煙水晶の影(四)
鷹岡家の人間が遭遇していた謎の人影の正体は、それが何の姿なのかはわかったものの、逆に謎は深まった。いっそ、単なるストーカーだとかの方がまだ対処はしやすい。実在の不審者なら明白に警察の仕事になる。だが、一家の人間の周囲に現れる一連の人影は、話を聞く限りでは実在の人間ではない。
「ひとまずこれは、解決に役立つかどうかは未知数ですが、重要な情報です」
玲司は、スマートフォンに素早く情報を打ち込む。事件用に作成したメモフォルダには、すでに事件の概要が事細かにまとめられていた。
「そこで、これから…やや特殊な調べ物をしたいのですが」
玲司は、懐から紫の紐が下がった物体を取り出して、左手で示してみせた。それは、紫檀と水晶の玉でできた数珠だった。娘の鷹岡直美は、何事かと母の眞由美を一瞬見たが、眞由美が状況を理解している様子を見て、ひとまず冷静さを保っていた。
「まず断っておきますが、私はあくまで探偵でして、こちらの能力に関しては、長けているというわけではありません」
そう断りを入れながら、玲司は鷹岡母娘が手もとを見つめるなか、合掌して暫し目を閉じた。時間にしてほんの十数秒だが、母娘にはとても長く感じられたようだった。
「亡くなられた元会長の鷹岡精三さんは、ずいぶん多趣味な方だったようですね。突然体調を崩された昨年末には、中国茶のセットをわざわざ香港からお取り寄せになった」
それを聞いて、眞由美と直美は飛び上がるほど驚いて、互いを見たあとで玲司に迫った。
「そう!そうです!」
「曾祖父は、得意げに私達に、にわかに覚えた淹れ方を披露してくれました」
「けれど、そんな事は私たち、ごく一部の家族しか知らない話の筈です」
やや怪訝そうな目を向けられると、玲司も慌ててフォローを入れた。
「精三氏のお宅に探りを入れたとか、そういう話ではありません。ただ、仕事の前に一応、私の話に信憑性を持たせたく思いまして、いま精三氏とコンタクトを取りました」
「コンタクトって…」
「世俗的な言葉で言うなら、『霊視』という事になるんでしょうか」
すると、直美が身を乗り出してきた。
「曾祖父が、いらしてるんですか」
「来訪する、という意味ではここにはいません。霊にはそもそも、居るとか、居ないという概念がないのですが…まあ、そこは話せば長くなるとして。簡単にいうと、お二人と精三氏の繋がり、記憶にアクセスした、ということです。ただし」
少し冷めたお茶で喉を潤すと、玲司は数珠を持った手をおろした。
「心霊にもプライバシーのようなものがあります。私が精三氏からアクセスを許可されたのは、今の中国茶の話のような、ごく些細な記憶についてです」
「なにか、私たちに伝えたい事とかは、仰ってましたか」
眞由美の問いは、玲司が今まで、何度も聞かされた問いだった。人は、亡くなった人が何か語りかけてくれないかと、期待するものである。
「がっかりされるかも知れませんが、特にない、というのが答えになります。ただしこれは、心配する事は何もないよ、という事でもあるでしょう」
「…そうですか」
直美は少し残念そうだったが、とりあえず玲司としては、霊能力について疑いを持たれていない事は助かった。だが、わずかに霊視で感じた違和感を、玲司は補足した。
「ただし、みなさんのご一家に対しては何もないようですが、何となく、漠然とですが…微かな警戒のようなものは感じました」
「警戒?」
眞由美が訊ねるも、玲司の能力ではそれ以上の、細かい所までは把握し切れない。しょせんは中途半端な”霊能者もどき”である。だが、いま起きている事件と無関係、と切り捨てる事はできそうにない。
そこで玲司は思い切って、いま高岡眞由美の家族が遭遇している事件について、高岡精三に訊ねてみた。判明した、アフリカ先住民族といったキーワードも含めて。だがそこで、予想外の事態が起こる。
「うっ!」
玲司は、改めて亡くなった鷹岡精三の魂に焦点を合わせた。だが謎の人影について訊ねようとした時、かすかに人の頭のようなものが見えた次の瞬間、霊的な意味での視界が、真っ黒な霧のようなものに覆われてしまった。さらには室内に、風船が割れるようなラップ音が響く。それは玲司自身の生身の神経にも作用し、一瞬だが玲司は目眩を覚え、頭をテーブルに打ちかけた。
「ちょっと!」
亜希が慌てて襟首を掴み、ソファーに引き戻す。怪訝そうに鷹岡母娘が見守るなか、玲司はようやく我を取り戻して姿勢をただした。
「すみません。ちょっと妨害を受けました」
玲司がいま起きた事を説明すると、母娘は青ざめた。玲司ひとりが目まいを起こしているなら自作自演の疑いも持たれかねないが、その場にいる4人がラップ音を聴いている。自分達の前に現れた影について霊視したら、妨害を受けるというのはどういう事なのか。そしてこれで、謎の人影が生きている人間に対して、何らかの影響を及ぼす事も確認された。
「いったい、何が起きたのですか」
もう眞由美も、これが心霊現象である事を完全に受け入れていた。玲司にとっては、これが何者かの妨害である事は明白だったが、それ以上探りを入れる事ができないのが、玲司の霊能力の限界である。
「例の、あなた方ご家族が見たという人影について、精三さんを通じて探りを入れてみました。すると、何かの思念がそれを調べる事を妨害してきたのです」
「何かの思念、とは?」
「そこまでは、私の能力では追いきれません。ですが、ひとつハッキリした事があります」
玲司はメモ帳を取り出し、現状を簡単な相関図にまとめながら話を整理した。
「今回の事件には、直接か間接かはわかりませんが、亡くなられた精三さんが関係しているようです」
「どっ、どういう意味ですか。祖父が…直美たちの曾祖父の精三が、呪いでもかけているという事ですか」
「いやいや。おっと、失礼」
つい失笑した事を詫びつつ、玲司は相関図に描かれた、謎の人影をペンの先で示した。
「まず、ハッキリした事があります。この皆さんが目撃されている人影。これは間違いなく、霊的な存在だということです。そこはもう、曖昧にしないでおきましょう」
「でっ、ではその、さっき写真を検索したような…」
「アフリカの先住民族。いや、まだアフリカと決まったわけではありません。例えば中南米の、コロンブスが来る前にいたような人々かも知れない。ただ、さきほど精三氏に訊ねた際、『アフリカ』というキーワードに強く反応があった事は、意味深だと思います」
冷めきったお茶をひと口飲んで、玲司は訊ねた。
「精三氏とアフリカ。これに何か、関連する出来事だとかはありますか」
その唐突な問いに、眞由美は首を傾げた。
「各国を事業で渡り歩いてきた人ですので、アフリカ大陸にも何度も訪問しているはずですが…特別にアフリカ大陸との結び付きが強かったかどうかは何とも」
鷹岡精三は、その親の代から事業を引き継ぐと、海外のインフラ業者などと共同で、発電所や浄水施設などの仕事を手掛けることで、事業の範囲を拡大させてきたという。アフリカでは西側の、比較的政情不安定な地域での開発協力に力を入れていたという。
「ですが、それはアフリカ大陸に限った話ではありません。西アジアや中南米では環境保全などにも取り組んでおりましたし、ことさらアフリカが、というような事はなかったかと思います」
「ふむ」
玲司は考える。よくあるのは、旅行先で古い寺院や廃墟を観光して、そこで「拾ってくる」パターンだ。いま隣にいる亜希も、友人たちと旅行した先の禅林街で、あまりたちの良くない仏僧の霊を拾ってきて、体調を崩した事がある。
「それで、闇淤加美さん、どうなのでしょう。あの霊は、やっぱり危険なものなのでしょうか」
つまるところ、それが鷹岡眞由美の最大の不安だった。だが、玲司にもその点に関しては、断定することができない。
「こう言っては頼りないと思われそうですが、正直に申し上げて、絶対に不安はない、と断言することはできません」
そう言われて、母娘は顔を強張らせた。玲司はいちおうフォローをいれる。
「ですが、これは希望的観測かも知れませんが、少なくともお二人に対して、悪意を持っている存在には思えません。そういう霊は、すぐにわかります。現に今まで、物陰だとかに姿が見えた事以外、何か体調が悪いといった事はありますか」
その指摘に、眞由美と直美はハッとして顔を見合わせた。玲司は続ける。
「この所員の加藤も以前、旅行先で250年くらい前の、お坊さんの霊を拾って来た事があります。あん時、面白かったな」
半笑いを向けると、亜希は不愉快そうに腕を組んだ。
「ひどかったよ!頭痛はするし、目眩も吐き気も!病院行っても原因不明って言われるしさ」
「あの坊さんは修行僧で、食い意地の張ってる君を戒めようとしてたんだ。まあ、その点に関しては僕も同意見だ」
「同意見ってなによ!」
突然始まった漫談に、娘の直美は思わず吹き出した。いくらか緊張をほぐす事は出来たらしい。そこで玲司は、改めて胸元から、4つの小さなポーチを取り出してテーブルに置いた。
「これは、こういう時にレンタルしている物なのですが」
ポーチを紐解くと、中から出て来たのはストーンショップで売られているような、水晶のブレスレットだった。8ミリ玉が基本で、アクセントに6ミリのアメジストやシトリンが配置してある。
「事件が解決しだい返却していただきますが、それまで御守りに、みなさんで所持してください。例の人影が現れなくなるかどうかはわかりませんが、悪意を持ったものの影響から身を守ってくれるはずです」
「これは私が作りました。ぜんぶ天然石だよ」
亜希は、シトリンのブレスレットを得意げに指差した。直美が、興味深そうにそれを持ち上げる。
「きれい」
「直感で気に入ったのなら、それがいちばん相性がいいストーンってことだよ。中には事件のあと、売ってくれっていう人もいるけど、非売品なんだ」
そう聞くと、直美は少し残念そうにそれを左手首にはめて、天然水晶がキラキラ光る様子を眺めていた。
「うちは探偵社ですし、霊感商法まがいの事をするわけにも行きません。ひとまず、ご家族でこれを身に着けておいてください。もしデザインがお気に入りでしたら、土台のブレスレットを作ってくれているお店を紹介はできます」
残っていたアメジスト、ローズクォーツ、スモーキークォーツつきの物のうち、眞由美はローズクォーツのブレスを手に取った。のこり2つはここにいない彼女の夫・正典と、息子の直哉のぶんだ。
「ちなみに、時としてこのブレスが身代わりになって、千切れたり、割れたり、珠が曇って変形する事があるかも知れません。その時は、そちらの責任にはなりませんので、心配されませんように」
とりあえず、渡す物は渡した。そこからは玲司が調査する段取りを大雑把に説明し、一家の家族構成、人影を見た者が他の親族、あるいは鷹岡工務店の社員にいないかを、鷹岡眞由美自身に確認してもらう事となった。
話の流れで、今日話を聞くはずだった、長男の鷹岡直哉16歳の話題になった。眞由美は少しばかり困ったような表情を見せる。
「申し訳ありません。探偵さんが来られると言っていたのに、あの子ときたら部活にも入っておらず、友達と遊んでばかりで…」
「いえ、まあお話を聞ければそれでこちらは十分ですので…ただ、直哉さんが一番多く、黒い影を目撃している、というのは本当ですか」
おそらく今回のケースで重要と思われるポイントについて訊ねると、妹の直美が答えた。
「はい。最初にそれに気付いたのが兄です。ある夕方、いつもなら友人と遊び歩いている兄が妙に慌てた様子で、駆け込むように帰宅してきました」
「その日に初めて目撃したと?」
「目撃したのは初めてだと思います。とても慌てていましたから。でも、影そのものがいつから現れていたのかは、わかりません。気付いていなかっただけで、もっと前から現れていたのかも」
なるほど、とメモを取りながら、玲司は出来事の全体像を頭の中で大まかに組み立てていった。
かりに黒い人影が何年も前から現れていたというのなら、それがこの数か月前になってようやく気付いた、というのは考えにくい。目撃し、その存在に気付いたのが昨年末に鷹岡精三が死去した後だった、というのは、時系列的に見て整合性が取れる。それが何を意味するのかはともかくだ。
「直哉さんが最初に見た影というのも、みなさんが目撃されているのと同じようなものですか?」
「はい。話を聞く限りでは、細かな違いはあっても、おおよそ似たような姿の影を、全員が見ているようです」
「それは、どういう時に現れるのですか。例えば今、あの窓を開けたらどこかに見えたりしますか?」
玲司は踏み込んで訊ねた。そこで、娘の直美がブラインドを上げ、東側の窓の外が見えるようにした。外は華美ではないが、桜や松の木の周りに薔薇やツツジが、花の咲く日を待つように植えられている。塀の向こうに市街地のビル群が見えた。
だがそこで母娘は、何かに気付いたようにハッと互いの顔を見た。
「なにか?」
「いえ、その…そうだわ。こんな事に、どうして今まで気付かなかったのかしら」
眞由美は、不思議そうに窓の外を見た。
「言われて見ると、あの影はこの自宅の敷地内では、一度も見ていないかも知れません」
「本当ですか」
「ええ。そうよね、直美」
眞由美が確認すると、直美も頷いた。
「はい。父と兄はどうかわかりませんが、私も確かにそうです。あの影に遭遇するのは、決まって外出時です」
それはいったい、どういう事なのか。玲司と亜希も、互いに首を傾げる。だがそこで玲司は、ひとつの仮説を立てた。
「そうなると、ひとつハッキリした事があります。つまりあの霊たち――霊、と断定しますが、彼らの行動は間違いなく、今いるこの、鷹岡正典邸およびそこに住む家族が、何らかの基準になっているらしい、ということです」
「つまり、血筋とかではなく、この家、ってことね」
亜希が補足すると、玲司は頷いて鷹岡母娘を向いた。
「そうです。この邸宅そのものに、何かがあるんです。その黒い影と、ご家族みなさんを結び付ける何かが」
玲司はそう断定したものの、それが何であるかは、いまだ闇の中だった。
闇淤加美探偵社 塚原春海 @Zkahara13
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。闇淤加美探偵社の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます