十七 つかむ手

 荒川の死が確定すると、大輝の姿は霞んで煙のように消えていく。と同時に、宙に浮いていた死体が床にたたきつけられ、すさまじい音が狭い書籍室に響き渡った。


「警部、何かありましたか?」


 扉の外で待機していた巡査が、慌てた声で上司の藤木に問うてきた。


「だ、大丈夫だ。そのまま待機しろ」


 なんとか平静を装う藤木だったが、きつい視線で秋貴を見据えた。


「なんなんだ、いったい。何が起こったんだ」


 藤木の狼狽を横目に、秋貴は涼しい声で答えた。


「呪いとは、認知しないと発動しないのです。自分は呪われていると、強く思えば思うほど、呪いは事実となる」


「その言い草じゃあ、おまえが荒川に呪われてるって言わなかったら、死なずにすんだんじゃないのか?」


 非難が混じる藤木の視線を、真っすぐ秋貴は受け止める。


「僕は、借りを返したまで。偶然にも先ほど荒川さんに殺されかけたところを、大輝に助けられたので」


「なんだよ、幽霊に借りを返すって。意味がわからねえ」


「まあ、わからないですよね。普通は……」


 秋貴はかすれた声でぽつりともらすと、その場を後にした。扉を開けると、従順に書籍室を守っていた巡査がさっと秋貴に道を譲る。


 秋貴は礼を言わずに二階へ向かおうと、折り階段の下までやってきた。すると、上から真っ青な顔色の竹子夫人が女中に支えられながら下りてきた。

 先ほどの騒動で崩れた髪型と奈良時代の女官の衣装は、きれいに整えられている。


「頭が割れるように痛いのよ。死んでしまいそうなほどつらい」


「奥さま、しっかりなさいませ。先ほどの騒ぎの心労ですよ。さあ、お屋敷に帰りましょう」


 ふらふらと夢遊病者のような足取りの夫人と、秋貴はすれ違う。数段のぼったところで、後ろを振り返り天平美人の背中をじっと見つめた。

 その瞳の中には秋貴にしか見えないものが、映っているようだった。


 秋貴はひとつため息をつき、ゆっくりと階段をのぼり始める。陽気な音楽につられ舞踏室に足を踏み入れると、軍服姿の勇ましい姿の日向子が異国の花売り娘の姿をしたご婦人を相手に、ダンスを踊っている。

 秋貴はその姿を目で追い、眉根に深く皺を刻んだ。


 優雅な音楽に合わせて揺れる日向子の左肩を、黒く不気味な女の手が獲物をつかむように長い爪を立てていた。手だけが秋貴に見えており、本体の体はまだない。

 秋貴にはわかっていた。手から徐々に姿を現しすべてが見えた時、日向子の命を奪っていくと。


 その呪いの手は、秋貴として日向子に出会った時から離れることなくずっとそこにいる。

 それは、正太郎が無邪気にも見えないものを見せたせいなのか……。


 この世ならざる者の存在を日向子が信じれば信じるほど、呪いは確実に日向子の命を縮める。

 秋貴に見えている世界は、常人には干渉しない。しかしひとたびその存在を信じれば、たちまち侵食されていく。


 秋貴は日向子のために、普通ではありえない怪異を否定し続けなければならない。それは同時に見えないものが見えると言った、かつての正太郎を葬り去ることでもあるのだ。



 

 日向子がご婦人相手にダンスを踊り終えると、ちょうど舞踏室の入り口に立つ秋貴の姿が目にとまった。


「失礼」と、ご婦人に断り日向子は秋貴に駆け寄る。


「どこ行ってたの? あなたと踊りたかったのに」


 秋貴はほほ笑んだが、なぜか今にも泣き出しそうなほど気弱な笑顔だった。


「まだ僕は、人前で踊るのは恥ずかしいです。それより、ベランダに出ませんか?」


 日向子は秋貴の様子が気になり、大人しく従う。二人でベランダに出ると、冷え込む師走の夜なので外には誰もいない。

 透かし模様が施された手すりにもたれ、二人は並んで満天の夜空を見上げた。


「今日は花火の代わりに、星がきれいね」


 日向子が珍しく気を利かせてロマンチックなことを言っても、秋貴はのってこない。いよいよどうしたのだろうといぶかる日向子は、先ほど秋貴に心配されたことを思い出した。


 男勝りな大立ち回りを心配されたというのに、しおらしくするどころか日向子は調子にのって男性になりきり元気にダンスを踊っていたのだ。

さすがに呆れられたのだろうかと、心配になってきた。


「あの、やっぱり嫌だった? あんな棒を振り回して暴れるような子……」


 少し前までの日向子ならば、秋貴にどう思われても気にもしなかったのだが。

 人は相手がどうでもいい時は自分を高く評価し、好意を持つ相手には途端に自信がなくなるものである。


 秋貴はふるふると力なく、首をふる。それでも、日向子はついつい自己評価を下げるようなことを口にする。このさい、自分の汚点を秋貴に知ってもらおうと思ったのだ。

 秋貴はどこまで日向子のことを許容できるのか……。ためしてみたい。


「あなたは知らないだろうけど、わたしっておじいさまに呪われた子だって言われ……」


 日向子は続きを言うことができなかった。秋貴が日向子の背後から息が苦しくなるほど強く、抱きしめてきたのだ。

 初めてであった時に嗅いだ、芥子の香りに包まれた。あの時、二人は同じくらいの背丈だったはずなのに、今秋貴の背は伸びたくましく成長している。


「そんなこと、言わないでください。日向子さんは呪われてなんかいません。絶対」


 日向子の左肩に顔をうずめる秋貴の声は、くぐもっていた。


「あははっ、そうよね。今どき呪いなんてないわよね。正太郎が見せてくれた不思議なものも、目の錯覚だったのよ、きっと」


 日向子は後ろから抱きしめられるというときめく行為に、胸の鼓動がひどくさわがしい。


「あなたにふりかかるすべてのものを、僕が肩代わりできたらいいのに……」


 思いつめた秋貴の台詞に、日向子は少しだけ不満に思う。

 自分が背負うものを、人に肩代わりなどさせられない。自分で解決するべきものだ。それは運命ではなく、宿命である。


 そう思った日向子の耳元で、初の声が聞こえたような気がした。


『こういう時は、しおらしく黙って好意を受け取るものよ』


 日向子は反論するかわりに、前に回された秋貴の手にそっと自分の手を重ねたのだった。


         第一話 完結

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猫かぶり令嬢の許嫁は、嘘つき書生~明治怪奇事件簿 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei

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