お嬢様は映像作品なんかに簡単に影響されない
「それでは光輝さん、お休みなさいませ。明日の朝の食事は
エーテルフィギュア女学院での女子寮での生活はひどく窮屈なものである……そう思われがちではあるものの、私、琴見硝子はそう思わない。
夜の10時には就眠の為に寮生は個室に戻るという手筈にはなっているものの、金城光輝という女装をした男子生徒という存在がいる為に、この寮内には寮母に該当する存在が不在であるので、案外と自由なのである。
まぁ、これに関しては国家機関総掛かりのプロジェクトである共学化の為にも、彼の事情を知っている人間を少しでも減らす為で、おかげ様で寮内での洗濯や掃除に料理などなどは寮母ではなく、私たち2人しかいない寮生でやる始末になってしまったが。
(……あ、これ恋愛小説で見たヤツですね……同棲……2人暮らし……男女が同じ屋根の下で……いえ、フィクションの内容を馬鹿正直に信じるのは愚者のやる行為に他ありません。そんな馬鹿げた事を考えるよりも先にさっさと部屋に戻りましょう)
風呂上がりの髪と一緒に、頭の中で考えたらたわけた内容を散らすように頭を横に軽く振る私であるが、我が琴見家は没落してしまった挙句の果てにかつての栄光から遠ざかってしまったという過去がある。
今は何とか私1人で持ち直したが、それでも使用人だとか雇う財力を捻出できなかった対策として、家事などそう言った内容は経費削減の為に全て自分でやっていたりするので、寮生活はさほど苦ではないのが正直なところ。
(怪我の功名……いえ、没落の功名とでも言うべきでしょうか。まさか、たかが私の作った料理に光輝さんがあぁも喜んでくれるとは。少々意外ですね。私が目を通した情報媒体では家事万能の超絶イケメンが男が料理を作るものだと書いてあり、どれもこれも女子側が料理を作る描写はありませんでしたが……所詮は幻想。リアルを模しただけの劣化ですね)
書店に通い、10万円近くの書物を購入した私は3日で半分近くの書物を読破してみせたのだが、そのどれもこれもが基本的にハイスペックな男子に一方的に甘やかされるような内容であり、私のように優秀で賢く美人で基本的に何でも出来るような女子にとっては余りにピンと来ないのが実のところだった。
(現代社会に生きる大衆向け用に内容を調整しているのは理解できます。出版社が数字を得る為だけにやっている処置というのは分かりますが……であるのであれば、かつて男女比1:1だった当時の恋愛小説を読みたいところですが手元には無し……余りに気は乗りませんが、少々趣向を変えて当時の映像作品でも視聴してみますか)
10秒ほど廊下を歩きながらそんな事を考えついた私は自室の中に入って、万が一に備えて自室の扉に鍵を掛けておく。
――映像作品は、嫌いだ。
何故ならば、時間が掛かり過ぎるからだ。
幼い時から当主になれるように速読技術を身につけた私は15万文字程度の小説なぞ2分あれば読破し、その小説の内容を全文暗唱するだなんて幼子の手を捻るよりも容易い。
対し、映像作品はどうだろう。
たかが本1冊程度の情報を1時間も掛けて摂取するだなんて、それこそ時間の無駄でしかない。
余りにもコストパフォーマンスが悪すぎるので、私は幼い時から小説を好き好んで読み漁っていた、のだが……。
「……変わりましたね、私も。たかが異性が好きなのかどうかを確認する為だけにこんな無駄にかまけて時間を浪費させるだなんて……人はこれを劣化と言うのでしょうか。琴見家当主だなんて、とても思えない醜態ですね」
周囲に人がいなかったから、私は誰かに言い聞かせるようにそんな独り言を口にしながら、ベッドの上に腰掛けながら実家から持ち込んだというのに使っていないテレビの電源を入れて、どの映像作品を見るかどうかをレビューを見ながら検討する。
「ふむ」
目に留まったのは、イタリアの首都ローマで贈られるラブロマンス映像作品。
ヨーロッパ最古の王室の王位継承者である王女が欧州各国を親善旅行で訪れ、数多くの公務を無難にこなしていく王女。
だがしかし、彼女はスケジュールの疲れとストレスが溜まっており、そんな最中に冴えない新聞記者と出会って――という内容の作品だった。
「興味深いですね。男女比1:1の時代には高評価だったようですが、男女比1:99の現代社会では余り評価されていない様子」
実際問題、レビューには『モブ男性が多く出過ぎていてリアルティに欠ける』『モブ男性が5人以上出てきた所為で意識が途絶えた』『モブ男性がいる所為で失神が怖くて閲覧できなかった』 『台詞も名前もないモブ男性に一目惚れした所為で内容が頭の中に入ってこない』だなんていうクソザコ男弱女性たちの文句で溢れかえっているが、私には金城光輝という心から決めている殿方がいるから大丈夫――ではなく!
「視聴必要時間は……1時間58分。やれやれ、ですね。時間が掛かり過ぎです。全くどうしてこの私がこんな時間の無駄にかまけないといけないのやら――」
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「びえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええん!!!」
至高とも言えるような1時間58分を体験した私は全身から涙という涙を流しながら、ベッドの中に入り込んでは足をじたばたとしながら、名作を視聴した余韻に浸っていた。
「ぐす、ぐすっ……! いいないいなぁ……! したいなぁ……! 私もあぁいう素敵な恋愛したいなぁ……! 出来るかなぁ……? でもしたいなぁ……! というか私なら全部手に入れてやりますよーだ……!」
両手は枕を抱きかかえ、顎を枕の上に乗せ、頭をベッドの上でゴロゴロと何度も転がし、足に至ってはベッドに目掛けて何度もかかと落としをするだけの機構になっていた私であるのだけど、頭の中は私が気になっているあの人とローマに旅行をする内容で支配されつつあった。
「今度の土日の休みに自家用ジェットでローマ行こうかなぁ……?」
映像作品は須く情報摂取する際のパフォーマンスが悪い……そう思っていた時期もありました。
ごめんなさい、撤回させて下さい。
まるで人間の人生を濃縮したかのような、人生の最盛期を切り取って見ているかのようなこの高揚感は他では得難いモノであったのは言うまでも無い。
余りにも、感情移入がしやさ過ぎる。
まるで、私がヨーロッパの王女になってはローマでの休日を過ごしたかのような錯覚を……充足率さえも覚えていて、今の私は『ローマ行きたいオーラ』で満ち満ちていた。
まさかまさかのまさかである。
映像作品なんて下等だと思っていた私がスマホを弄っては『ローマ 旅行 デート 恋愛スポット』だなんて調べているだなんて、本当の本当に信じられない!
でも、それぐらいローマに行きたいのです!
ローマに行って恋愛観を変えたい!
「……えへへ……もう1回見よっかなぁ……?」
まだ深夜の午前1時にもなっていない時間帯なのだから、あと1回ぐらいは余裕で見られる。
そんな言い訳をしながら、明日も琴見家の仕事に学業が控えているというのに、私は生まれて初めての夜更かしをしてしまったのでした――。
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「光輝さん。次の土・日曜日に仕事の関係でローマに寄るのですが、宜しければご一緒しませんか?」
今日も今日とて欠伸なんて言う人間らしい動作を一切しないまま、鰆のポワレだなんて言うおしゃれが過ぎる朝食を作ってくれた彼女はいきなりにそんな事を口にしてみせた。
「……え? ローマ?」
「えぇ、ローマです。行きますか、行きませんか。どちらでも構いません」
「えっと、今日は金曜日ですよね……? ……明日?」
「明日です。安心してください自家用ジェットです。すぐ着きます」
見惚れるような無音のフォークとナイフ捌きを披露しては、洗練された動作で無表情で食事を淡々と食べている彼女はまるで世間話をするかのような気軽さで海外旅行を提案してくれたのだけれども、正直言って、嬉しさよりも戸惑いの感情の方が大きい……というか、余りにも急すぎて現実味が無かった。
「もしや光輝さんはローマに興味がないのですか。彫刻作品として有名な真実の口に、美味と評判であるジェラートに、青々と広がる地中海に心が躍らないのでしょうか」
全く心が踊っていなさそうな無表情と、心の底から興味が無いと言わんばかりの声色でローマ旅行を提案してくる彼女であるのだが……ここはどう返答するのが良いのだろうか。
彼女は余りにも多忙な身であり、現に琴見家の仕事で海外にまで行く訳なのだから、同行する僕も旅行気分で付いて行きづらいというのが実のところなのだけど。
「……」
まるで僕の心の底を見透かすかのような冷たい視線をこちらに向けてくる彼女の目はまるで、人の嘘を見破ったりだとか審判するかのような職業の人間がする目のよう。
ローマで想像した訳じゃないけれど、今の彼女の目は『真実の口』にあやかって『真実の瞳』と言ってもいいぐらいの独特な威圧感があって、それに対峙してしまう僕は思わず固唾を飲み込んでしまわざるを得ないのである。
「えっと、琴見さんは仕事で寄るんですよね?」
「……………………えぇ。仕事です」
何故か答えるのに空白があったのだけれども、今ので僕はとある確信を得られたと思う。
そう……彼女はきっと僕を試しているのだ!
多分、琴見家再興の為に僕が信頼に足る相手であるかどうかを再確認する為だとかそういう名目で、僕が目の前の甘い誘惑に屈さないかどうかをテストしているのだろう!
であるのであれば、僕は取るべき行動は只1つ!
「嬉しいお誘いですけれど……ごめんなさい、遠慮させて頂きます。僕、英語とかイタリア語とか喋れませんし。そもそも琴見さんが仕事をするって言うのに、僕だけ遊び気分に行くのもどうかと思いますし」
からん、と。
金属の音が落ちる音がした。
一体何事かと思ったので辺りを見回してみると、テーブルの下にナイフとフォークが落ちていた。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………そう、ですか」
視線を地面から元あった場所に戻してみると、そこにいたのはいつも通りの無表情を浮かべている彼女がフォークとナイフを落としていたのだけれども。
うん、無表情。
誰がどう見ても無表情。
だというのに、どうした訳か目の端に涙を浮かべているだけでなく、瞳が揺れに揺れていた。
「こ、琴見さん……? もしかしなくても、な、泣いてる……?」
「泣く必要性がありませんが。えぇ、本当に泣く必要性なんてありません。凄いぐらいに泣いてもいませんし、どうして泣く必要性があるのでしょうか。そんな無駄な事をする意味なぞ皆無でしかありません……ですが、1つだけ……えぇ、1つだけ、質問をしても宜しいでしょうか?」
こほん、と咳払いしてみせた彼女はいつも見せるような仏頂面――僕は、彼女の顔が綺麗で好きだから、無表情も好きなのだけど――を浮かべながら、僕に問いかけてきた。
「もし仮に仕事ではなく……プライベートで私と一緒に……その、あの……で……っ……ででで……でぇっ……! っ……! でぇ……ぅ、ぁ、ぅぅ~~~!」
「……えっと? 琴見、さん……?」
「すみませんごめんなさい申し訳ありません何でもありません忘れてください」
そう早口で一方的に言って切り上げた彼女は朝食の続きに戻った訳なのだけど、いつもの彼女であれば絶対にしないようなフォークやナイフが食器に擦れる音を響かせたり、耳が何故か朱かったりした。
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