第二章「伴侶」 第20話

 私の魔導書グリモアをミカゲが普通に持ったことで、ジゼルは瞠目どうもくして声を上げた。

「お、お姉様、私も少しだけ良いですか……?」

 ジゼルが私に許可を取り、恐る恐るミカゲが持つ魔導書グリモアに手を伸ばすけれど――

「……やっぱりさわれません。な、なるほど、本当に普通の人ではないのですね」

「ん。我はお姉ちゃんの司書。人じゃない」

「もっとも、私の魔導書グリモアに触れるだけで、何ができるわけでもないんだけどね?」

 自慢げなミカゲに私が揶揄からかうような言葉をかけると、彼女はやや不満げに頬を膨らせた。

「それはこれから。お姉ちゃんの努力次第」

「ふふっ。でも良かったです。お姉様も魔法を使えるのなら」

 そんなミカゲの様子がおかしかったのだろう。ジゼルも表情を緩めて少し笑い声を漏らすが、すぐに真面目な顔に戻ってしばらく考え込み、やがて口を開いた。

「でも、扱いには注意を要する情報ですね。公にはされない方が良いかもしれません」

「もちろん、大々的に宣伝するつもりはないよ? でも、他の貴族にも図書迷宮ライブラリの利用許可は取らないといけないし、知られることにはなりそうなんだよねぇ」

「何か理由を付けて秘密にされては? お姉様が侮られるかもしれませんが、わずかな可能性にすがっているとか、魔法を使えないから従者に覚えさせようとしているとか」

「そうだねぇ、侮られることについては、別に気にしないけど……」

 中央に関わる気がなく、結婚にもあまり興味がない私からすれば、そういった方面で貴族社会での評判が多少悪くなったとしても、大した問題ではない――というか、望むところ?

 できればこのまま、実家にいられたら良いなぁ、とか思っているぐらいだし。

「であれば、尚更なおさらです。魔法を覚えられる数に制限がないとなると、嫉妬する人もいるでしょうし、図書迷宮ライブラリの利用を許可しない貴族も出てくると思います」

「う~ん、私の魔導書グリモア、現状だとそこまで強いわけでもないんだけどねぇ」

 ――魔法をたくさん覚えられる。

 それだけ聞くといかにも有用そうだけど、初期魔法はゼロで、本祭壇まで行かないと魔法を覚えられないという制限があり、今使えるのも《強化》と《観察》の二つのみ。

 ミカゲが以前言った通り、将来性には期待が持てるけれど、見方によっては成人の儀式で与えられる魔導書グリモアよりも弱い――少なくとも、今のところは。

 それに、覚えられる魔法の数にしても、単純に多ければ有利というものでもない。

 例えばゲームのように、魔法をレベル一から順に覚える必要があるならまだしも、この世界では希望する魔法を選んで覚えることができるし、定番パターンも存在する。

 普通の人はそれに特化して魔法を覚えるため、平均的な魔導書グリモアを持っていれば、騎士にしろ、職人にしろ、その分野にいて必要な魔法は十分に覚えられるのだ。

 例外を挙げるなら、アーシェみたいにメイドと護衛を兼任するような職業だけど、それにしたって二〇ページもあれば十分。きちんと考えて魔法を覚えれば、あまり困ることはない。

「下手をすれば器用貧乏、上手くやっても、高ランクの魔導書グリモアを持つ人と同等だよね」

「それでも、です。無意味に魔導書グリモアのランクでマウントを取り、勝った、負けたと喜んでいるのが中央貴族なのですから。実のところ『あの麒麟児、シルヴィ・シンクハルトの妹は無能だった。所詮は田舎者だ』と溜飲を下げている人も多いそうです」

「むっ。そう言われると、お姉様が馬鹿にされているみたいで気になるね」

 紅色カーマインという高ランクの魔導書グリモアに加え、剣の腕前も人並み以上。

 加えて、妹の贔屓ひいき目なしでも抜群の美少女ともなれば、嫉妬の対象となるのは理解できる。

 でも、理解できることと、受け入れられることは別の話。

 先ほどのディグラッドのように、それに絡めてお姉様が侮辱されるようなことになれば……。

「お気持ちは解りますが、耐えてください。結果的にその方がシルヴィ様のためにもなると思いますよ? ――もっとも、シルヴィ様の方が暴走しそうで怖いですけど」

「あ。ははは……否定できないね、それは」

 シスコン気味なお姉様、私のことに関しては沸点が低くなりがちだから。

「シルヴィ様の性格を考えると、あまり笑えませんが……取りあえず事情は理解しました。ハーバス家はいくらでも支援致しますので、当家の管理する図書迷宮ライブラリは自由にお使いください」

「それは嬉しいけど……良いの? 図書迷宮ライブラリの利用料も大事な収入源でしょ?」

《観察》はまだしも、《火弾》の方は訪れる貴族も多く、そこから得られる利用料は少なくない。

 私だけを特別扱いしていることが判ると、他の貴族から『自分も無料にしろ』と難癖を付けられたりはしないか、と尋ねる私にジゼルはきっぱりと首を振る。

「お姉様から取るお金はありません。当家の安寧はシンクハルト家あってのものですから」

「ありがとう。でも、ウチが魔物対策に専念できるのも、ハーバス家が支えてくれてるからだよ」

 同じ国の貴族でも権力争いは日常茶飯事、油断できない貴族なんて決して珍しくない。

 だからこそ背後を気にしなくても良いというのはとても大きく、ハーバス家は食糧供給の面でも支援してくれている。現実として、私たちは持ちつ持たれつの関係なのだ。

「そう言って頂けると、少し気が楽になります。それに、何か言ってくる貴族がいれば『平民と一緒に潜るのであれば、ご自由に』と返しますから、ご安心ください」

「あぁ、それなら引っ込みそうだね」

 当然だけど、私は平民がいても気にしないので図書迷宮ライブラリを貸し切りにする必要はないし、同時に潜っている他の人たちと問題を起こすつもりもない。

 しかし、それができない貴族もいるわけで、どうせ文句を言うようなのはそのタイプだろう。

「はい。まったく、辺境の苦労も知らず勝手なことばかり! ――もっとも、お姉様はお姉様で頑張りすぎだと思いますが……。この数日はお休みされますよね?」

 少し心配そうにこちらを窺うジゼルに、私は微笑んで頷く。

「うん、《火弾》の図書迷宮ライブラリに入れるようになるまでは休むつもり。しばらく泊めてくれる?」

 図書迷宮ライブラリから戻ったばかりで疲れがあるのは事実だし、実家に戻るにも中途半端。

 私がそうお願いすると、ジゼルは表情を輝かせて深く頷く。

「えぇ、もちろんです! 私、お姉様に聞いてほしいことが色々あるんです」

 私は矢継ぎ早に話し始めた彼女に微笑み、少し冷めたお茶で喉を潤した。

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