しのぶ

 さて、新入生、新学期と言えば何があるでしょうか。部活動勧誘?文化祭準備?


 いいえ。


 新学期と言えば、それは勿論――――――


 『89』

 「がんばれー!後1回で90行くぞー!」

 「目指せ100、運動部組ファイトー!!」

 「はぁっ、はぁっ、し、死ぬ…………!!」


 現代の拷問シャトルランです。正確には、体力テスト、でしょうか。


 入学してから2週間。流石に校内で迷うこともなくなり、すっかり制服にも馴染んだ頃、体力テストが始まりました。

 上体起こしから始まり、反復横飛び、握力、長座体前屈、そして今はシャトルラン。私は85回でリタイアしましたが、満点は取れたので良しとしましょう。終わった瞬間に体育館の床に座り込み、恥も外聞も投げ捨てて全力で酸素を取り込みます。目を閉じると鼓膜が振動していて、今にも心臓が耳から飛び出してしまいそうな気がしました。

 シャトルランで残っているのは全員が運動部で、女子が3人、男子が7人。その中に、彼も残っています。


 『100』

 「100行ったよー!」

 「こんままいけるとこまで行っちゃえ」

 「我辛也われしんどいなり


 リタイア組の懸命な応援にも関わらず、1人、また1人と声援虚しく脱落していきます。友人の悠矢も104回目で脱落してしまい、息切れを起こしながら私の隣に滑り込んできました。


 「悠矢、お疲れ様でした」

 「うんっ、おつ、かれ……っ。…………っあ〜〜しんどい!!それで、悔しい」

 「100回超えはすごいですよ?」

 「でも、いとしきが残ってるから。女子の最後の1人になるつもりだったのに、最後の3人目だよ」

 「確かに、糸も色もまだ余裕そうですね」


 悠矢と話す視線の先には、友人の藍染あいぞめ いと黒田くろだ しき。2人ともまだまだ余裕そうに笑っていて、足取りも残りの男子に比べると随分と軽い。どれだけ体力が有り余っているのでしょうか、正直、2人の運動能力のポテンシャルが高すぎてちょっと怖い。何故かって、2人は他の競技でも常に満点を出しているからです。

 そうやってぼんやりと2人を見つめていると、呼吸が落ち着いた悠矢がそっと話しかけてきます。


 「…………それで、応援しないの?」

 「糸達の、ですか?」

 「違うよ、君の好きな人の。まだ彼も残ってるんだし、応援すればいいじゃん」

 「えぁ、う、き、急に何を!!」

 「何、って……。琥珀こはく、あの子のこと好きでしょ?あの子と話してるときいっつも嬉しそうだし、そもそも態度が違う」

 「え、う、嘘……」

 「嘘じゃないよ、気付いている子は気付いていると思う。それこそ糸とか、色はとっくに気付いてるよ。……顔に出やすいんだよ、琥珀は」


 隠していたつもりが、悠矢にはとっくにバレていました。何なら、糸と色にもバレていました。それほどまでに顔に出ているのでしょうか、自覚がないので分かりません。


 「ほら、早く応援してあげなよ。でないと彼、脱落しちゃうよ?」

 「ぅ、うう…………」


 にやにや。明らかにからかっていると分かる表情で、悠矢は彼への応援を急かします。非常にやり辛い、というか恥ずかしい。


 『132』

 「ほら、思い切って。がんばれー、とかでいいんだよ?」

 「他人事だと思って……」


 悩んでいる間にもシャトルランの速度は上がり、走者の表情が苦しいものへと変化していきます。彼も例外ではなく、限界が近そうです。

 覚悟を決めましょう。これはただの応援、恥ずかしくなる要素なんてどこにもない。それに、シャトルランの応援なんてこれから一生、出来るかどうかも分からない。やらないで後悔するよりは、やって後悔したほうが何倍も良いのです。

 す、と両手をメガホンのようにして、口元に当てます。横で見ていた悠矢が、お、と目を軽く開きました。

 すぅぅ、と酸素を取り込み、全力で声を出す。


 「頑張れっ、名取なとりくんっ!!!!」


 声は体育館中に響き渡り、目標の彼――――名取なとり さくらくんへと届きます。彼は一瞬、こちらに目をやって、それから。


 「おうっ!!」


 全力の笑顔を持って、答えてくれました。

 ぶわああ、と全身が熱くなります。視線がかち合って、それから、苦しいだろうに、全力で答えてくれて。心臓を射抜かれたような衝撃を覚えます。


 「応援して良かったね、琥珀」

 「はい……」


 視界いっぱいがきらきら光っている。ただの短い返事なのに、それがどうしようもなく嬉しい。一瞬で胸が幸福でいっぱいになって、そのまま1週間は幸せを常に感じることが出来そう。

 どうしようもなく、好き。


 「…………“しのぶれど”」

 「どうかしましたか、悠矢」

 「んーん、なんでもない。琥珀が全力で恋をしてるんだなって分かって、嬉しいだけ」

 「もう。からかったりしないで下さいよ」

 「そこは善処しまーす」


 そうやって悠矢と戯れているうちに、シャトルランは153回目で終了。名取くんが、最後の1人でした。





 申し遅れましたが、私は、すずり 琥珀こはくという者です。私の恋路を優しく見守っていただければ幸いです。

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