第13話

王城に出入りするようになって、所々でカタロン殿下は冷遇されていると感じる場面が見られた。


まず、カタロン殿下は私室で個人レッスンを受けているみたいだけど、回廊を歩いていると、使用人達が囁きを交わしているのよ。


「またカタロン殿下のお部屋から怒鳴り声が聞こえてきたわ」


「あの爵位の低い教師ね。アイオーン殿下の担当になれなかったから、カタロン殿下を八つ当たりの標的にしてるのよ」


「しっ……アイオーン殿下の婚約者候補様が通るわよ、聞かれていたら私達が上から懲罰を受けるじゃない」


私は聞かなかったふりをして彼女達とすれ違ったものの、内心では何かがおかしいと考えていた。


他にも、カタロン殿下は剣術を習うのにも師範がついていないのよ。アイオーン殿下には凄腕の師範がついているのに。


だから、カタロン殿下は騎士達の中に混ざって鍛錬してる。これは王子なら普通は考えられない。


国王陛下の愛妾本人が築いた立場はアイオーン殿下と私の顔合わせにも立ち会う程強いのに、何で彼女が生んだ王子がそんな虐待を受けるのよ?


どうも、この世界には歪みがある。


ゲーム内のカタロン殿下の設定には、正室から生まれた王子ではないという影こそあったけど、冷遇されて育ったなんて書かれてなかった。


いわゆる裏設定なのかなあ……それにしては重たいし、使用人達があんな話をする事自体がカタロン殿下を貶めてる。妾腹でも間違いなく第一王子なのに。


そんなカタロン殿下は、たまたま遭遇する事もあるけど、爽やかな風貌に温厚そうな落ち着いた佇まいをしていて、私にも礼儀正しい。


「王国の希望に輝ける星にご挨拶申し上げます、カタロン殿下」


「レディ・ダフォディル、今日もアイオーンと楽しい時間を共にして欲しいです。彼はレディが来る日になると楽しみで落ち着かなくなる程ですから」


「もったいないお言葉でございます」


「これ以上足止めをしては、アイオーンとの限りある時間が削られますね。失礼」


そう言って、少しだけいたずらっぽく微笑んで立ち去る姿は悠然としてる。


カタロン殿下は見る限り誰にも、愚痴も弱音も妬み嫉みも口にしていない。


私の事さえも、アイオーン殿下の婚約者候補である令嬢として、いつもこんな感じで丁重に扱おうとする。


「アイオーン殿下、お待たせ致しました。ダフォディルでございます」


「レディ・ダフォディル、待っていました。実はレディの可憐な名の由来について調べたんですよ」


待ち合わせ場所に着くと、アイオーン殿下が嬉しそうに話し出す。


「殿下はお忙しいと思われますのに、わざわざお調べ下さいましたのですか?」


「息抜きにもなりましたし、有意義な時間でしたよ。奥の深い、様々な愛情が交錯する物語でしたね」


「ありがとうございます、殿下。嬉しく存じます。殿下のお名もまた、陛下の親心がこめられた素晴らしいものですわ」


「これでは褒め合いで時間が過ぎてしまいますね。それもまた楽しいでしょうが、今日は庭園の温室を案内しましょう」


「温室でございますか?季節にない花も咲いていると聞き及んでおります」


「他にも、この国の風土では育たない植物も栽培されていて見事ですよ」


「まあ、素敵です。ぜひ拝見させて頂きたく思います」


アイオーン殿下も、臣下の娘でしかない私に対して、礼節を崩さず接してくれるし……私の心に沿わない事はしようとしない。


令嬢扱いって、王家の人達でも丁寧にしてくれるものなんだ……。


意外というか、ゲーム内のやり取りとはかけ離れていて、大切にされる事が何だか落ち着かない時もあるんだよね。丁寧な言葉遣いで優しく紳士的になんて。


そんな私の心中を知らないアイオーン殿下は、私に美しく整えられた温室を見せて下さり、珍しい植物も詳しく教えて下さった。


そこには私が前世で見慣れていた日本固有の花もあって、鮮やかで可愛らしいそれを、どことなく郷愁を覚えながら眺めた。


「忘れられない思い出が出来ましたわ。本当に素晴らしい温室でございました。心より感謝申し上げます」


「レディが喜んでくれたなら何よりですよ」


「とても嬉しく拝見致しましたわ」


「名残惜しいですが、帰りの馬車をあまり待たせてはいけませんね。──次に会う時は、また違った楽しみを用意しますよ」


「お心遣い、痛み入ります」


私に笑いかけて下さるアイオーン殿下もまた、顔合わせの時に呟いた逡巡みたいな弱みを、もう見せようとはしない。


優雅で力強い王子様になっているんだよね。


アイオーン殿下と別れて帰途についた私は、馬車から見える景色をぼんやり眺めてから背もたれに寄りかかった。


……お父様は、こうした時間を共にしている殿下と私が、結果として結ばれる事を願ってるのかな?


殿下は優しいけど、そんな殿下をネガティブな目で見る事なんて出来ないに決まってるけど。


「……前世で恋愛しとくべきだったな……」


だって、私もまた、恋愛には奥手も奥手で経験がなさすぎるんだから。


思わず漏らした一言の呟きは小さくて、誰の耳にも届くものではなかった。


* * *


──これは私が知る由もない話だけれど、アイオーン殿下は私との顔合わせの日から数日経った頃、秘密裡にカタロン殿下の私室を訪れていた。


そこで人払いをして、二人きりの場を作ったらしい。


「お前がこうして私の部屋を訪れるのも久しぶりだな。幼い頃は何心もなく互いの部屋を行き来していたが……」


思いを馳せるカタロン殿下に、アイオーン殿下は頷いて応えた。


「懐かしいですね。ですが、心の距離までは失われは致しません。──ところで兄上、さっそく本題をお話ししますが……レディ・ダフォディルは古代魔法を使える上に、どうも精霊を召喚しているようなのです」


「レディ・ダフォディルが古代魔法を扱えて、精霊と契約まで交わせていると?これらを両立させたという前例が全くない事は、お前も知っているだろう?」


カタロン殿下は信じられないといった面持ちで問い返した。


これは私自身も知らない事実だ。単にかなりのレア、としか認識していなかったから。


「はい。兄上、私が致死量の毒を盛られるか、それとも聖なる力を浴びるかすると、丸一日獣の姿に変わってしまう事はご存知ですよね?」


「ああ、もちろん知っている。そしてこれは、私達二人だけの秘密だ」


「ええ。──私は十歳の時に毒を盛られて仔猫に姿を変え、かろうじて逃げた先でレディ・ダフォディルの庇護を受け、彼女の元にいました。彼女の契約したであろう精霊の力により、私は猫の姿から人に戻る事が叶わず……代わりに解毒されました」


あの時の猫ちゃんは、毒で弱ったアイオーン殿下だったのだ。そうだとしても、なぜ精霊達は私に問う事もなくアイオーン殿下を解毒したのか分からない。


それに、そんなに幼い頃にも命を狙われていたのなら、毒矢もはじめからアイオーン殿下を狙っていたと考えるのが自然になってしまう。


「そんな……正室の子であるお前に毒を盛る者がいただなんて……この王城の誰がお前の死で得をするというんだ?──まさか、私の母が何かを企んで……」


「それはあまり現実的ではありません。私が消えても、第三王子と第四王子が控えています。まだ幼くとも、父上はご健在ですし王位を譲る気がありませんから──譲位の頃には立派に成長しているでしょう」


これは、ますます謎が深まる。愛妾が手を下したのではないなら、誰かが彼女の意を汲んで独断行動に出たのだろうか?


「そういえば、アシェラにお前を警護するように申しつけていた時にも、猫に姿を変えたと聞いているが……」


「アシェラを見張りにつけて下さっていたのは、やはり兄上でしたか。あの時は助かりました」


「いや、私は念の為を考えただけで……。お前がレディとの顔合わせで薔薇園にいたところに曲者が矢を放ち、アシェラがその者を生け捕りにしようとした瞬間、金色の煙が上がったと報告を受けたが……まさか、あれもレディが契約した精霊の力によるものだと言うのか?」


「はい、レディ・ダフォディルに付く精霊の癒しの力によるものです。──曲者は捕まりましたか?」


「……すまない、捕縛した際に舌を噛んで自害されてしまった」


「兄上に何の落ち度がありましょうか。それよりも、裏で手を回しているのが何者なのか……私達で探し出す必要がありますね」


それも危険が伴うだろうけど……放っておいても次の刺客が出てくるんだろうし、難しい。


カタロン殿下は深く頷いて声を低く落とした。


「──ああ。そして、これにレディを巻き込む訳にはいかない。危険すぎる」


「はい、同感です。これらの事を父上や母上に話せば、レディ・ダフォディルが王家に縛られる事になるでしょう。ですから、他の人には絶対に言いません。兄上だけにお話しするものです。この意味をご理解頂けたらと思います」


「分かった。この事は私達の心の内だけに秘めておこう」


「やはり兄上は理解がお早い。──レディ・ダフォディルは、抜きん出て聡明で博識な令嬢です。私達の名が遠い異国の、歴史ある言語を元に付けられた事さえ知っていた程に」


「あの言語を?貴族令嬢が習う言語ではない」


「ええ。なのに習得しているかのように口にしました」


ギリシャ語がそんなに珍しく難しい言語として扱われていたなんて、私には知る由もない。確かに前世でも、ギリシャ語は単語さえも詳しく知る日本人はあまりいなかったけど。


「一体どのような教育を受けて育てば、そのような秀でた令嬢に育つのか……」


「私にも分かりません。しかし、私達にはそれぞれに担うべき役割があり、それは私達だからこそ担えるものだとレディから諭されたのです」


「それぞれに、役割が……そうした考えを持てた事は今までになかった。ただ、自分達が王族や貴族達の思惑の中で足掻いてきたと……」


「そうです。その概念を覆すのがレディです。兄上、私は兄上にも、レディと打ち解けて話してみて頂きたく思います」


「レディ・ダフォディル……冥府の天国で咲き誇る花、か……」


こうした影のやり取りで、カタロン殿下は私個人に関心をいだくようになったらしい。


弟であるアイオーン殿下の婚約者候補、その立場を認識しつつも、他でもないアイオーン殿下からの勧めで、私への接触をはかる事にしたようだ。


この密談を知らない私は、いつものようにアイオーン殿下と会う為に王城へ出向いた。


「レディ、今日は私の兄を改めて紹介させてもらいます。私にとって、兄は頼れる存在なのですよ」


「──カタロン殿下を私に、ですか?」


意味が分からなくて首を傾げた私に、カタロン殿下から話しかけてきた。


「レディ・ダフォディル、王城では何度かすれ違う機会もありましたね。私はアイオーンの異母兄にあたります。いつもアイオーンと親しくしてくれている事に感謝します」


「あ……畏れ多い事でございます、私こそアイオーン殿下にはご親切にして頂けており、感謝の念は尽きません」


「兄上、給仕係に紅茶を用意させました。立ち話もレディが疲れるでしょうから、皆で席に着きましょう」


「さすがの気遣いだ。──レディも突然の事に戸惑いがあるでしょうが、本日は私もご一緒させて下さい」


「は、はい……光栄に存じます」


目の前で何が起きてるんだろう?この展開は読めないにも程がある。


攻略対象だったキャラクターの三人目が、今の現実に──まだゲームでのストーリーも始まる前の今に、私と繋がりを持とうとしてる。


私は半ば呆然としながら、今の私はフィニアス侯爵家令嬢のダフォディルだと、頭の中で繰り返した。


勧められて口にした紅茶の熱さが、これは現実だと告げている。


──それからは、時折カタロン殿下も会話に加わるようになって、私の身辺は目まぐるしく変化していった。

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