第14話

ある日、王城で定められているアイオーン殿下との待ち合わせ場所へ赴くと、そこにはカタロン殿下だけがいたの。


「カタロン殿下、ご挨拶申し上げます。あの……アイオーン殿下は……」


あからさまに戸惑ってしまった私に、カタロン殿下は申し訳なさそうに話を切り出した。


「レディには前もって連絡を出来ずに非礼を働きました。アイオーンには了解を得ています。今日は私にお付き合い願いたいのですが……用意もしてあります」


「カタロン殿下に、でございますか?用意とは一体……」


「叶うなら、レディ……レディ・ダフォディル、あなたと一日だけ行動を共にしたいのです。見せたいものがあります。城でも屋敷でも見られない王都の姿を共に見て欲しいと思い、アイオーンにも相談しました」


「……ですが、あの、このような服装では目立ちます」


何しろ、殿下に拝謁する為のドレス姿だから、これで王都に出たら騒ぎになるよ。


「ご安心を。ドレスを隠せるよう、マントを用意させてもらいました」


そして、すかさずアシェラが濃茶色のマントを差し出してきた。


「お召し下さい。──どうか、お願いします」


結局、強く乞われてカタロン殿下と市街地にお忍びで出かける事になったけど……そこにはリアルな民の暮らしがあった。


アシェラこそ陰で控えていても、私専属の護衛騎士もなしに、馬車からではなく歩いて眺める街並みは初めての経験だった。


「ほらほら、今日は鹿肉が安いぞ!しかも新鮮で臭みもない!買った買った!」


「焼きたてのパンが出来たよ!」


「──おばちゃん、じゃがいも少しおまけしてよ、ね?代わりに豆も買うからさ」


行き交う人々の声が私を圧倒するけど……。


王都の街は活気があって、多くの人が商売して働いたり、買い物をしたりしている反面、路地の片隅に座り込んで物乞いをしている人も見かける。


よく見ると、身なりも表情の明るさ暗さも、人によって差があるんだね。


「常に人で賑わっている王都にあってさえ、貧富の差は明確に存在しています。富める者は住みやすいと感じているでしょうが、その一方で貧しい者は一日に一度の食事……古くなった固いパンに豆のスープですらも、ありつけるか分からないのです」


そう説明するカタロン殿下も、顔に心苦しさが出てる。


貧富の差は前世でも存在した。国力により格差があって、更には庶民の間にも大きな差があった。


食べたくても食べられずに命を落とす人がいる世界だった。──同時に、生きたくて足掻いても生きる事に絶望する人がいる世界だった。


希望と絶望は等しくない。幸福と不幸は平等じゃない。


それを私は情報で見てきて、体験で痛感させられた。


この世界でも、現実として横たわる深刻な問題なんだ。


「私はこの民の暮らしを変えたい。より良く生きられる人生を歩ませたいのです。ですが、私だけの力では叶いません」


カタロン殿下の口調は真剣そのもので、どれだけ心を痛めてきたかが伝わってくる。


──私は、ただ守られてばかりで今生を生きてきた。幸せはぬるま湯に浸かるように、出る事をためらわせる。だけど、私は女神様から力を与えられて生まれる事が出来た身だ。


「第一王子殿下は……私の持てる何かがあれば……私が共に何かを為そうとすれば、それはこの国を変えると仰るのですか?」


たとえ、私がカタロン殿下ではなくアイオーン殿下の婚約者候補でも。


「まだ、明確には分かりません。ですが、レディならば……理知のある人です。いつか国母として立つ時になれば、民を思ってくれるであろうと信じてお見せしました」


「国母として……」


「そこに私がいるかさえ分かりません。それでも、レディは民を生かす力を持つと思います。今でなくとも、未来には必ず」


「カタロン殿下……」


私が思わず言葉を失っていると、ふと路地の角に座り込んで酒便を抱えていた中年男性が立ち上がろうとして、よろけて前のめりに倒れた。


「人が倒れたぞ!──アシェラ!」


真っ先にカタロン殿下が駆け寄る。私もすぐについて男性の傍らにしゃがんだ。酒焼けした顔と生臭い息に生理的な嫌悪感はあるけど、それより救助が先だよ。


「大丈夫か?!」


「あ、ああ……すまねえな、坊ちゃん。呑みすぎだろうよ……」


「──あの、足に違和感はありますか?」


私が唐突に訊ねたのには訳がある。擦り切れたズボンからのぞく足の片方が少しだけ腫れて見えたからだ。


男性は、なぜそんな事を訊かれているのか分からないようだけど、それでも呂律の回らない語調で答えた。


「あー……何か、足が張ってるような……足がつりそうな変な感じが……」


「レディ?」


「あの、この辺りに飲み物の屋台はありますか?」


「ああ、少し先に果実水の屋台がありますが……」


「アシェラに果実水を多めに買ってくるように言って下さい。今すぐです。──おじさん、足を軽く揉ませてもらいますね」


殿下も面食らっている様子だったけど、私がためらいなく男性にマッサージし始めたのを見て、アシェラに耳打ちした。


命じられたアシェラが、急ぎ屋台に向かう。


私が感じ取ったのは、エコノミークラス症候群なのよ。利尿作用の強いお酒を呑んでばかりいて、路地に足を曲げた状態で座り込み続けていれば、危険性は高まるから。


でも、今すぐに予防策を打てば何とかなるかもしれないの。


「──買ってきました」


「ありがとうございます。──おじさん、死にたくなければお酒は控えて、今は果実水をこまめに飲んで。とにかく水分をとってね。足は揉んだけど、具合はどう?」


「え?あ、……軽くなったみたいだ」


「足が張ってきたなと思ったら揉んでね。いい?お酒は駄目よ。ほら、もっと果実水を飲んで。今日はこれを少しづつ飲んで、足は伸ばしていてね。あとは、普段の生活ね。水でもいいから飲んで、野菜を──玉ねぎを食べるようにして」


「あー……ありがとな、お嬢ちゃん……こんな汚ない爺に……」


「気にしないで。体を大事にしてね。お酒で嫌な事を忘れるよりも、真っ当に生きてれば、こんなふうに誰かが気づいてくれるからね」


「ああ、ああ……分かったよ……」


おじさんは小娘でしかない私の説得の何かが響いたのか、涙ぐんだ。


「じゃあ、行くからね。──人が集まる前に行きましょう」


「レディ、あなたという人は……本当に不思議な人です。幼さを残すのに、普通の大人よりも大人びて見えます」


「気のせいですから……私はただ、以前読んだ書物の通りにしただけでございますので……」


ぽかんとした後に、しきりに感心した様子で私を見つめるカタロン殿下には、とりあえず言い逃れしておく事にして、私は「それよりも」とすぐに話題を変えようとした。


「殿下。殿下の望む民の幸福とは、隅々まで行き届かせるには大変な道のりになります。私が全力を尽くしても、万民へは渡らないかもしれません」


「──それは、」


「ですが、手を差し伸べられるならば差し伸べましょう。救える命ならば救うよう尽力致します。本心から、私はそれを望みます」


そう、私が幸福な人生を始められたのは、幸運だったからだよ。それはね、独り占めしちゃ駄目なんだ。


全部を見きれなくても、出来る限り見るようにして、恵まれない人が不幸に落ちてゆくのを防ぎたい気持ちも本当なのよ。


これが、今カタロン殿下に言える精一杯。


「帰りましょう、殿下……今日は大きな学びになりました」


そう言う私を、殿下は眩しそうに見ていた。

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