煙水晶の影(三)

 おあつらえ向きのタイミングで、玲司の自家用車兼社用車である、シルバーのトヨタ・ヤリスの車検が完了した、との連絡がディーラーから入った。

 それを口実に、亜希の質問から逃げるように玲司が引き取りに行っているあいだ、亜希は大盛りチキンカツ弁当を、紅しょうがの1片まできれいに片付けた。玲司が戻って来ると、亜希は600ミリリットルのペプシを飲みながらガリガリ君をかじっていた。

「脂肪と炭水化物と塩分とカフェインと糖分のお祭りだ」

 地獄を見るような目をテーブルの上に向けると、亜希は「私、若いもの」と言ってのける。そう言っていられるのはせいぜいあと6、7年だ。

「それで、改めて訊くけど。朝ここにいた子、誰?」

 無関心と興味津々の中間くらいの顔を、亜希は向ける。玲司は買ってきたブラックコーヒーのキャップをひねると、ひと口あおってスチールパイプの椅子に腰をおろした。

「依頼人だ。ただし、まだ受けるかどうか決まっていない。未成年だからな。保護者と話し合う」

「ふうん。わざわざうちに来たってことは、”あっち”の案件?」

 あっちの案件、とは要するに、霊視の類の案件か、という事である。亜希自身は霊感など持っていないが、そっち方面の依頼はすでに何件も片付けてきたし、除霊に使う塩だのロウソクだのを準備するのは、半分くらい亜希の仕事だった。

「まだわからん。まあどっちかと言うと、医者か、科学者の領分だろうな」

「なにそれ」

 亜希は、怪訝そうに玲司を見た。テーブルの上のゴミを片付け、やや乱雑に布巾で拭くと、飲みかけのペプシにライムグリーンの輪ゴムをはめる。 

 不審な女子高校生、三階チカからの相談内容を聞くと、亜希はペン型レコーダーなど、探偵調査の小道具のバッテリー残量などを確認しながら首を傾げた。

「そういう体質の人間がいる、ってのはTVとかで見たことあるけど」

「こういうやつだな」

 玲司はタブレットで、どこかの国の太った放電体質の男の動画を再生した。電球を握っただけで点灯している。手品でないとは言い切れないが、仕掛けがあるようにも見えない。

「こんな感じなの?」

「まあ基本的にはな。TVも、エアコンも勝手に動いた」

「壊れてないでしょうね」

 心配そうに亜希はTVのリモコンを押した。玲司は、そろそろ買い替えどきなので壊れていればいい口実になる、と思ったものの、以前勤めていた探偵社の上司からもらった、古くて厚いTVは頑丈だった。

「まだ捕まってないの?」

 ちょうど映ったのは、午前中にニュースになっていた、仙郷市内の殺人事件の続報だった。やや横幅が広い男性リポーターが、ブルーシートをバックに甲高い声を張り上げる。

『えー警察発表によりますと、犯行は午前3時から5時台にかけて行われた可能性が高い、とのことです。犯人は幅の広い刃物を凶器として使用したらしく、警察は凶器の行方もふくめて近隣の聞き込み調査を進めている、ということでした』

 すでに全国ネットだ。ニュースによれば殺害されたのは30代男性、それ以上の身元はまだ発表されていないが、警察はすでに洗っているだろう。

「3時から5時台。二人目の、依頼人の鷹岡眞由美とかいう人が来た時間の少し前だね」

 亜希の指摘に、玲司は小さく頷いた。

「まあ考えないでもなかったがな」

「鷹岡眞由美がこの男を殺害した犯人で、アリバイ作りのためにストーカー被害をでっち上げてこの事務所を訪れた。急いでるような雰囲気だったんでしょ?」

 さすが探偵、よく細かい話を聞いている。玲司は苦笑した。

「確かに、事件現場はここから13km近く離れているが、朝のガラ空きの道路なら、思い切り飛ばせば10分そこらで市内まで移動できる」

「そう。男を殺害して、車でぶっ飛ばして市内に移動。車はどこかに停めておいて、適当に時間つぶして、タクシーでこの事務所まで移動する。もちろん領収書も切ってもらう」

「タクシー運転手と俺という接触相手、領収書という、3つのアリバイができる事になるな。だがな」

 玲司はコーヒーをひと口飲んで、人差し指を立てた。

「そうなると、わけのわからない依頼をでっち上げる必然性がなくなる。時間と居場所の証明で済むなら、タクシーと、コンビニの領収書あたりで事足りるだろう。目撃証言、店内監視カメラの情報と併せてな」

 わざわざ、ご丁寧に素性まで明かして、探偵社に駆け込む必要はない。もっとも、亜希が最初から適当な事を言っているのはわかっていたが。

「怪しいというなら、さっきここにいた件の女子高校生だってそうだがな。あの子は車もバイクも所持していない以上、犯行を行ったあとでタクシーを拾う以外にない。しかし、まだ日も明けない時間にタクシーを拾う女子高校生なんて、自分は不審者ですと説明してるようなものだ」

 それに、と玲司は言った。

「もし死亡推定時刻が報道のとおりなら、そんな時間に郊外近くの県道を、徒歩で移動している黒スーツの男というのは一体何者なんだ、という話になる」

「怪しさで言えば、被害者が一番怪しいか」

「そもそも、犯行現場付近に血のついていない刃物が落ちていた、なんてどう考えてもおかしい。状況から考えられるのは…」

 そこまで言ったところで、事務所の電話が鳴った。玲司が立ち上がるのに先んじて、亜希が受話器を取る。

「はい、闇淤加美探偵社です」

『…ええと、先ほどそちらに伺いました、鷹岡と申しますが』

「ああ、はい。応対した者に代わりますので、お待ちください」

 保留ボタンも押さず、マイクを手でふさいで亜希は受話器を差し向けた。

「さっき来た鷹岡さんだって」

「なに!?」

 玲司に軽く緊張が走る。たった今、その鷹岡眞由美が怪しい、といった話をしたばかりだ。呼吸を整え、ゆっくりと受話器をあてがう。

「お電話代わりました、闇淤加美です」

『先程はありがとうございました』

「いいえ、こちらこそ」

 いかがなさいましたか、と訊ねようと思ったが、つい沈黙が勝ってしまう。しかし、鷹岡眞由美は勝手に話を始めた。

『大変申し訳ないのですが、今日の息子の直哉との面会は、無しにしていただけますでしょうか』

 やや急ぎ気味にそう伝えられ、玲司は訝ったものの、平静をとりつくろって答える。

「ええ、鷹岡さんのご都合にお任せしますが」

『申し訳ございません。ほんとにあの子は…ああ、ごめんなさい。依頼を取り下げるとか、そういう話ではありませんので』

 その、かすかに聞こえた息子への愚痴に真剣みが感じられたので、玲司は何となく察して聞かなかったふりをした。

「そうでしたか。私としては、とりあえず鷹岡さんご一家が無事であれば安心です。ご存知かとは思いますが、市内で大変な事件が起きておりますので」

 必要ないかとは思ったが、いちおうカマをかけてみる。すると、眞由美からはすぐに返事があった。

『ええ、ニュースは社でも確認しております。ありがとうございます。いえ、お恥ずかしい話なのですが、息子と娘にも、さっさと帰宅するように伝えたものの…』

 眞由美によると、息子の鷹岡直弥16歳、高校2年生は、明日が土曜日なのでだいぶ離れた友人宅に泊まるのだという。

『成績はそこまで悪くもないものだから、つい甘やかしてしまって…妹の方がよほど聞き分けがよくて…いえ、ごめんなさいね、他所様に言ってもお恥ずかしいだけの話を』

 要するに鷹岡直弥は典型的な、裕福な家庭で遊びふけっているタイプということだ。電話口の鷹岡眞由美は、さっき直に話をした時よりも年配の雰囲気に思えた。

「いえ、まあお気になさらず。それより、どうですか。当社を辞されたあとも、例の”影”は現れましたか」

『いえ、実はつい先ほどまで、仕事の関係でバタバタしておりまして、注意を払う余裕がありませんでした。夫の正典は、車の移動中に一度見た、と今しがた申しておりました。娘は見ているかしら』

「なるほど」

 話を聞きながら、玲司は頭の中で情報を整理したのち、眞由美に話を持ちかけた。

「息子さんが都合がつかないのであれば、お嬢さんのお話を伺うことはできますか。できれば、ご主人も」

 受話器の向こうの眞由美からの返事は、少し間があった。誰かと話をしているらしい。

『ええ、そうですわね。夫はどうしても外せない要件があって、帰宅は遅くなるそうなので…娘は今日は部活なしで帰宅することになりましたので、4時半ごろでよければ、私も自宅に戻ってお待ちしております』

 横で聞いていた亜希と頷き合って、話は決まった。できれば例の、怪しい人影の目撃者全員が揃って欲しいところだが、仕方がない。

「わかりました。それでは我々は、予定どおりの時間に伺う、ということで」

 


 鷹岡工務店の専務・鷹岡正典邸は、樹木と塀に巧妙に隠れていて、通りからは全体が見えないが、やはり大きな家だった。薄いブラウンの落ち着いた壁で、ぱっと見そこまで高級そうに見えないが、近付くと細かい仕上げが、そこらの一般的な戸建て住宅と違う。

 玲司の運転するシルバーのヤリス・ハイブリッドは、恐る恐る敷地内に停車した。助手席から亜希が睨む。

「庭木とかにぶつからないでよ」

「ばか言え。ゴールド免許の継続記録更新中だぞ」

「レッドブルの連勝記録だって途絶えたけどね」

 車を降りるとグレーのタイトスカートとジャケットを直しながら、亜希は広そうな邸宅を見上げた。

「うちの事務所もこれくらいにしようか」

「探偵の事務所が目立ってどうする」

 不毛な会話ののち、ふたりはセキュリティ完璧であろう、引き戸式の玄関のチャイムを鳴らした。どうやら、和式のデザインらしい。ほどなくして、使用人とおぼしき若い女性の声が返ってきた。

『はい』

「失礼いたします。4時半に伺う予定の、闇淤加美探偵社と申しますが」

『ああ、はい。伺っております。ただいま開けますので、少々お待ちください』


 玄関に現れたやや質素な服装の、後ろ髪を結ったメイドの案内で、玲司と亜希は落ち着いた色合いの廊下を応接間まで案内された。決して華美ではないが、間違いなく金のかかっている廊下を通ると、やはり落ち着いた雰囲気の応接間に辿り着く。

「こちらでお待ちくださいませ」

 すすめられた応接チェアーは、テーブルともども見るからに高品位で、どこかの探偵社の安物とは雲泥の差だ。合皮には違いないが、どうやら合皮にもグレードというものがあるらしい。

 なんとなく質の良い緑茶が出されるのだろうなと思っていたところに、メイドが運んできたのは紅茶だった。お店で飲むのと変わらない香りを愉しんでいると、ドアが開いて二人の女性が現れた。一人は午前中に事務所を訪れた鷹岡眞由美、そしてもう一人はグレーの制服に髪を結った少女だった。

「お待たせしました」

 鷹岡眞由美と少女がテーブルの手前に立つと、玲司と亜希もゆっくりと立ち上がる。

「いえ、お忙しいところ恐縮です」

「とんでもない。息子に代わって呼んでまいりました、娘の直美です」

 母親に紹介された直美は、線の細い印象だったが、お辞儀をする所作と声は凛としたものだった。

「鷹岡直美です」

 子供ながら、やはり一般人とは育ちが違う雰囲気に若干気圧されながら、玲司と亜希は精一杯、社会人としての威厳を保つ。

「闇淤加美探偵社代表の闇淤加美玲司です」

「加藤亜希です」

 

 挨拶が済んだところで、家の造りなどに関する雑談を挟むと、玲司はすぐに本題を切り出した。

「それで、さっそくですが。単刀直入にお訊ねします、直美さん」

 玲司がティーカップを置いて向き直ると、鷹岡直美は中学2年生とは思えない落ち着きぶりで「はい」と頷いた。

「お母様の眞由美さんからすでに伺いましたが、ご家族全員がここ最近、奇妙な人影を目撃するようになった、と。直美さんも、そうした状況に間違いありませんか」

「はい。母が伝えたとおりです」

 直美の口調は歯切れがよく、よどみない。亜希が鷹岡母娘の許可を取ったうえでレコーダーを回すのを確認すると、玲司は訊ねた。

「では、今日も目撃したのであれば、その場所を教えていただけますか」

「はい。それでしたら、何か所かスマホで撮影しています」

 その発言に、玲司と亜希は一瞬目を合わせた。ひょっとして、その人影とやらが写っているのか。だが、その期待には応えてもらえなかった。直美が見せた写真は、自動販売機の後ろの空間、公園の植え込み、陸橋下の歩行者用トンネルなど様々だったが、そこには人影はひとつも写っていなかった。

「この、撮影された場所に人影が見えたということですか」

「はい。ですが、撮影時は画面に写っているのに、あとでデータを見返すと、人影は消えているんです」

「なるほど。全て、同じような背格好ですか」

 鷹岡眞由美にも訊ねたことだが、娘からも返ってきた内容は同じだった。

「いいえ、バラバラです。ただ、全体的に共通しているのは、羽飾りのようなもののシルエットが見えたのと、錫杖みたいな棒を持っているケースが多い事です」

「錫杖というのは、修験者が持っているような?」

 こくりと直美は頷いた。

「はい。背丈より高い、棒状のものです。修験者のような」

「ふうん、修験者ねえ」

 それまで黙っていた亜希が、首を傾げながら質問する。

「眞由美さんは、うちの所長に『修験者みたい』って説明したんですよね」

「ええ、はい」

「けど、修験者って羽根飾りなんか付けてるの?玲司」

 いきなりそんな事を言われても、と玲司は思ったが、そういえばそうだと思い、「失礼」とことわって、スマートフォンで『修験者』と入力して検索した。サーチエンジンが見付けてきた写真には、現代だったり昔だったりの修験者の姿があったものの、それを見て玲司は亜希と同じく首を傾げた。

「なるほど」

「ね?」

 玲司は、スマートフォンの画面を鷹岡母娘に提示する。そこには、おなじみの白い装束と頭飾り、錫杖を握った修験者たちの姿があった。だが、眞由美や直美が言うような、羽根飾りをまとった修験者などどこにもいない。

「そう言われてみると…」

 眞由美も首を傾げる。玲司は訊ねた。

「つまり、みなさんのイメージで最も近いのが、日本人の感覚で言えば修験者だった。そういう事でしょうか」

「ええ、そうですね…その辺については、あまり深く考えておりませんでした」

 鷹岡母娘は、自分達のイメージの偏りを認識しているようだった。そこで、玲司はスマートフォンで再び、ひとつのキーワードで画像検索をかけ、その結果を母娘に提示する。

「今ふと思ったんですが、ひょっとしてみなさんが目撃された人影というのは、こういう人達に似た姿ではないのでしょうか」

 テーブルに置かれたスマートフォンの画像を見ると、鷹岡母娘は目を見開いて互いを見た。ビンゴだったようだ。落ち着いていた直美が、わずかに興奮した様子で玲司を見た。

「そうです!まるっきり同じかはわかりませんが、まさにこんなイメージです」

「助手の指摘で、眞由美さんから最初に受けた説明に感じた違和感が、やっとわかりました。修験者、という先入観に、私も囚われていたようですね」

 いちおう亜希の功績も持ち上げておく。こうしないと帰りの車中、絶対ちくちく言われるからだ。亜希は得意げに頷いた。

「けれど、どうして日本で、しかも私たち家族だけが、このような人達の…まるで幽霊に遭遇しなくてはならないのでしょうか」

 眞由美の指摘に、直美も薄気味悪そうに頷いた。玲司たちもその点については同様である。検索フォームにはこうある。


『アフリカ 先住民 槍』


 スマートフォンに表示されているのは、細長い槍を構え、羽根飾りを頭から広げた、アフリカ先住民の姿だった。

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