幸福

碾貽 恆晟

第1話 杏(からもも) 楓乃(かの)



「あなたって、グズでマヌケよね。それに、ノロマ。いいから、早くやってよ」


 ケタケタと渡井わたらい沙良さらは笑っている。いつもの、あの笑顔だ。人を人とも思わないような、それでいて無垢な笑顔。


 誰もが、彼女を愛す理由。童顔で、いつも笑顔で、茶色の髪も、彼女をいっそうより、可愛らしく思わせる。


 けれど、私にとって、その笑顔は悪魔の笑みでしかなかった。


 みんなは小悪魔だなんて言うけど、あれはそんなものじゃない。そう、口にできたら、どれだけ良かったか。


 いつものように、トイレの便器に手を入れて、水を掬う。


 そして、それをそのまま飲む。


 その様子を背後から彼女たちは笑って見ている。


 目の前には私を撮るスマホが置いてある。いつものように、私を脅して、いつものように私で遊んで、いつものように笑いものにする。


 彼女たちは楽しんでいるのだ。とても、無垢で、残酷なことをしてるなんてことも知らずに。


 思考が途切れ、目の前の現実に意識が向く。ただの水。それはなんの味もしないはずなのに、吐きそうな気分になる。


 私は一体何をしているのだろう?


 その問いに、答えてくれる人はどこにもいない。


 ただただ、私は言われた通り水を飲んだ。



 昼休みの遊びが終わって、彼女たちは満足したのか、ワイワイといつものメンバーで固まって帰っていく。


 私は、食べることのできなかった昼食を片付けるために、急いで帰る。


 向かう場所は誰もいないあの廃屋。


 外見は、よくある白塗りの塗装をされた壁なのだが、時間が経っているからかところどころ汚れている。屋根はボロボロでつつけば崩れそうだ。


 人がいなくなってからそれなりに立っているからか、草はよく生えていてまさに、「ぼーぼーに生えている」という言葉が相応しい有様。


 辺りに人がいないのを確認して、急いで入る。草をかき分けて裏庭に。ガラスの割れた掃き出し窓の中を通り、家の中へ入った。


 置き去りにされたソファに座って、ご飯を食べる。


 弁当箱には、いつもの冷凍食品のみ。冷凍食品のご飯に一品だけの冷凍食品の唐揚げ。


 ついさっきまで汚れた水を飲んでいた。一度口をゆすいだとはいえ、もう一度、口を洗いたくなる。けれど、口の中を洗うことはできない。


 こんな廃屋に水なんてないし、水筒の中身は彼女らに捨てられた。


 不快感の中、時間の経った不味くはないが美味しくもない食事をする。ご飯を食べると言うより、腹を満たすために食べているだけだ。


 食べ終わると、片付けをする。来たばかりの時は埃だらけだったこの場所も、今では綺麗に整えられている。


 それもこれも、私がしているから。自慢ではないが、私は掃除が上手い。上手くなるべくしてなったとも言えるが、それは少々詩的すぎるかもしれない。


 淡々と片付けて、後始末をして、廃屋を出る。


 出る時は、人がいないことを確認しにくいので、しょうがないので当たり前のように出る。


 町内の人は私が一人で遊んでいると思ってくれるだろう。もしかしたら、問題になるかもしれないが、今のところ、そういった事態に陥ったことはない。


 私は悠々と家へと向かう。その足取りが、重いことには意識を向けない。


 ただ、いつか、解放されるだろうと言い聞かせて、私は歩く。



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