お嬢様は世界史がお好き
琴見硝子は多忙な女子生徒だ。
僕みたいに国家機関のプロジェクトでエーテルフィギュア女学院に放り込まれるような一生徒には想像できないようなお仕事を学生の身でありながらこなし、CMでよく見るような琴見商事の令嬢である彼女は17歳という若さで現当主にして琴見商事の女社長でもある。
故に彼女が学校を公欠するなんてよくある事であり、本日は午前だけ公欠で学校不在だったりするのだが、それでも僕は1人で女装をしてエーテルフィギュア女学院に出席しないといけないのだ。
「初めまして、僕……あ、また間違っ……私の名前は金城光輝です。よろしくお願い致します」
今日は選択形式の授業があった。
生徒は日本史を選ぶか世界史を選ぶかどうかを選べるのだが、琴見さんが日本史を選択した一方で、僕個人としては世界史が好きだったから世界史が行われる教室に移動し、世界史の先生に気を遣われて初めて会う女子生徒相手に自己紹介をしていた。
自分のクラスではない女子生徒がいる教室に入ってしまった僕に生徒全員の視線が集まる。
「…………」
しかし、僕がそう挨拶した瞬間に女子生徒だけしかいない教室の空気という空気が一瞬にして凍りついた。
教室内にいる数十人もの女子生徒たちによるその反応の前に、僕は困惑の表情を浮かべつつ、バレてしまったのではないのかという不安に心臓を掴まれてしまう。
そう思うと心臓がどうしようもないほどに脈動して、背筋を冷たいものが流れていく感触に襲われる。
頭の中と身体中が寒くなったり、熱くなったりの繰り返しで意味が分からなくなっていって、やっぱり男である僕が女装をして女学園を通うのは無理があったんだと思い知らされた――そんな矢先。
「きゃあああああああああああああああああああああああ!!!」
お嬢様学園の女子生徒は、爆発した。
突然の大声……それも感極まったとでも言わんばかりの心のから叫びであり、例えるのならば有名なアイドルのライブに参加した強火なファンの断末魔そのものであった。
「うふふ、御覧になられまして? ナマモノの僕っ子ですわよ。しかもただの僕っ子ではありませんわよ。普段は僕という一人称で生活している癖に『私』という一人称を用いる類の絶滅危惧種の偽装僕っ子ですわよ。わたくしたちで大至急に保護しなければならなくてよ? 噂に聞いていましたがこれがAクラスの転校生にして最新兵器……! やべぇですわよ!」
「……あのお方、私に挨拶をしてくださいましたから絶対に私の事が好きですわよ……? 困りますわ……私には硝子お姉様がいらっしゃるのに……!」
「は? 僕っ子? あのお方はわたくしをドキドキさせて心臓発作にさせて殺すつもりですの? わたくしの普通極まりない性癖を捻じ曲げるおつもりですの? 僕っ子銀髪貧乳黒タイツお姉様とか属性モリモリすぎではなくて? なんなんですのよあの吊り目のラインから繰り出される優しくもエッッッッな双眸。あのお方はあの魔眼で一体何人もの人間の性癖をぶち壊しましたの? あんなの聖女じゃなくて魔女でしてよ? 制服と下着を剝がしたら全裸でしてよ? とんだド淫乱かつド変態ではありませんこと?」
「ァァァ恋に堕ちる音と性癖がぶっ壊れる音ォォォ」
「きゃああああああああああああああああああああああああああ!!! 光輝お姉様ァァァアアア!!! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!! 素敵素敵素敵ィィィィィィィィィィイイイ!!! アアアアアアアアアアアアアア!!!Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!
私もA組に入りたAaaaaaaaaaaaaai!!!」
簡単な自己紹介をしただけだというのに、僕がこれから世界史を学ぶ教室はお嬢様らしからぬ阿鼻叫喚で覆われた。
担任の女性教諭に視線で助けを求めようとしたら、その女性教諭も鼻から血を流して興奮しており、とても助けなんてものを期待出来そうになかった。
そして、世界史の授業が終わり――僕は人生最大の危機に陥っていた。
というのも、これ幸いと言わんばかりに僕に質問をしようとやってくる鬼気迫る女子生徒たちに阻まれた所為で僕は身動きが取れずにいたのである。
「質問ですわ! 今日何食べました⁉ 好きな本は⁉ 遊びに行くなら私と何処に行きますか⁉」
「いや、あの、ちょ、皆さん落ち着いてください……って! 誰ですかどさくさに紛れて僕のお尻を触った人は⁉ 痴漢ですよ痴漢!」
四方八方を僕に対して興味津々であるお嬢様に囲まれていても尚、僕はこのケダモノたちのドロドロとした視線で何となくどこを狙っているのかを察知することが出来ていた。
とはいえ、流石に20人ぐらいに囲まれていた状況では本当に埒が明かない。
僕が身体をよじらせて女子の魔の手から逃れようとすると、第2第3のセクハラが襲い掛かってくる。
それすらも何とかして避けるけれども、流石に長続きする筈がない。
たったの1度、魔の手に尻を触られるのを許してしまうと、僕の身体は硬直し、その一瞬の隙をつくように、大量のセクハラが将棋倒しのように襲い掛かって、僕の身体を一方的に揉みしだく。
「んっ……⁉ ひゃっ⁉ む、胸を触るの、やめてっ……! んぁ……! 脚、撫でないでくださっ……! ひっ……! うなじ、触らないで……! やぁ……ん……! だ、誰か助けて……っ!」
不味い。
何が不味いって、こうもべたべたと身体中を触られて僕は女装をしている男であるという点がバレてしまうという可能性がどんどん高くなってしまうというのが本当に不味い。
「いやっ……やめてっ……たすけて……!」
それでも僕は必死になって、下半身だけは触らせないように努力した。
20人以上ものお嬢様相手に下半身だけを死守した代償と言うべきか、そこ以外の僕の身体は舐めつくされるように淑女どもの餌食になってしまい、休み時間が終わるまでの間、僕は下半身のアソコ以外の場所という場所を徹底的にセクハラされてしまったのであった。
━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━╋━
「逃げないでくださいまし! 本当に何もしませんから逃げないでくださいまし!」
「逃がすなァ……! 絶対に逃がすなァ……! 光輝お姉様を逃がすなァ……! 私たちを妹にした責任から逃げるなァ……! 光輝お姉様ァ……!」
「ああ! 光輝お姉様! 愛しの光輝お姉様ッッッ!!! 一体どこにお隠れになられましたの⁉ 皆々様! 地と天の果てまで探しますわよ! まだ遠くには行っておりませんことよ! 今度という今度は光輝お姉様の裸を直に見ますわよ!」
「匂いましてよ……! 光輝お姉様から放たれるフェロモンの匂いがプンプン致しますわぁ……! ぐへへ……! 光輝お姉様は匂いまでもがエッチで素敵なお姉様ですわぁ……! 視界に入れるだけで全身が何故かゾクゾクと興奮しちまいますわぁ……!」
「うふふ……! 今度という今度は光輝お姉様に私たちの身体を触らせる逆セクハラをして貰いますわよ……! あぁ! そんなところを触るだなんて想像の光輝お姉様ったら意外と積極的でたまんねぇですわ……違う! 光輝お姉様はそんなところを触りませんわ! 解釈違いでしてよ! 死になさい、脳内のわたくし!」
世間一般で言う所の淑女であらせられるお嬢様たちに身体という身体を一方的に触られてしまった僕は朝のホームルームの休み時間の後に行われた授業を過ごし終えた後、安全安心の立ち入り禁止の屋上にへと逃げていた。
(……ひぃ……! 怖い……! 怖っ……⁉ 何なの……⁉ 何なんだよっ……⁉ ここは安心安全で真面目でまともなお嬢様学校じゃないのかよぅ……⁉ )
声を出したら死ぬ。
それが分かっているから、僕は声と呼吸を止めていた。
仮に一呼吸をすれば、彼女たちはきっと立ち入り禁止で鍵が掛かっている屋上への扉をぶち壊すであろう事が分かっていたし、僕はまだ社会的にも生命的にも死にたくなかった。
「くっ……ここら一辺には光輝お姉様がおられませんわ……早く光輝お姉様成分を経口摂取しないと干からびて死にますわ……あぁ、死にたくない……! 死ぬのなら光輝お姉様直々に殺されたい! 光輝お姉様に故郷の村を焼かれてぇですわ!」
「ふふふ、ご安心くださいまし。光輝お姉様はあのエロさでまだ学生……! 時間になれば自分から教室に帰ってくださいますわ……! そんなに私たちを必要としてくださる光輝お姉様は本当に素敵ですわぁ……!」
「それまでの間、私たちは今度こそ逃がさない為の光輝お姉様包囲網を敷きますことよ……! お嬢様方々! 一旦引き上げますことよ! 蝶のように美しい唯お姉様を蜘蛛の巣で雁字搦めにして弄んで差し上げますわよ!」
「お待ちになられてくださいまし! 光輝お姉様にそんな事は余りにも酷すぎますわ! ここは大人しく私たちをお嬢様と呼ぶように調教するべきですわ!」
「はぁっ⁉ お頭が大変に愉快なお嬢様ですわねこの尼ァ! 解釈違いですわ! 死ねですわ!」
「死ぬのはそっちの方ですわよ!」
「止めなさいこのメスザルども! 聖エーテルフィギュア女学院の生徒ともあろう淑女が何てはしたない! 人様に死ねっていう時はご逝去あそばせって言うのがマナーでしてよ! マナーが守れない淑女に唯お姉様に合わせる資格なし! ご逝去あそばせェェェエエエ!!! 私以外の淑女を全員逝去させて私だけが光輝お姉様の妹になりますことよォォォ!!!」
Bクラスの変態お嬢様たち総計20人ほどの気配が段々と遠ざかっていくのを肌で感じとってから、僕はようやく安堵のため息を吐き出した。
「……つ、つ、つ……!」
疲れるッッッ!!!
すっごく疲れるッッッ!!!
なんで勃起が出来なくなったからと言って、こんな緊張感にしか満ちていない生活をし続けないといけないんだ、僕は⁉
というか、本当になんだよコレ⁉
ホラーゲームなのか⁉
お嬢様ハザードなのか⁉
僕が一体何をしたって言うんだ⁉
僕は精々、女装をして女学園に侵入したぐらいで――それは十二分に犯罪だよ僕⁉ 報復されるに足りるような大罪だよッ!
「か、顔と脚の筋肉が……なんか、もう……おかしい……ッ!」
授業の最中でも僕の背後やら真横やらありとあらゆる方向から女子生徒たちの好奇の視線に晒され続けた所為で、本当に油断も隙もありはしない。
周囲に女装がバレない為にという名目もあるけれど、誰がどう見ても女性だと思うような笑顔を仮面のように貼り付けていた所為もあった為か、僕の顔は笑顔の所為で筋肉痛を起こしていた。
世の中の女性たちの愛想笑いってこんなに疲れるものなんだ、知りたくなかったなぁ、そんな事……!
「これを……あと……1年も……⁉」
僕はエーテルフィギュア女学院の女子生徒として入学したので、当然と言えば当然かもしれないし、言語にすれば簡単そうに思えるけれども、それでも僕にとっては余りにも気が遠くなるような話でしかなかった。
仮にもお嬢様学園であるというのなら、もっとこう、女子生徒の皆々様は慎み深くあるべきではないのかと僕は思う訳なのだけど……⁉
あれ……⁉ これって僕の感覚がおかしいのかな⁉
このお嬢様学園にはクソレズしかいないのかな⁉
1:99の男女比世界だからって、同性相手を性的に見るだなんて頭がどうかしているんじゃないのかなぁ⁉
「取り敢えず、周囲の反応から見ればバレてはいないようだけど……だけどさぁ……!」
とはいえ、先ほどの休み時間のように触られ続けられるものなら、あのセクハラは段々とエスカレートしていくのであろうことは想像に難くない。
取り敢えずは下半身を死守できたものの……次という次に下半身のアレをうっかり触られる事なんてないとどうして断言できようか。
今回は偶然にもこうして屋上に逃げ込めただけでも幸運であり、その次もその強運が発動されるだなんて楽観的にとても思えやしなかったのであった。
今後の身の振り方というものを事情を知っている琴見硝子と考えてみるのも必要なのかもしれないなと思いながら、屋上にあった水溜まりの鏡面を用いて僕はしわくちゃに乱れてしまった制服を着直す。
……そうすれば、当然ながら女装をしている自分が当然写ってしまう訳で。
……ドキリ、と自分の心臓が大きく高鳴った。
「……かわいい……」
今日、僕は初めて女子校の教室に足を踏み入れた訳なのだけど、そこにいた一般生徒よりも綺麗な女子生徒が自分が水溜まりの中に写っていて、うっかり感想を口に出してしまう。
「……いやいや、一体何を考えているんだよ僕は……⁉ それってナルシストの発想じゃないか……⁉ 流石に気持ち悪いって……! いや、でも……僕、本当に男だよね……? 女、じゃない、よね……?」
色々と自分のアイデンティティを失いかけ、危ない思考に支配されかけそうになった僕は頭をぶんぶんと振っていると――僕にとって唯一の聖域である屋上の扉が開き、冗談抜きで心臓が止まってしまいそうになった。
「……ひっ……⁉ ご、ごめなさっ……! お願いだからもう襲わないでっ……⁉」
「ここにいましたか、光輝さん。おはようございます。所用が終わりましたので只今戻りました。数分で休み時間が終わりますので早く……何故、泣いているのです?」
立ち入り禁止の屋上の扉付近に佇んでいたのは、僕が男子であるという事を知っている共犯者にして琴見硝子であった。
「……え、僕、泣いて……あ、本当だ、泣いてますね……はは、情けない」
「――何が、ありましたか」
「ひっ……⁉ こ、怖いですよ、琴見さん。別に何もありませんってば」
「――私に、二度も同じ質問をさせるつもりですか」
「いや……⁉ 本当に何も大したことじゃなくて……⁉ ちょっとBクラスの女子生徒に、身体をちょっと触られただけでして……! い、嫌だなぁ、琴見さん! そんな怖い顔しないでくださいよ!」
「――ちょっと触られただけで、普通は泣かないと思いますが」
「ひっ……⁉ ちちち、違うんです! ちょっと身体を触られただけなんです! ただ、それで少しだけちょっとトラウマを思い出しかけただけで……! 本当にそれだけの情けない話ですので別に気にしなくてもいいんです」
「……分かりました。光輝さんがそう仰るのであれば気にしない事に致しますが、1つだけお聞きしても宜しいでしょうか」
「な、何でしょう……?」
「――光輝さんに触った女。全て言いなさい。私自ら全員に分からせてやります」
「聞いて何するつもりなんですか琴見さん⁉」
━╋━━━━━━━━━━━━━━━━╋━━
その後、Bクラスで僕にセクハラをしてきた女子生徒たちは琴見さんと『お話』をしていた。
あの『お話』という時間に一体何があったかは分からないけれども、あれ以降から世界史の授業の度に襲われるであろうと覚悟していたセクハラが途絶えたので、僕は逆に琴見さんに恐怖を覚えつつも感謝したのであった――というのも。
「……でも、いいんですか? 別に琴見さんが僕の為だけに日本史から世界史に移らなくても……」
「貴方の為ではありません。琴見家の当主たる者、世界史も修めて当然だと思い至っただけの事。貴方の事情とは無関係でしかありません」
「え、琴見さんって日本史が好きだから日本史を選択していたとばかり」
「別に日本史にそう言った感情はありません」
僕の隣の席に座った彼女はやはり無表情のまま、氷のように冷たくそう言ってのけた。
「あはは、琴見さんらしい」
「そもそも、私が好きなのは日本史ではなく、あな――」
「えっ」
「……。…………。アナトリアです。ご存知ありませんか、アナトリア」
「何それ……うわっ、本当に教科書に載ってる……始めて知った……」
「素直なのは宜しいですが不勉強なのは宜しくありません。今後も勉学に一層励むように」
そんな事を口にする彼女はいつも通りの無表情であるのだが、彼女は予習で閲覧していたのであろう教科書のページの内容は『ローマ』についての内容が書かれた写真付きの資料集であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます