怖がるなというのは自分を鼓舞する言葉だと思う

ここは今から少し未来の世界。女たちを働かせて「ひま」になった男たちは闘鶏に夢中になっている。昔は動物同士を戦わせることは残酷だと言われていたはずなのに、なぜか品種改良された今時の闘鶏は戦わせてもいいことになっている。
そんな中、主人公の従兄はまだ子供なのに巨大で強い闘鶏・クロを飼っている。クロは連戦連勝のとても立派な闘鶏で、従兄はクロを溺愛している……。

つまり、怖がっているのですね。従兄は、クロが負けることを。もっといえば、クロを通じて見ている自分自身の世界が何かに敗れることを。たぶん、従兄は自分自身の世界がとても危うい均衡の上に成り立っていることを本当は気づいていて、でも見ないふりをしている。闘鶏に仮託して、自分の世界が何で成り立っているのかを考えないようにしているのではないか、と私は感じました。
この世界では、この国はもはや水族館を自力で運営することもできないほど弱体化していて、もしかしたらもう「日本」という国ですらないのかもしれません。でも、一人称で闘鶏と従兄のいびつな関係性について語っている賢そうな主人公は、それを語らないのです。この子が語っているのはあくまでクロと従兄の話だけ。主人公が語らないことから何かを感じ取ること、行間から嗅ぎ取ること、それができるかどうかをこの作品は繊細に慎重に暴き出そうとしています。