論文も世論もずれてはいない。真にずれているのは、人類の行く末である

 人類の祖たるペンギン、その終焉はまたペンギンへと還る。
 人類ペンギン論。人類と共に歩むペンギンのように、進化の過程とはよちよち歩きのように。一足飛びなど叶わず。何であれ「新しい発見」というのは、初めは受け入れがたいもので、それは人類ペンギン論でも同じ。一概に排除しようというよりは、未知に対しての警戒心を強めているだけなのかも知れない。ただ、皆一様に足並みを揃えて異を唱えるわけでもなく、まるで雲の切れ間から差し込む光明のように目に留めてくれる人はいて。
 やがて、世論まで巻き込む規模に発展した人類ペンギン論。ペンギンを論じる内容にして、いろんな憶測やデマが飛び交う中、渦中のペンギンはその羽で飛ぶことがかなわないというのは、なんとも皮肉なことか。バタフライエフェクトになぞらえて、ペンギンエフェクトとでも形容すれば良いのか。しかし、これもまた皮肉めいたことにバタフライは羽ばたきを起こせるけれど、ペンギンは羽ばたきといえるほど、羽を動かせないという……。
 そんな渦中の、ある意味隅っこで秘密裏に産み落とされたペンギンたち。海に潜るように深く人間社会にもぐりこんだ高度な知性を持つペンギンたちは、微に入り細を穿つように、コツコツと積み上げたその努力という実を人類ペンギン論という形で結実させた。
 人類からしてみれば、禁断の果実のように見えるそれを手にしたとき、本格的なペンギンたちの反逆が始まった合図であり、人間たちに対する最後通告のように思われるのは、実に皮肉な話であり、骨身に染みる話である。
 ペンギンたちが警鐘を鳴らし続け、それに対し、自分たちの所業を顧みることもせず、愚かさを露呈させるばかりで一切気づかない人間たち。今のうちはまだ、警鐘(軽傷)で済んでいるのかもしれないけれど。いつの日か。警鐘という名の釣鐘を支える紐が切れるとき、その重さで押しつぶされてしまう日もそう遠くはないのかもしれない。

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