うく

 鏡に映るのは、浴衣に身を包んだ、いつもよりも浮かれている自分。髪の乱れもなく、着崩れもなく、何らおかしなところはない。


 「行ってきます」

 「行ってらっしゃい、気をつけてね。日を越しそうだったら連絡して、迎えに行くから」

 「そのときはお願いします」


 着付けの準備をしてくれた母に礼を言い、貴重品その他諸々を入れたバッグを取り、玄関を発ちます。向かう先は、名取くんとの集合場所である最寄り駅。


 『今日楽しみだね』

 『家出たよー』

 『もう着いた?』


 駅に向かう途中、ポコポコとラインのメッセージが届きます。私に歩きながらメッセージを返答する、なんて高等技術はないので、信号待ちを狙って返答します。


 『今家を出ました』


 信号は青へ。同時に、また返事が返ってきます。手早く画面を見ると、グッドポーズをするポケモンのスタンプ。名取くんらしい返答に、思わず笑みがこぼれました。


 からころ、慣れない下駄を鳴らして駅へ。集合場所のバス停近くには、まだ、誰もいません。ラインで到着報告を送ろう、とスマホを取り出したとき。


 「おまたせ、硯さん」


 とんとん、と肩を軽く叩かれ、振り返ると、そこには甚平に身を包んだ名取くんがいました。きら、と視界が一気に眩しくなります。


 「硯さん浴衣似合ってるね、かわいいよ」

 「あっ、りがとう、ございます、……その、名取くん、も、かっこいいですよ」

 「本当?嬉しいな、せっかく硯さんと花火大会行くんだしキメてこ、ってセット頑張ったんだ〜」

 「ふふ、ちゃんとキマっててかっこいいです」

 「やった。……ちょっと早いけど電車乗ろっか」


 ああ、暑さで頭がおかしくなったのでしょうか。名取くんが「かわいい」と言ってくれた。名取くんに、素直に「かっこいい」と言えた。いつもなら、そんなこと出来ないのに。心が浮かれているからでしょうか、ぼおっと熱に浮かされて、うまく頭が回りません。


 「浴衣歩きにくいでしょ、俺支えるよ。……あっ、もしかして嫌だった!?」

 「嫌なわけ、ないですよ。ありがとうございます、名取くん」


 今も、差し出された手を素直に握ってしまいました。いつもなら動揺して、断るはずなのに。なんだか、いつもの私ではないみたい。

 ぎゅ、と遠慮がちに指先を握る。熱くて思わず引っ込めてしまいそうになる手を、逃がさないとばかりに掴まれます。名取くんを見ると、笑顔のまま。


 「行こう、電車もうすぐ来るって」

 「はい」


 今度は私も握り返して、一緒に電車に乗り込みました。


 電車の中にはチラホラと浴衣姿の人がいて、目的地は同じよう。同い年や大学生、社会人など様々な人が見受けられましたが、ともかく、一概に言えるのは。


 「カップル多いね……」

 「です、ね……」


 そう、カップルが多い。男女が仲睦まじく過ごしている空間に、急に放り込まれてしまったような気まずさがあります。名取くんも同じようで、居心地悪そうに座っていました。


 「――――こうなったら、俺達もカップルごっこしよ。俺と硯さんの仲の良さを見せつけてやろう」

 「えっ」

 「硯さん嫌だったらすぐに言って。もし、嫌じゃなかったら、俺の彼女のふりしてよ」

 「えっ、えっ」

 「ちなみに硯さんて彼氏いる?俺は彼女いないから良いけど、硯さんにもしいるならすぐやめる」

 「彼氏、はいないです、けど……」

 「じゃあ、カップルごっこに付き合ってくれる?」


 急接近注意報。名取くんが近い。面白いことを思いつたかのように話す彼は、やっぱりきらきらしていてとても眩しい。体温を感じるぐらいの近さになって、ぎゅん、と心臓が早くなる。


 「お願い、硯さん。友達の頼みと思ってさ」


 名取くんが近くて、私に祈るように手を合わせて、私にカップルごっこに付き合ってほしいと言ってくる。これは夢でしょうか。偽りでも、一時的に名取くんの彼女さんになれる。

 どうしよう、断るべきか、受け入れるべきか。後悔しない方を選ぶなら、私は。


 名取くんはじっと私を見つめます。そんな彼の手を再び取って、ひとこと。


 「やります」


 名取くんの手は、微かに汗ばんでいました。

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