またもや、筋トレしようとしたら事件が解決した。

佐々木 凛

第1話

 脳筋探偵。褒められているのか貶されているのか判断が難しい、巷での私の通り名だ。

 そんな私だが、最近は仕事が立て込んで、二日連続でジムに行けなかった。このままでは、私の大切な筋肉たちが分解してしまう。だから今日は、必ずジムに行かなければいけない。

 そんなことを思いながらジムに向かって歩いていると、突然声をかけられた。

「あ、中山さん! まさか、もう事件の噂を聞きつけて駆けつけてくれたんですか」

 そこには、私を、刑事の鈴木がいた。ああ、今日もジムに行けないらしい。

 私は鈴木に手を引かれ、規制線の内側へ招き入れられた。どうやら、目の前にある五階建てのマンションでなにかあったようだ。これはチャンスだ。現場が五階なら、階段を昇る際につま先立ちをすることで、ふくらはぎの筋肉を鍛えることができる。ジムに行けないなら、こういう小さなチャンスを逃すわけにはいかない。

「被害者は田中啓介さん、二十八歳。このマンションの一〇五号室に住んでいる方です」

 とことん期待が裏切られる。まあ、もう慣れたものだが。

「待て、まだ現場検証が終わってない。もう少し部屋の外で待ってろ」

 鈴木が部屋に入ろうとした時、鑑識の人にそう言われ、部屋から閉め出された。チャンスだ。この合間に筋トレをしよう。

「さすが中山さんだ。隙間時間を見つければ、すかさず筋トレをして血流を良くし、頭に栄養を供給する。やる気満々。頼りになるな」

 ……そろそろ鈴木のことが嫌いになりそうだ。

 だが、ようやく私は気付いた。これまで鈴木に好き勝手言動を深読みされてきたが、それに対して反論したことは無かった。そのせいで、こいつは増長しているのだ。なら、鈴木が深読みする度、それを真っ向から否定すればいいのだ。

「……そんな理由じゃありませんよ」

 腕立て伏せをしながら、鈴木を一瞥することなく言う。

「そうなんですか。まあ、確かに腕立て伏せで腕を鍛えたところで、そこまで血は回らないか」

 まったく、これだから素人は困る。

「腕立て伏せは、腕ではなく大胸筋を鍛えるものです」

「なるほど! 名前や表面上のことばかりに囚われるのではなく、本質を見ろ。でなければ、真相を見誤ることになる。そう伝えてくれたんですね」

 駄目だこいつ。もう手遅れだ。こんな奴のことは忘れて、今は筋肉たちの声に集中しよう。

 そうして私の大胸筋たちが歓喜の声を上げた頃、丁度一〇五号室の扉が開いた。中に入ると、リビングには被害者を隠していると思しきグレーのシートがあった。

「死因は、見ての通り出血多量。何者かに頭を殴られたようですが、凶器は依然発見されていません」

 そう言って、鈴木は被害者の写真をこちらに見せてきた。そこで私は確信した!

 ――被害者の体つき。これはジムで本気で鍛えているほどではないが、自重トレーニングしかやっていないほど細身でもない。それにシートからはみ出している手には、ダンベルを素手で持って擦れた跡であろう、肉刺まめやささくれだった指先の皮が見える。

 間違いない。この男、自宅で筋トレをする自宅トレーニーだ。つまり、この家のどこかにトレーニング道具一式があるはずだ。それがありそうなのは……ここだ!

「あ、さすが中山さん。鋭いですね。その和室には、ダンベルやバーベル等、凶器になりそうな重量のある筋トレ道具が山のようにあります。でも、どれにも血液は付着していません」

 またもや鈴木がどうでもいいことを話してきたが、一切耳を貸さない。

 選り取り見取りのトレーニング器具が誘惑してくるが、まずはベンチシートと床に転がっていた可変式ダンベルを使い、先ほど腕立て伏せでウォームアップを完了させた大胸筋を更に追い込むことにした。こういう時こそ冷静に、確実に一つずつの筋肉を鍛えなければならない。

「中山さん、もう本格的に筋トレを。きっと、既に何か掴んでいるに違いない」

「鈴木さん、第一発見者が見えられました」

「ああ、ありがとう。ここまで呼んでもらえる?」

 ベンチに横になり、腕をまっすぐ伸ばしてダンベルを構える。肩甲骨を寄せ、肘を曲げていく。極限まで大胸筋を引き延ばした所で、一気にダンベルを押し上げる!

 ああ、大胸筋たちが歓喜の声を上げている。ダンベルプレスなんてするのは、一体いつぶりだろうか。ジムでの器具を使ったトレーニングとはまた違った刺激が入り、新鮮な気持ちになる。気持ちいい。

「第一発見者の、三枝さんですね」

「はい……あの、あの人は上裸でなにをしてるんですか」

「ああ、中山さんのことは気にしないでください。それより、被害者を発見した時のことを教えてください」

 ダンベルプレス、二セット目。腕立て伏せも五十回以上したので、ここらで歓喜の声が悲鳴に変わり始める。すまない、私の可愛い大胸筋たち。だが、こうして苛め抜いて、初めて君たちは成長するのだ!

「なるほど。被害者に呼び出されてきたものの、インターホンに応答がなかった。そして扉の鍵が開いていることに気付いて中に入り、被害者を発見したんですね。これは、外部犯の線が濃くなってきたな」

 三セット目が終わったのでベンチから起き上がってみると、和室の入り口で鈴木がジャージ姿の男性と話していた。必死にメモを取っているので、事件関係者のようだ。上着を着ているので分かりにくいが、彼もそこそこいい体つきに見える。手には、所々めくれているテーピングが巻かれている。

 まあ、そんなことはどうでもいい。それよりも、次は腕のトレーニングをしよう。こんな時、可変式ダンベルは役に立つ。可変式ダンベルとはその名の通り、重さを変えられるダンベルのことだ。つまり、今二十五キロあるこのダンベルで腕のトレーニングをするのは少々苦しいが、重さを十キロに変えればいいトレーニングができるということだ。

 重さの変え方はダンベルによって様々だが、今使っているのは専用台に差し込んでロックを外し、持ち手を回して重さを変更するもののようだ。

 だが、部屋を見渡してもその専用台は見当たらない。

「あれ、台が無いな。それに、追加できそうなプレートも」

 それを聞いた鈴木が、神妙な面持ちになった。

「三枝さん、それらに心当たりは?」

「い、いえ、ありません。私、筋トレには疎くて」

「……この部屋から、消えたものがある。つまり、それが凶器?」

「な、なんですか刑事さん。どうして私の方を見るんですか」

 ああ、鈴木がまた勝手な解釈で推理を始めた。萎えた。一旦トレーニングのことは忘れて、休憩しよう。

「ん? 中山さんが筋トレを止めた。もう事件は解決したという事か? だが、犯人はまだ明らかになっていない。どういうことだ」

 どういうこともクソも無いのだが、もう反論が面倒だ。放っておこう。

 それより、今日はいいトレーニングができた。大胸筋たちも喜び、踊っている。

「! そういうことか。三枝さん、ちょっと失礼しますよ」

「なにするんですか!」

 つかみ合いになる二人。さすがに止めたほうがいいだろうか

 そんなことを思っていると、鈴木が相手の上着のチャックを開けた。

「やっぱり、下のシャツには血痕がバッチリだ。中山さんは最初からこれを分かっていたから、執拗に胸のトレーニングを行っていたんですね。それでも僕が気付かないから、最後は胸筋を動かして、三枝さんに気付かれないように合図を送っていた。さすがです」

「クソっ、あんな脳筋野郎に全部見透かされてたなんて!」

「ありがとうございました、中山さん。後は私たちにお任せください」


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またもや、筋トレしようとしたら事件が解決した。 佐々木 凛 @Rin_sasaki

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