死んだ男性器が復活してしまった僕はどうすればいいですか(1/2)

「……風、気持ちいい」


 立ち入り禁止の聖エーテルフィギュア女学院の屋上に吹く朝の風は考え事をする際に熱くなってしまう頭を丁度いい塩梅に冷やしてくれるし、上から降り注ぐ朝日は色々とありすぎて全然眠れなかった自分の目を無理やりに覚醒させてくれるので大変にありがたい。


 本来であれば、この風を浴びる僕は男の恰好をしている筈なのだけど、どういう偶然が続けば女子生徒が着用するような制服姿になってしまうのだろうか。


「本当、人生ってよく分かんない」


 先日、僕はこの学園の中で勃起したけれども、この歪な日常というものは変わらずに続いていく。


 男が女装をして女学園に潜入するだなんて誰がどう考えても異常な行いでしかないし、今までは勃起が出来なかったからで何とか自分を守る言い訳にした訳だけれども、いよいよその言い訳を捨てざるを得なくなってきた。


 もちろん、僕がこの女学園に在籍する女子生徒を襲うという発想は無い。

 そんな事は当然だし、常識だし……何よりも、僕自身がそういう事をされた時の恐怖を知っているつもりだ。


 今でも、思い出せる。


 僕がいた、暗い部屋。

 動かせなくさせられた手足。

 僕の肌に絡みつく気持ち悪い吐息。


「……ほんと、災難だったなぁ、僕」


 少し前まではあの時の記憶を思い出しただけで気持ち悪くなって意識を失いそうになってしまったけれども、今は何とか引きつった笑みを零す程度の心傷になったが……だからといって、あの恐怖を、無かった事にも出来ないし、忘れられる訳がない。


 だからこそ、そういうのは絶対にしない。


 僕はこの女装生活をしている際に女性相手に欲情するのは絶対にしない……そう、心から決めている。


 そう、決めている――筈だったのに。


「………………はぁ」


 朝のホームルームが始まるよりも前に、蒼天の真下にあるこの屋上に引きこもってから、もう10分近くも経っているというのに、僕の嘆息は止まらない。


 もう両手で数え切れないぐらいのため息を口にしているのを自覚するけれども、抑える事なんて出来る訳が無かった。


 だって、そんなの当然だろう?


「……僕の好きな人……って、もしかしなくても……いや、いやいやいやいや……!」


 自分の言葉を何回も否定して、それでも否定しきれなかったから何回も頭を横に振ってみても、頭の中に浮かんでくる彼女の事が忘れられない……って!


「そ、そ、そ……! そんなのっ……! まるで僕が琴見さんの事が好きみたいじゃないか……って⁉ あぁもう! また勝手にっ……!」


 またしても、スカートの中に収納した男性器に熱が宿ってはまた固くなる。

 生理現象だとは言え、本当にいい加減にして欲しい。


 昨日はこの男性器の所為で僕はしなくてもいい苦労をしてしまったし、何なら眠ろうとした矢先に琴見さんの身体の柔らかさを思い出してしまったが為に眠れなくもさせられたのだ。


「違う、違う違う違う、違うんだってば……! ぼ、僕はそういう下心で琴見さんと仲良くしていた訳じゃなくて……! そ、そもそもっ! 仮に僕が琴見さんが好きだったとしても、琴見さんが僕なんかを好きになる訳ないじゃないかっ……⁉」


 そう、そうだ。

 普通に考えれば僕なんかが、あの琴見硝子に釣り合う筈だなんて最初から有り得ない事じゃないか。


 琴見商事という彼女自身の手で大きくしていった会社を経営する社長であると同時に、この聖エーテルフィギュア女学院の中でも全校生徒の皆々様に敬意を以て接さないといけないいう暗黙の了解を流布してみせる程の天上人。


 1:99の男女比世界で珍しい男だからと言えども、だから何だと一蹴されてしまう程の格を有し、僕がどれだけ努力をしたところで何もかもが彼女と到底並び立てる訳がないぐらいに差がありすぎる。


 そんな彼女がわざわざどうして格下でしかない男性を、それもわざわざ恋愛なんていうこの世界で無駄な事をしないといけないのか。


「――って! だから違うってば……! 琴見さんが僕の事が好きな訳ないってば……! それに僕は琴見さんが好きな理由は性的に好きって事でしょ……⁉ そんなの、僕の見た目が良すぎたからあの日に襲って来た野郎と一緒の最低な発想じゃないかっ……!」


 そもそもの話、僕の無理としか思えないようなこの女装生活を助けてくれる琴見硝子は文字通りの大恩人で、僕はある意味では彼女によって生かされていると言っても過言ではない。


 そんな恩人相手に『かわいいから』というふざけた理由で好きになるだなんて、最低が過ぎるというものだろう。


 だというのに、だけども、それでも。

 今この場には琴見硝子がいないというのに、僕の頭の片隅には彼女がいた。


「……落ち着こう。うん、落ち着こう僕。取り敢えずそのふざけた男性器をどうにかしようか、僕」


 それにしても、まさか本当に勃起しないと医者に宣告された自分の男性器の機能が復活するだなんて夢にも思わなかったし、余りにもタイミングが悪すぎた。


 もし仮に精神的トラウマによるこの勃起障害を治せるタイミングを指定できるのであれば、僕は迷わずここでの女装生活を終えた後にしたかったのだけれども、勃起してしまったものは仕方ない。


「……問題は、これから先の生活で勃起を我慢出来るかどうか……」


 男子校にいた時に目にしていた保健体育の教科書の内容を思い出す僕であるけれども、今にして思えば、僕は男子校で勃起だなんてただの1度だってした事がない。


 であるのであれば――。


「じゃないんだよ僕っ⁉ ここは女子校だぞ⁉ お嬢様学校なんだぞ⁉ 無理だよ無理無理無理絶対に無理! 僕の女性経験の無さを知っているだろ僕ッ! 17年だぞ⁉ 17年もの間、僕には女性経験なんて無いんだぞっ⁉ あぁ、もし母さんが生きていたのなら少しは女性への経験が出来ていたのにっ……!」


 残念なことに、僕の女性に対する免疫はクソザコだった。

 僕を産んだ後に死んでしまった母の代わりに国が『男だから』という理由で面倒を見てくれたので、物心がついた時には僕の周辺にいたのはそういう男性で、そういう大人の男性だけだった。


 言うなれば、僕は小中高校を男子校で過ごしてきたエリート男子高校生!

 今までは勃起が出来なかったから女性相手に怯える必要性も、恋愛をする必要性も無かったからどこか達観しながらで彼女たちと日常を過ごしてきた訳なのだけど……今の僕では琴見硝子が相手じゃなくても、この学園の中に蔓延るクソレズイカレお嬢様相手に対して容易に勃起してしまうのではないのかと不安になってしまうのである。


 琴見硝子に勃起した癖に、それ以外の女性を相手にしても勃起をしてしまうだなんて、そんな事を想像しただけで自己嫌悪で死んでしまいそうになってしまう。


「う、うぅ……! 一体どうすれば……!」


 実際問題、僕は誰にも顔を合わせたくなかったから。

 もしも、そんな事になってしまえば、僕が一体どうなってしまうのかが分からなくて怖かったから、こうしてこの狭くて誰も入ってこない屋上にへと逃げ込んだ訳なのである。


 現に朝の時間に軽く挨拶を交わした琴見硝子の姿を見ただけで僕の心の臓は壊れそうになるぐらいに早鐘を打っていたし、またしても彼女に情けない勃起した姿を見せてしまうのではないのかと思うだけでも怖くて、折角彼女が用意してくれた朝食を食べる気にもなれなくて、こうして屋上にへと逃げた。


 いっそ、このままこの屋上に立てこもりをして問題か何かを起こしさえすれば色々と問題になって、この女学園から追放される事になればどれだけ良いだろう。


「……うん。それ、いいね……」


 そうすれば、もうこういう生活をしなくて済む。

 そうすれば、


「……っ」


 そうだ。

 結局は、そうなのだ。


 認めたくないと噓だらけの理性で何回も誤魔化しても、それだけはどうやっても誤魔化すことが出来ない。

 

 本能が、誤魔化すことを許してくれない。

 いや、むしろ本能がそういう現実味のない妄想をしたがっている。

 絶対に叶う筈がない馬鹿げた夢を、起きたままで見ようとしている。


 ――あぁ、何で。

 

 本当に何で。

 どうして、こんな惨めな思いをしなくてはいけないのだろうか。

 こんな苦しい思いをするぐらいなら、いっそ男になんかならなければ良かった。


「本当にどうして、僕は男として産まれてしまったんだろう」


 男とは、この社会を継続する為に必要な人口を支える為の人材でしかない。

 男でなければ出来ない事だなんて、所詮、そんな事だけ。

 

 本当に、どうして、僕はこんな世界で、男として産まれてしまったのだろうか。


 本当に、どうして、僕はこんなにも琴見硝子の事を意識してしまうのだろうか。


「……苦しい、なぁ……」


 あの日、屋上で彼女に膝枕をしてもらった時の僕はこんな思いを覚えてもいなかったし、知らなかった筈なのに。


「……」


 目の前に広がる地面にへと投げ出すように、このまま飛び降りてしまえばこの苦しい気持ちとはおさらばできるというのに、そうして地面に突き当たればもう二度と琴見硝子と出会えなくなるという問題に突き当たってしまう訳で――。

















「随分と下手な自殺の真似事ですね、光輝さん」

 

 そんな、いつの日か誰かが口にした台詞が背後から聞こえてきた。

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