第2話 家族




 ガチャ


 扉を開けて、家の中に入る。すると、玄関からでもキッチンルームで母親がバタバタしているのがわかった。


 バタン


 扉を閉めて、靴を脱く。そのまま、廊下を歩いて、ダイニングルームに向かう。ダイニングルームの1箇所にしか階段はないので、2階の自室にはダイニングルームを通らなければいけない。


「あら、帰ったの。『ただいま』も言えないなんて、そんな子に育てた覚えはないのだけど?」


「……ただいま」


 かすれた声が出る。


「本当にあなたは……。それより、私は出かけるから」


「……どこに、ですか?」


 平坦で、無感情な声。この人を前にすると、いつもこうなる。執拗なしつけという名の虐待だと知ってから何年も経っている。


 けれど、知ってもなお、私はこの関係を変えようとは思わなかった。


 もし、周囲に言ってしまえば、今よりひどくなる。そんな未来が見えたから。


「わからないの? ひとしさんを迎えに行くのよ」


 そう言う母の表情は明るい。


 これが、帰っって来たらどうなるのか、それはわからない。ただ、平穏にことが過ぎてくれればそれで十分だ、とそう願う。


「それじゃあ、私は行くから。ちゃんと留守番しておくのよ」


 そういって、ダイニングルームを出て、出掛けていく母親。


 私はその場に一人残された。



       ◇◆◇◆◇◆◇



 カチャカチャ、と音を立てながら、食器を片付ける。これは、母親が今日食べた昼ごはんに使った食器だろう。


 水が満杯に入った食器を手に取り、水を拭き取る。そして、拭き終わったそれを水切り台に置いて、また新しい食器を取る。


 四枚の皿とコップ一つ、数分で終わる作業だ。


 ジャアァァァ


 蛇口から流れる水に手を当てながら、その様子をじっと見つめる。そっと、その水を掬って、飲む。


 けれど、水は喉に詰まり、吐き出してしまう。


 なんてくだらないことをしているのだろうと思いながら、キュッ、と蛇口を止める。


 「はぁ、はぁ」と息をしながら、流し台にかすかに映る私の表情を見つめる。


 ひどい顔をしている。それは、流し台が汚れているからか、本当にひどい顔をしているのか、私自身にもわからなかった。


 タオルで手を雑に拭いて、時計を見る。炊飯器にタイマーを設置して、5時半に炊き終わるようにする。


 そのまま、何かに追い立てられるように、2階へと上がる。


 ダンダンダン、と不快な音を奏でる階段。


 カチャッと音を立てて私はようやく自室に入る。


 殺風景な部屋が私を迎える。制服から、部屋着に着替えるため、クローゼットを開ける。


 見たくないものから目を逸らすように、急いで着替える。


 この時間が、私にとっては一番苦痛かもしれない。


 着替え終わると、学校の宿題を片付けに入る。


 本当は行きたくない学校、行く意味を感じない学校。それでも、こんないわれたことをやっているのは母がそうするように言うから。


 カリカリ、とシャーペンで数学の問題を解く。


 すると、『ザァァァ──』と窓の外から雨音が聞こえてきた。顔を上げれば、土砂降りの雨。天気予報では『雨が降るかもしれない』とアナウンサーが言っていたが、ここまで降るとは聞いていなかった。


 1時間半ほど経って、宿題を片付け終われば、5時を過ぎていた。


 急いで、というわけではないが、それでも少し早足で階段を降りる。


 炊飯器は炊き終わっていないが、もうそろそろご飯の準備を始めたほうがいいのだろう。とは言っても、私の一人分だけなので、そこまで豪華にはできない。せいぜい、おかず二品が許される限界だろう。


 ほうれん草と胡麻をえて、昼ごはんと同じ唐揚げをチンする。その間にお湯を沸かして、インスタントのお味噌汁を準備する。


 なんとも、安上がりな晩御飯の出来上がりだ。


 もっそもっそ、と昼ごはんよりは美味しい晩御飯を食べ終えた。


 父が帰ってきたのは、その時だった。



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