第6話

お父様が候爵位を賜った事を私が知ったのは、お父様が国王に謁見する為に王都へ向かう前日の事だった。


春を迎えて我が家が侯爵家になると同時に、豊かで広大な領地も新たに与えられるらしい。


その頃には私も九歳の誕生日を迎えるから、もしかしたら近いうちに政略結婚の話題も出てくるかもしれない。


どんどんゲームと違う展開になってきている。もっとも、そもそも辺境伯自体がゲームには出ていなかったし、ゲームを元にした異世界なんだから、何が起きても不思議じゃないかもしれない。


それでも私はお母様やお兄様から守られて、秋の終わりを穏やかに過ごしていた。


「ダフォディル、この古文書で理解出来ない所があるんだけど教えてくれるかな?」


これは日課なんだけど、お兄様と一緒に勉強していると、最近古文書を学び始めたお兄様から問いかけられた。


「はい、私に分かる事でしたら」


指し示されたものを見ると、日本の万葉集にある「貧窮問答歌一首」だった。


これは、万葉集巻の五に収録されている有名な作品だ。万葉歌人である山上憶良の代表作の一つで、長歌と短歌によって描かれている。


前世の日本では西暦七百二十一年に生まれた作品とされてるけど、異世界で学ぶのは奇妙な感覚をおぼえる。私がメタフィクション側にも立っている存在だからかな。


「冬の寒さをしのぐのも大変そうな貧しさだと読めるんだけど、何でこんな歌を残せる程の影響力があったんだろう?」


これは私も前世で解説を読んだ記憶がある。私はそれを思い出しながらお兄様に話した。


「まず、この人は貧民ではないんです。ありったけの衣を着込むのは、つまり着込める程の衣を持っているという事です。お酒も、清酒でなくとも呑めています。そして塩をおつまみにしていますが、これは燻製塩です。貧民や庶民が買える塩ではありません」


「つまり、貧しそうに見えても、最低限の娯楽は得られる程度の地位というか、身分のある人なんだね?」


「はい、そうなります。この作者は貴族です。貴族としては貧しい部類に入るでしょうが、文化人でもあります」


お兄様が感心して「さすがはダフォディルだね、目の付け所が違うよ。ぱっと読んだ文面からだけでは分からない背景があるんだな」と呟き、口元に手をあてる。


そこに、メイドらしき女性がドアをノックしてきた。


「休憩のお時間でございます、お茶とお菓子をお持ち致しました」


「ああ、もうそんな時間か。ありがとう」


「……あら?あなたは……」


お兄様は気づいていないようだけれど、いつものメイドと違う人だ。そういえば昨夜の晩餐での配膳も普段と違うメイドがしていた。


何だろう、嫌な予感がする。目の前でお茶をサーブする姿も、どことなくぎこちない辺り、どうも適任として選ばれたのではなさそうなんだよね。


「最近、メイドの入れ替えが目立つわ。あなたは何か知っているかしら?」


思いきってカマをかけてみる事にした。


驚いたメイドは、お茶をカップから溢れ出しそうにしてしまったけれど、どうやら何らかの問題が起きている事は察する事が出来た。


「いえ、それは……お坊ちゃまやお嬢様にお聞かせするような事ではございませんので……」


「でも、慣れない仕事に就いている人達が目立つわ。もし使用人の間に流行病が出ているようなら、城内の危機よ。話してちょうだい」


これには私が押し勝った。メイドは消え入りそうな声で答えたのよ。


「実は……使用人達が何人か病に倒れてしまいましたのです。原因不明ですが、肌の色が変わって……食事も受けつけなくなるのです」


「──いつもお茶を用意してくれるメイドも病に伏しているのね?見に行くわ。案内して」


「そのような、お嬢様が立ち入るには粗末でございますので……」


「お世話をしてくれてきた人を見舞うのに、立場も何も関係ないわ。──お兄様、本日はここまでにして良いですか?」


「ああ、ダフォディルが何かを考えての事だろう。──案内してやってくれ」


「は、はい……」


そうして私は、城内の片隅にある使用人部屋に赴いた。


「これは、ダフォディルお嬢様……」


倒れたメイドの看病をしていた者も使用人の一人だった。原因不明という事で、流行病を疑う医師やメイド長も集まっている。


その中にはお父様まで立ち合っていた。


「ダフォディル、ここは危険だ。お前が来てはいけない」


「いいえ、お父様。お父様もいらっしゃるのでしたら好都合です。──患者の手足は?発疹など出ているの?見せてみて」


「はい、あの、発疹などは出ておりませんが……」


患者を見ると、黄疸の症状が顕著だし、手足もむくみが酷い。おそらく腎臓をやられていて、まともに機能しなくなっている。


でも腎不全は流行病ではない。それなのに患者が増えてゆくなんて、おかしな世界設定にも程がある。


「使用人達の食事内容はどうなっていたの?」


「はい……使用人には昼と夕方の二回、食事が与えられます」


「朝食は健康に欠かせないのに、出されないのね?メニューはどうなの?」


「汗をかいて働くからと、塩気の強いスープに……あとはライ麦パンと玉子料理が付きます」


昼と夕方に、塩辛いスープを毎食毎日飲んでいたら塩分過多になるじゃない。ましてやそんなに汗をかく季節でもないし、腎臓にも負担がかかるわよ。


「腎臓を傷めているのですね?」


私が静かに問いかけると、医師が息を呑んでから弱々しく頷いた。お父様は私の発言に目を見張っている。


「お父様、まず、この病は流行病のように他人に感染する病ではございません。塩気の過剰摂取が引き起こしています」


私がはっきりと断言すると、その場にいる皆が固まった。


「……ですが……もう、このような病に倒れた命を助けるには、臓器移植しか……」


医師がためらいがちに言うと、すぐ反論が起こった。


「だけど、人間の臓器を抜き取る事は禁忌だ。死した人間の魂が完全な状態で天界へ旅立てなくなるだろう?体に欠損が生まれた魂が天界で苦しむ事になるじゃないか」


なるほど、この世界では臓器移植という行為こそ知られていても、許されざる事として扱われてるんだ。


でも打つ手はある。私は咄嗟に口を挟んでいた。


「それでしたら、雑菌のない極めて清潔な環境で飼育された豚の臓器、これを人間の体に移植すれば助かります」


「──豚?!豚って、あの食肉用の家畜の?!」


前世では近年になって豚の臓器が人間に移植された事が話題になったけれど、元々この豚の臓器を移植するというテーマは二十年以上も昔から提起されてはいたのよ。


私は当時その論説が本になっているのをバイト中に見つけて、バイト後に興味半分で買って読んだから、確かに記憶してる。


「豚は、遺伝子の合致率や臓器の大きさの都合が良くて……尚かつ完全に人間の管理の元で飼育される家畜だから、飼育環境を整えれば、病気や寄生虫や感染症の恐れもなく使えるんです」


荒唐無稽だと笑われるかもしれない。でも、この世界にも移植によって救われる命があるんだし、言ってみるだけなら自由だと思う。


何より、この世界の禁忌を冒す訳でもないし。


「そんな馬鹿な、夢物語じゃないのか?」


「だが、他でもないダフォディル様が言い出した事だぞ?誰の教えも受けずに古代文字を会得していた程の頭脳をお持ちなんだ」


言い合いの果てに、お父様が命じる言葉を発した。


「……今すぐ、若くて健康な豚を解剖して調べるんだ。そう医術師に命じなさい」


これは大きな騒ぎを起こす事になったけれど、結論として、臓器の大きさを鑑みれば移植に適した豚の月齢は限られるものの、実現不可能な夢物語ではなく、現実的に可能だと判断されるに至った。


もう重症化してしまっている使用人達は助けられない。でも、今後に繋がる。


私は並行して使用人達の食事も改善するようお父様にお願いした。塩分は控えめにして、朝食も食べさせる事。


お父様は私が使用人達すらも大事に思う優しい娘だと、私の希望通りにする事を約束してくれた。


その甲斐あってか、使用人達は皆、ずいぶんと健康的になっていった。私は感謝され、崇められる程だったけれど……そこまでしなくていいと思いつつも、皆が健康になれれば良しと受けとめた。


そうして私は、この世界で九歳の誕生日を迎えんとする頃には、城内で奇跡の神童とまで呼ばれるようになってしまった。


当の私は知らなかった。お父様とお母様が私を守ろうと、私についての話を城外に出さないよう、騎士や使用人達全てに厳しく命じていた事を。

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