第4話

七歳を迎えてしばらくして、お父様が戦に出なければならなくなった。


辺境伯家の家長ならば仕方ない事だけれど、戦争は怖い。人の命があまりにも粗末に扱われてしまう。


お父様の出陣を見送る際、私達は無事に帰還する事を口々に祈った。


「あなた、無事のご帰還を毎日お祈りしています。創造主があなたに勝利という祝福を授けて下さいますように」


「父様、僕がまだ共に戦える歳ではない事が口惜しいです。心は共に戦っています」


「お父様……どうか勝利して帰ってきて下さいませ。お父様がお怪我などされませんよう、お父様の軍勢の方々が家族の待つ家に帰れますよう、心よりお祈りしています」


「ああ、ありがとう。ここまで我が子の成長を見守れた事を幸せに思っているよ。帰還した暁には、どうか立派な令息と令嬢になった姿で出迎えておくれ。──領地と城の事は妻であるお前に任せた、見事に治めてくれると信じているから」


「あなた、お任せ下さいませ」


お父様とお母様が見つめ合い、お母様が手作りのハンカチを、お父様の鎧を着けた腕に結びつける。私はお父様の傍らに歩み寄り、そのハンカチに手をかざした。


「汝、不得傷、不得病──乞願我、汝必得勝」


この頃には簡単な古代魔法が使えるようになっていた。私がかけたのは、願掛けに近いものだけれど、お父様のお守りになればいい。


腕のハンカチがふわりと舞い、すぐに落ち着く。人前で魔法を使うのは初めてだったから、見ていた皆が驚いたようだけど……お父様が声を上げた。


「皆、見たか?我らには勝利の守護神がついている!この祝福をもって、我らは必ずや勝利するだろう!」


わっと沸き立った歓声は興奮気味だ。どうやら士気を上げる役にも立てたみたいで、こそばゆさを感じながらも、私達家族は馬に乗って軍を率いてゆくお父様を見送った。


それからお母様は、領地の運営に城の管理と忙しい日々でも、毎朝聖堂でお父様の無事を祈るのを欠かさなかった。


お祈りは夜明けと同時に始めるので、お兄様は頑張って起きてお母様と共に祈っているけれど、私では体が幼すぎて起きられない。


仕方なく、起きて身支度を整えてから朝食前に自分の部屋でひざまずいて祈りを捧げていた。


──何か、お母様にもひと時の癒しになるものがあればいいんだけど……。


忙しないお母様の事を助けたくても、まだ子供の私では仕事を手伝えない。


それを歯がゆく思っていた時の事だった。お母様が私に、「特別な庭でお茶を頂きましょう」と誘ってくれたのだ。


そこは、瀟洒なテーブルと椅子が置かれた周りを様々なハーブが彩っている庭だった。


辺境伯領は元々豊かな土地ではあるけれど、城内の庭にたくさんのハーブが育っているなんて知らなかった。


漂う香りを吸い込むと、何だか胸が心地よくなって、すっとする。


「香草を眺めながら頂く紅茶は、本当に心がなごむわね」


「香草?お母様、これらは眺めるだけですか?」


「あら?ダフォディルは面白い事を言うのね。香草は野辺の花みたいな物でしょう、愛でる以外に使い道はあるの?」


この世界には、香草──ハーブをお茶にして飲むっていう発想がないんだ……美味しいのに。


私は前世で上司から浴びせられる嫌味に心底うんざりしていた時、たまたま担当した仕事でハーブティーについて知ったんだよね。


それで、ショッピングモールの何だか意識が高そうなお店に入って、色々なハーブティーのティーパックを買い込んだのよ。


私みたいな、もっさりした人間には場違いなお店だったなと今では思うけど、当時は世間知らずというか、まあ気になれば考えなしに飛び込んだからね……。


まあ、そのおかげでハーブの事も、実体験で積極的に学べたんだけど。


それにしても、こんなに色々と育てられているのに、これが全て貴族の観賞用でしかないなんて、あまりにももったいない。


ハーブティーも良いし、ハーブバスも良い。自由に使える物ならば何でも、ありがたく使わなきゃ。


それに、お母様を癒す手助けにもなるかもしれない。ずっと気持ちを張り詰めさせているから、お風呂や寝室に入った時くらいリラックスして欲しい。そこでハーブを使えば気休めにもなると思う。


「お母様、香草を摘んでもよろしいでしょうか?香草を使って、やりたい事がございます」


「香草を?──ええ、何か思いついたのね。あなたの好きにしていいわ。成果が出たら、私にも教えてくれるかしら?」


「もちろんですわ、喜んで。皆で使えるようにしたいのです。出来ましたら、多くの香草を広い場所で育てて頂けると嬉しいのですが……」


「あなたは不思議な子ね、ダフォディル。でも、きっと間違いではない事を考えているのね。では、専用の香草畑を城内の敷地に作らせましょう」


「ありがとうございます、お母様!」


とりどりのハーブを自由に使えるだなんて、楽しみが増えて気持ちも弾む。


生ハーブでもいいけど、日持ちがしないから……保存用にたくさん摘んで、良く乾燥させて、一年中楽しめるようにしないと。


でもハーブにかかりきりになる訳にもいかないよね。誰かに手伝ってもらえたら助かるんだけど。


「お母様、このお庭は誰が手入れをしているんですか?」


「庭師のマシューとメイドのメアリーよ。あなたの役に立つなら紹介するわ」


「はい、ありがとうございます!ぜひお願い致します」


お母様はさっそく二人を呼んで下さった。


マシューはいかにも実直そうな中年の人で、メアリーは朗らかなお姉さんといった感じの人だった。二人共、良い人柄だと伝わってくる。


私は、二人にハーブを収穫して乾燥させる手伝いを頼んでみた。


観賞用の植物をなぜ、と不思議そうな面持ちになりつつも、私が手ずからハーブを摘んで扱う姿を見て、積極的に手伝ってくれるようになった。


あとは、空き部屋を一室もらって、乾燥ハーブの保存室にさせてもらえたのよ。


収穫出来たハーブはミント一つとっても、ペパーミントにスペアミント、アップルミントと揃っていて、これにブレンド出来るハーブは数多い。


他にもレモングラス、ローズヒップ、カモミール、ラベンダー、ローゼル、エキナセア、ジャスミン、ジンジャー、シトロン、ローズマリー……豊富なハーブを収穫出来て、お母様には何を使って差し上げようかと色々考えられたの。


「ジャスミンを布袋に入れて、お母様のお風呂に浮かべさせてもらえる?それからお母様とお兄様の寝室にはラベンダーを枕元に飾って欲しいの」


メイド長にも頼むと、「香草はこうすると素敵な香りを楽しめるのですね」と、快く了解してくれた。


「まあ、入浴の時に私を包む優しい香りは一日の疲れを癒してくれるわ。それに、ベッドに入ると枕元から心地いい香りが届いて、良く眠れるようになったのよ」


「母様、今まで香草など気にとめた事もありませんでしたが、とても安らぐ効果があるのですね。ダフォディルの発案はすごいです」


二人共お世辞抜きで褒めてくれる。


起きて務めを果たしている間のお母様が、気を遣い忙しくしている事そのものは変わらないけれど、どうやら癒しと安眠はプレゼント出来たみたいで嬉しかった。


私がマシューとメアリーの手を借りて作った乾燥ハーブはお城の中でも評判で、ならばと使用人達もハーブティーを飲めるようにしてみた。


「お腹に赤ちゃんがいる人はカモミールやローズマリーは避けてね。授乳中の人は里帰りしてるから大丈夫だと思うけど、ペパーミントを贈っては駄目よ。ローズヒップは体に良いけど、飲みすぎは良くないから一日三杯までに控えておいて」


「ダフォディルお嬢様は私どもにまで恩恵をもたらして下さるだけでなく、注意点まで丁寧にお教え下さって……」


使用人だって、健康第一よ。心身共に健やかだからこそ、良い働きが出来るんだと思ってるからね。


「落ち着きたい時はカモミールやシトロンを、すっきりしたい時はミントにレモングラスを合わせてみて、少し冷える時はローズマリーやジンジャーをお茶にしてね。好みで蜂蜜を加えてもいいわ」


試しに始めたハーブティーがお母様だけでなく、どんどん誰かの役に立ってゆくなら嬉しい。


そうしてハーブ畑も順調に整えられ、私は自分の勉強や礼儀作法にも精を出して努めていた。


季節は移ろい、あっという間に一年が経った。


そこに朗報が届けられた。


敵軍を率いてきたのは隣国の第三皇子だけれど、実質上、最前線で軍を指揮していた騎士団長を討ち取ったという。


おかげで敵軍は統率を失い、第三皇子は命惜しさで、軍勢を預かる身なのに逃げてしまったそうだ。


「二人共、お父様は近いうちにご帰還なされるわ。それまで領地と城をしっかり守りましょうね」


「はい、母様!」


「良い子ね、元気なお返事だわ。──ダフォディル、お父様は怪我も病もなく戦い、難敵を倒してみせたようよ。あなたの加護ね」


「そんな……私はお祈りしただけですので、これはハンカチを贈ったお母様の加護ですわ」


短い冬が訪れれば、領地にも雪が積もる事もある。山は更に冷えて、お父様達の帰路は厳しくなる。


その前に帰還出来ればと願っていたところ、フィラムス子爵家の主が三千人の援軍を率いて戦地に駆けつけてくれたと知った。


どうやら、フィラムス子爵家の領地が不作に苦しんだ時に、お父様が支援物資を送って助けた過去があったらしい。領地の運営についても相談に乗ったとか。


恩義を感じていたところで、ぜひとも冬になる前に決着がつけられるようにと援軍を出してくれたのだそう。


ただでさえ騎士団長と第三皇子不在で右往左往していた敵軍は、犠牲になりたくないと散り散りになって退散して、お父様の勝利は決まった。


そして冬を迎えるより早く、無事に帰ってきてくれた。


お父様は疲れてこそいたものの、元気そうだった。お母様と抱擁を交わし、そしてお兄様の頭を撫でてから私を愛おしそうに抱き上げた。


「お父様、お帰りなさいませ。お怪我もないようで、本当に嬉しいです」


そう言って、お父様の頬に頬ずりする。ふと、鎧のハンカチが泥まみれになっているのが目についた。


「お父様、激しい戦いがあったのですか?危険な事とか……ハンカチが……」


気遣うと、お父様は「ああ、これか」と目を細めてハンカチを見やった。


「むしろ逆なんだ。敵の騎士団長と対峙した時、一陣の風が吹き抜けて、結わえてあったハンカチが解けたんだ。そのハンカチは相手の乗る馬の顔にかぶさり、馬は驚いて暴れだして騎士団長は落馬した……私は無傷で相手にとどめを刺せたんだよ」


何て不可思議な出来事なんだろう。私の古代魔法は初歩的なもので、そんなに力は強くないはずなのだけど……お母様とお兄様のお祈りが創造主に届いたのかな。


そう考える私に、お父様は微笑んでくれた。


「皆の者の善戦、我が妻と娘の加護、息子の祈り、フィラムス子爵家からの援軍、それら全てに感謝している。犠牲となった者への鎮魂の祈りを捧げた後は、祝勝の宴を開こう!」


晴れ晴れとした宣言がなされ、城内は一気に慌ただしくなった。


誰もが安堵出来ている、この時間と空気は尊いなと思った。


その頃、王都の中で一人の少女が喚き散らしていた事など、私には知る由もない。


ただ、幸せを享受していた。

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