事を言ってくる彼女が怖い……そういう事にして、僕は観念してこの女装生活を続ける選択肢を選ぶ旨を彼女に伝えてみると、ほぅ、と安堵のため息が聞こえたような気がした。


「だとしても、僕が勃起してしまうリスクが消えた訳じゃありませんよ。最初の議題に戻りますけれど、僕がどうして勃起をしてしまうのか……それが分からないとこれから先の女装生活に支障が出ますよ」


「その件についてですが、少し心当たりを思い出しました」


「と言いますと?」


「というのも、最近目にした本で男性器の描写があった小説……こほん、間違えました、男性生殖器をテーマにした研究論文でした。その論文によりますと、どうにも自分が好意を向けている女性に対して膨張する法則性があるらしいのですが……それは果たして本当なのでしょうか?」


「……僕が好意を向けている女性……?」


 琴見硝子にそう指摘された僕はあの時の……思わず身体が勝手に勃起してしまった状況を思い出す。


 確か、あの時の僕は転びそうになった琴見硝子を抱き寄せて、身体に密着させてしまったからこそ――。


「……いやいやいやいや……それは、その、流石に無いかな……?」


「そう、ですか。やはり、そうですよね。……ふっ、所詮、恋愛小説に書かれていることは夢と妄想しか書いてない間違いに決まっていましたか」


 小声でそんな事を口にする彼女が僕の表情を見ないでくれて、本当に助かった。


 だって、今の僕の表情はきっと、彼女には見せられないぐらいに真っ赤っ赤だったのだから。


 

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