お嬢様が僕の事が好きな訳がない

 つい先ほど。

 女装をして女学園に潜入するだなんていう犯罪行為をしでかしてしまっている男子である僕は女子トイレの中で女性に襲われかけていた矢先、僕の女装事情を知っている共犯者である琴見硝子に助けられた。


 それは、まぁ、確かにありがたい事だ。

 だがしかし、問題と言いますか、現状は色々とややこしい状況になっている。


「……」


「……」


「あの、琴見さん?」


「何か」


「物凄く震えていますけれど……その、大丈夫ですか?」


「面白くない冗談ですね、光輝さん。本日の気温は平均的。寒くも暑くもなく、快適な気温でございますが」


 いつものように素っ気ない声音でそう告げる彼女は、本当にいつも通りであった。

 常日頃から僕たちやエーテルフィギュア女学院の女子生徒に掛けるような淡々とした冷たい声音。


 例え世界がひっくり返ったとしても絶対に変わらないと断言してもいいぐらいの冷静さと冷徹さを兼ね揃え、聞く人間の背筋を強制的に伸ばさせるような錯覚を起こさせるようなそんな声色。


 そんな彼女がまさか――ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ、とよくよく聞いたら聞き取れるぐらいの無表情のまま赤面しては、物凄い早さで貧乏ゆすりを繰り返しているのである。


「ご、ご覧になられまして……⁉ あ、あの硝子お姉様が……! 目に映る有象無象の全てが下らないと言わんばかりに私たち豚妹を睥睨して下さる硝子お姉様が……! 今にも泣きそうなぐらいに両頬を赤らめてはぷるぷると震えていらっしゃいますわ……⁉」


「て、天変地異の前触れですわ! 今日、私たちは全員死ぬんですわ!」


「さ、錯覚ですわ! そうですわ! 錯覚ですわ! でないとあり得ませんわ! 貧乏ゆすりという言葉が似合わない学内お姉様ランキング1位を独占しているあの硝子お姉様が貧乏ゆすりをするだなんて、そんな嘘ですわ!」


 誰がどう見ても錯覚としか思えないようなそんな姿を琴見硝子は『私、何もやってませんが?』と言いたげな余裕そうな表情を――まぁ、現実は出来てなんていないのだけれど、恐らく本人的には出来ているつもりなのだろう――そんな表情を浮かべながら、彼女は朝の1限目にあった世界史の授業が終わってから最後の授業までずっと揺れに揺れていた。


 いや、正確に言うのであれば……セクハラを受けていた僕を助けるべく、ずっとこうなのである。

 

 結論を言うのであれば、彼女は今日ある学校の1日中、震えていたのであった。


「……あの……琴見さん? その、大丈夫ですか? もう観念して保健室に行きません?」


「その申し出も実に30回目ですね。しかし、何度も申し上げている通り、私は至って平常です。むしろ、健康体である私に心配をなさる貴方こそ保健室に行くべきだと存じますが」


 隣の席で学校生活を共にし、そして女子寮という1つ屋根の下で彼女と過ごしたからこそ最近分かったのだけども……琴見硝子は実に、頑固であった。


 とにもかくにも、自分の意見を頑なに、絶対に曲げないのだ。

 例え、自覚が出来ているぐらいに貧乏ゆすりをしていても、周囲にどよめきを走らせるほどの見事なまでの貧乏ゆすりをしていても、誰がどう見ても異常としか思えない貧乏ゆすりをしていても、絶対に自分は貧乏ゆすりをしていないのだと主張するのである。


 面倒くさ……いや、ここまで来ると流石に舌を巻かざるを得ないというか、もしかして本当に自分の目の錯覚なのではないのだろうかと逆に錯覚させられそうになってしまいそうになる。


 例え、周囲の女子生徒たちが琴見硝子が貧乏ゆすりをしていると証言したとしても――というか実際にしているのだけれども――それでも『貴方たちが勝手に集団幻覚とか狐に化かされたとか、そういう馬鹿げた現象に陥っているだけですが?』と言わんばかりに彼女は振る舞うのである。


 誰がどう見ても、めちゃくちゃに赤面していて、めちゃくちゃに震えていて、めちゃくちゃに普通ではないのに、周囲にそう思わせる彼女は間違いなく凄い人物だった。


「……じゃあ、その、うん。僕の体調が悪そうなんで、琴見さんが付き添ってくれたら嬉しいです。ほら、僕ってば色々と事情がありますし、そういう事情を知っている琴見さんじゃないとその言いづらくて」


「全く本当に仕方ありませんね、早く行きますよ」


 即答だった。

 自分の為ではなく、他人の為に保健室まで同伴してくれる彼女は実に扱いやす……もとい、優しい人だった。


 僕が健康的な足取りで教室から廊下から出ると、琴見硝子は産まれたての小鹿を思わせるような、目を離したら絶対に転んでしまうのであろう頼りない足取りでよたよたと歩いており、まるで腰が抜けた人間を彷彿とさせるというか……これ絶対に腰が抜けてる。


 余りにも見ていて不安過ぎたというのもあって、僕は彼女が異性だという事を忘れて琴見硝子を支えるべく、彼女の細く華奢で柔らかい手を握り――。


「ヒエッ⁉」


 突然僕が何の申し出もなく彼女の手を握った所為か、琴見硝子という一人物が生涯で絶対に出さないような声を発しては、よたよたとその場に座り込みに図ったので、僕はまたしても反射的に彼女を引っ張りあげる。


「ミッ⁉」


 またしても僕が何の申し出もなく彼女を立たせた所為か、またしても琴見硝子というクールなお嬢様が絶対に口にしないような声を発しては、上手く2本足で立つことがままならない様子でまた倒れようとしていたので、僕はまたまた反射的に彼女のバランスを取らせるべく胸元にまで寄せる。


「キマシタワァァァァ!!!」


 余りにも琴見硝子が見てられないぐらいに酷い有り様だったものだから、ついついそんな事をしでかしてしまった訳なのだけど、当然ながらここは教室なので、僕が琴見硝子相手にやったことは公然の事実となってしまい、僕と琴見硝子の周囲は女子生徒たちの黄色い歓声で埋め尽くされてしまう。


「み、み、み、みっ……! みみみ、光輝さん……⁉」


「歩けそうですか?」


「……無理、です……」


 僕の胸元に両手を用いて全体重を預け、僕と言う支えで何とか立つ為のバランスを取れている琴見硝子の顔面は位置が位置なので、身長が高いこちらからでは絶対には見えない。


 しかし、彼女の体温は、あの日僕が屋上で倒れそうになった際に膝枕をしてくれた時の体温よりも何倍も、いいや何十倍も高いような気がしてならない。


 人間の体温が倍加するだなんて有り得ないのだから、こんなのは例えでしかないのだろうと思っていると、今更ながら自分の内側から熱がこみ上げてくるような感覚が襲い掛かってくる。


「――?」


 何だろう、この感覚は。

 懐かしいような、忘れていたような、そんな感覚。


 そう、久しく忘れていたような、これから先の人生で絶対にしないのだろうなと実感していたようなそんな感覚。


 あぁ、僕は知っている。

 この感覚を知っている。


 だって、だって、だって、それは――。















(……、しちゃった……⁉ 何で……⁉ 勃起できない筈じゃなかったのか、僕の身体⁉)


 大変不味い事に、僕は女装をして、女学園の教室のど真ん中で、琴見硝子という美少女を胸元に抱き寄せた状態で、勃起をしてしまい――。


「――ひっ⁉ み、み、み、光輝さんっ……⁉ ちょ、これ、え、え、え、えぇ……⁉ な、な、な……何やってるんですか光輝さん……⁉」


 そんな男性の生理現象にして、女性の異常現象に1番最初に気付いてしまったのは、幸か不幸か琴見硝子であり、彼女はとんでもないぐらいに小さな声の中に、とんでもないぐらいに慌てふためた感情を込めて口にしていた。


 最良か、あるいは最悪か。

 僕は彼女のおかげで、スカートの中から暴走した男性器を隠せていたのであった。

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