図書室のウツボ

八咫空 朱穏

図書室のウツボ

「ちょっと男子ぃ! 教室に変な虫を放さないでよね!」

「うわっ、委員長に見つかっちまった……」

「あー、めんどいことになった。言わんこっちゃない……」

「お前ら逃げるぞー!」

「まちなさーーい!!」


 追いかける女子から逃げる悪戯いたずら男子。教室の雰囲気は3月になっても変わらずに賑やかなものだ。僕も3年間変わらず教室の隅で本を読んで過ごした。男女のドタバタが騒がしく感じる時は図書室の隅っこに避難して、静寂の中で本の世界に浸る。今日は結構うるさくなりそうだなぁ。ドタバタのメンバーを目で追いつつ本を閉じて絡まれないようにそっと教室を出る。教室に居たままぼんやりしてると、ほんとに巻き込まれる可能性がある……というか実際数回巻き込まれて痛い目を見た。


「キャァァァアア」

「ははっ、引っかかってら」


 背中の方から悲鳴と笑い声が響く。きっとまたなんか悪戯男子が虫でも見せたんだろう。巻き込まれなくてよかったと思いつつ静かに図書室に向かう。教室と打って変わって廊下には人がまばらで静かだ。休み時間の喧騒けんそうが漏れ出る廊下にかすかな上履きの音だけが常に同じ大きさで一定のリズムを刻む。


 図書室の引き戸を開けていつもの読書スペースに目をやると先客と目が合った。


「あっ……こ、こんにちは」


 いつもの控えめにお辞儀をし、少し隅っこに寄ってスペースを開ける。


「こんにちは」


 僕は開けてもらったスペースに座って、持ってきた本を開く。眼鏡の文学少女も同じように読書を再開する。これもいつからか普通のことになった。僕が図書室に行くと決まってこの少女が読書スペースに座って本読んでいる。乾いた紙の音が耳に届いて物語の世界に吸い込まれてゆく。


  ☆   ☆


 本棚をじっと見て題名から面白そうな本を探していた時のこと。


 ドスッ。


 鈍い音がして目の前の本棚が揺れた。何かあったのだろうと本探しを中断して反対側に回り込むと、小さな女の子が座り込んで頭を抱えていた。


「大丈夫?」

「だだ、大丈夫でしゅっ!!」


 恥ずかしさからだろうか顔を真っ赤にしてその場を駆けだすも、今度は足をもつれされて転んで、またうずくまってしまった。 


「大丈夫……?」

「だいじょ――ゔっ……。じゃない、です……」


 立ち上がろうとして足首の辺りを押さえる。足をくじいてしまったのだろう、流石に人としてこのまま放っておくわけにはいかない。


「保健室、連れていくよ」

「はいぃ、お願いします……」


 顔の赤さは引かないままの女の子を保健室まで送り届けて、この日の休み時間は終わってしまった。


 次の日も昨日の続きをしに図書室に向かうと、昨日の女の子が読書スペースに座って本を読んでた。こちらに気付くと、脚を引きずりながら近づいてきて「ごご、ごめんなさいっっ!」直角三角形もびっくりの角度で謝罪された。


「気にしないで、あれは事故でしょ?」

「うん……。ありがとう。で、でもっ、昨日のことは誰にも話さないでね? 絶対に、内緒だからね……? し、知られたら恥ずかしいし……」

「うん、わかってるよ。誰にも言わないって約束するよ」


 そんな小説とかアニメでしか見たことのないような出会いが、この子との最初のエピソードだった。


 ☆  ☆


 布の擦れる微かな違和感が僕を小説の世界から現実の世界に引き戻した。本から目を落とすと、もう女の子との距離がほぼゼロになっていた。あれ、こんなに距離近かったっけ? まあいいや、そろそろ教室に戻って授業の準備をしないと。立ち上がろうとすると、腕を掴まれた。


「えっ?」

「もうちょっとだけ隣に居て?」


 いきなりの言葉に目を白黒させていると、女の子が口を開く。眼鏡の奥の瞳は揺らいで、顔がいつもより赤い気がする。


「だって、お昼休みは今日が最後だもん」

「確かに、今日が最後だね」


 きゅっと、握られている手に力がこもる。


「だから、その……えっと、その……さ、最初に会ったときあるでしょ? ほら、ね? そのときから、その……君のことが、わ、忘れられなくて……。それで、ね? 私……きっ、君のことがす、す……す、すき……なんです……」

「…………」

「…………」


 物静かそうで小柄な彼女から考えたこともないようなセリフが飛び出してきた。それに、痛いくらいに掴まれた腕には力が込められている。


「えっ……!?」

「え、あっ、えっ……ご、ごめん……。わ、私なんか――」


 今にも泣き出してしまいそうな女の子。正直こういう状況に直面しても残酷なことに回答は2つしかない。だけど僕には片方の解答を選ぶ余地も、彼女に残酷さを見せる気持ちもない。


「僕でいいのなら、喜んで」


 僕は彼女の気持ちを受け止める。そこで初めて彼女の口元が緩む。


「えへへ、うれしい……。今日のことは内緒、絶対、誰にも話さないでね。それと今は君のこと、しばらくは離さなから」

「チャイムが鳴る前には離してね? 5限目に遅れちゃうのはお互いマズいでしょ」

「うん、わかってる。それまでは離さないよ」


 彼女はにっこり笑う。僕が知らない彼女が――恋人になった彼女がそこにはいた。 その笑顔を見ていると、さっきまで読んでいた海の話が頭をかすめていく。ウツボは噛みついた獲物をはなさない、僕は彼女の獲物にされてしまったような気がする。でもそんなことはどうでもいい。3年間何も変わらないはずだった日常は、わずかな時間だけ変わるのだから。

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図書室のウツボ 八咫空 朱穏 @Sunon_Yatazora

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