第57話 明日へ

 千弦が遺した手紙の内容に一同は唖然としていた。


「凄い話だでな……だども、頭の中がこんがらがっただよ」

「無理も無い、過去と現在が入り混じった上に神々の驚くべき知能に精霊の偉大さ、人の頭では考えようにも追いつかん」


 鏡の事実だけでも衝撃的な内容であったが、大沢の祖がアシムと言う名の千弦であった事に一同は驚きを隠せなかった。大沢の始まりは上郷であったのだ。


「呼吸の上達が予想を超えていたのは……そうか、既に会得していたからか」

「精霊を通して受け継いできたのですね」

「そのようで」


 かつて大沢と呼ばれた地は、一ノ瀬川の上流部であった。山々から集まった幾つもの小さな沢が裾野で出会う事からそこは昔、大沢と呼ばれていたようだ。


 道忠が聞いた話では、そこの集落には身体能力が極めて高い者が集まっていたようだが、大規模な山崩れが起こった事で、この地を離れたらしい。多くの命が失われたようだが、仔細は不明だと言う。


「小平太様が千弦様に教えて、それを千弦様が遠い昔に行って人に教えて、おっかねえ程時がたって、小平太様が教わっただか?」

「そうなるな」

「ややこしいだな」

「それに、塩の道も父が作ったとは……驚きました……」

「まさに通って来たばかりだからな……」


 本来であれば屋敷へと出向き、岡本彦左衛門に報告をしなければ成らないのだが、本人は既に鏡へ来ているし、報告は大集落の皆も聞きたいだろうとの意向であった。故に宴の前に道忠が皆へと話す事となった。


 陽も暮れ始め、湯屋へと戻れば大集落の皆が集まり宴の準備をしていた所である。人々は守り人達を温かく迎えていた。


「さて、先ずは水を浴び着替えよう」

「承知」


 裏庭で水を浴び土埃を洗い流して清潔な小袖に着替え宴席へ出向けば、そこには既に岡本彦左衛門と重鎮たち、それに藤十郎の一家など、大勢が集まっていた。やがて鏡の一家も顔を出せば、宴の始まりである。


 道忠が一歩前へ出れば、皆は一斉に注目した。


「皆様、お集まり頂きました事、心より感謝申し上げます。先ずは大厄災について少しお話をさせて下さい」


 実際にどのような事が起こったのか皆気にしている筈である、静まり返った中で、焚火の爆ぜる音が聞こえれば、間もなくして道忠が話を始めた。


 事の流れに沿って話を進めていけば、皆、驚きつつも耳を傾けていた。千弦の覚悟、すずと小平太との出会い、それに大沢の皆との合流、また並みならぬ試練など、誰が聞いても解りやすく話せば、大厄災での死闘を語った。


 只ならぬ守り人達の活躍に皆が悦び、拍手で称えたが、すずを守りきり死した徳蔵の話となれば、親交のあった者達は耐え切れず涙を流していた。


 間もなく宿主との最後の戦いに、千弦が己の命と引き換えにこの世を守った事を知れば、皆は静かに手を合わせていた。


「剣を祭壇に戻せば、轟音と共に祭壇も剣も勾玉もすべてが砂と化したのです」

「おぉぉ?」


 手紙について話せばその場は一層どよめいた。


「すべては偶然に非ず、八百万やおよろずの神である精霊が導いてくれた事。皆様も日頃よりご自身の精霊に、そして万物の生命に感謝を以てお過ごし下さい。必ずや精霊が皆様をお守りして下さる筈です、では私の話はこれにて」


 道忠の笑顔は清々しいものであった。恐るべき重圧から解放された今、その心境はいかほどのものであろうか、こればかりは当人にしか分らぬ事である。


「では皆の者、感謝を以て宴と致そう。今宵は一層賑やかにな」

「おぉぉぉ!」


 彦左衛門の言葉に皆が賛同すれば先ほどまでの静けさから一変し賑やかと成り始めた。酒も食べ物も豊富である。数年前の大飢饉が信じられない程に豪勢であった。間もなくほろ酔いとなったすずが手もみ手拍子を打ちながら庭へと降り立てば、上郷踊りの輪の中へ入っていった。


「それそれ、それそれ、よっこいしょ! それどっこいしょ!」

「よぉぉし、次は誰だ!」


 上郷で歌い踊られるそれに決まりはない、先頭になった者が即興で歌い踊れば、皆はそれに次いで歌い踊り歩くのだ、故に酒が進めば脱線しより面白い事となるのであった。


「それそれ、それそれ、よっこいしょ! それどっこいしょ!」


 新たな先導が出れば、皆はそれに続き歌い踊るのである。やがては殿様も武人達も、鏡の一家も加われば、小平太達も輪に入ったのである。先導が変われば必ず酒を呑み、食べ物を咥えて輪に戻るのであった。


「まぁ、おすずちゃん足下が危ない」

「大丈夫だで、お琴様……だぁっ!」

「相変わらずだな」


 やがて夜も更けお開きとなれば、後片付けは大集落の人々が引き受けてくれたものだから、小平太達は皆で露天の温泉に浸かっていた。天高く眩い程に輝く星々は言葉にならない程に美しくあった。


「きれいな星空だで、壊れねえで済んだだな……ひっく……」

「あぁ、皆が命がけで守ったんだ」

「んだな……千弦様も徳蔵さんも、この空見てんのかな……ひっく……」

「あぁ、無論見ているだろうよ、二人の誇らしい笑顔が浮かんで見えるぞ」

「んだな……千弦様、徳蔵さん、あんがとした、ほんとにあんがとしただ……ひっく……」

「呑み過ぎたな」

「ちっとだで」


 守り人達は皆夜空を見上げ、満天の星空を眺めていた。下野の負け戦で家族や大勢の仲間を失ったあの日の事は忘れる事は無い。


 しかし大厄災と言う途轍もない大事においては、それこそ数えきれないほどの球体や人々、それに様々な生命を救う事が出来たのだ、守り人達の心には深い悲しみはあれど、この世を救った誉を胸に明日を迎える事が出来るのである。


「どんな明日が来んだか、おら楽しみだで……ひっく……」

「少し飲み過ぎたようだからな、寝小便に困らぬ明日であれば良いな」

「だ……とんでもねえ……ひっく……」

「わはは、違いない、おすずちゃん気を付けろよ」

「そうだな、大厄災も治まり緊張も解けただろうからな、今夜は危険だ」

「……皆して……とんでもねえ……」

「わははは!」

「ぷくくく!」


                                  おわり

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鏡の守り人 雨替流 @r3d3

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