第13話 前編

 翌朝、目が覚めると、凛ちゃんはリビングで誰かと電話をしていた。

 そして、電話が終わると「行くぞ」と言って身支度を済ませて、二人で家を出た。

 凛ちゃんは私を助手席に乗せて、どこかへと車を走らせる。

 運転をしている凛ちゃんの顔は、緊張しているように感じた。そんな彼の様子を見て、私は「どこへ行くの?」とは訊けなかった。


 これから私たちはどうなるのだろうか。

 一体どこへ逃げるのだろうか。

 一体いつまで逃げればいいのだろうか。

 さまざまな不安が頭の中をぐるぐると駆け巡っている。




 

 凛ちゃんはどこかの立体駐車場に車を停めた。

「ちょっとここで待っててくれ」

 凛ちゃんはそれだけ言うと、車を降りて歩いて行った。

 彼の行く先を見守っていると、そこにはいかにも怖そうな風貌の男たちがたむろしている。

 男たちは近づいてくる凛ちゃんのほうを一斉に見た。

 凛ちゃんは、その中心にいる中年男性へ向かって会釈する。

 

 すると、その近くに停まっているシルバーのワゴン車から、誰かが降りてきた。よく見ると、それは浅田さんだ。

 私はドキッとした。

 ヤクザの凛ちゃんと警察の浅田さんが鉢合わせるのは、マズいのではないかと不安になる。

 というか、どうして浅田さんがここに?

 ひと悶着あるのではないかとヒヤヒヤしたが、浅田さんは凛ちゃんに近づくと、二人でヒソヒソと何かを話し始めた。

 私からは、二人がどんな様子で話しているのか見えない。



 

 

 しばらく二人の会話が続いた後、凛ちゃんは振り返ってこちらに戻ってきた。

「降りてくれ。刑事がお前に訊きたいことがあるらしい」

「えっ?私に?」

 浅田さんには、昨日いろいろ話したはずなのに――。

 私は不審に思いながら車を降りる。

 すると、凛ちゃんは私の右手を握って、「俺が付いてるから」と耳打ちしてくれた。

 私は少しだけ緊張が解れた。


 私は凛ちゃんの左手を握ったまま浅田さんへ近づいていく。

「どうも、副島さん、昨夜ぶりですね」

 浅田さんはニコニコと笑みを浮かべる。

 やはりこの人の笑い方は不気味だ。

「ど、どうも……」

 私は凛ちゃんの手をギュッと強く握った。

「実は、副島さんにお聞きしたいことがありましてね」

 浅田さんは胸ポケットを探り始める。

 

「――この男に見覚えはありませんか?」

 そう言って浅田さんは、小さなポリ袋に入った免許証を見せてきた。

 よく見ると、その免許証の顔写真は、昨日石井さんを撃った男と瓜二つだ。

「あっ!この人です!」

 私は反射的に顔写真を指差して、声を上げる。

「あっ、もしかして、副島さんが目撃した犯人はこの男ですか?」

「はい、間違いないです。この人です」

「あちゃー!やっぱりそうですか」

 浅田さんは芝居がかったような口調でそう言うと、わざとらしく額に手を当てて天を仰いだ。

「実はこの男、今朝遺体で発見されたんですよ」

「えっ!?」

 私は耳を疑った。

「拳銃で頭を撃ち抜いて亡くなっていたので、もしかしたら、と思ったんですよ。この男、まあ俗にいう半グレっていう奴でね。そちらの酒々井さんの証言によると、石井と金銭トラブルで揉めていたそうなんです。昨夜も、どうやらこの男が車で副島さんたちのことを尾行していたらしいんですよ。あの後、彫師の方から通報があったんです」

 浅田さんは雄弁に話す。

 どうやら、昨日のミニバンは本当に犯人の車だったようだ。

 

 私は狐につままれたような感じがした。

 具体的にどこがどうとは説明できないが、何か違和感がある。

 私の考えすぎだろうか。

 昨日から凛ちゃんの気が張っているような感じがしたので、私はこれから大変なのことになるのではないかと身構えていた。

 だから、犯人があっさり自殺したと知らされて、拍子抜けしてしまったのだろうか。

 

「いやー、私が付いていながら犯人を取り逃がし、あまつさえ自殺させてしまうとは……。お恥ずかしい限りです」

 ガックリと肩を落とす浅田さんの表情は、どこか私を試しているように見えた。

 浅田さんの表情を見て、私はこの違和感を指摘してはいけないと感じる。

「そ、そうだったんですね……。でも、これで事件解決なんですよね?」

 私は顔を強張らせながら尋ねた。

 すると、浅田さんはまたニコニコと不気味な笑みを浮かべた。

「ええ。線条痕せんじょうこんを調べて、石井を撃った銃と同一のものだと分かれば、犯人はこの男で間違いないはずです」

「そ、それなら良かったです」

 浅田さんは「ええ、本当に」と言って、穏やかな笑みを浮かべながら頷く。

「では、私は署のほうに戻りますので、この辺で」

 浅田さんはそう言い残すと、ワゴン車に乗り込んで走り去っていった。


 凛ちゃんを見ると、どこか安堵したような表情を浮かべている。

「やあ、お嬢さん、こんにちは」

 突然、男たちの中心にいた髭面の中年男性が話しかけてきた。

 男性は厳つくて貫禄のある風貌だが、人当たりの良さそうな笑みを浮かべている。

 あれ?この人、少し前弁当屋に来なかったか?

「おじさん、宮永っていいます。酒々井くんの、まあ、上司みたいなもんかな?ちょっと、酒々井くんと話したいことがあるから、外してもらってもいいかな?」

 宮永さんは子供に接するような口調で話す。

 凛ちゃんの顔を見上げると、彼は私に向かってコクッと頷く。

 私は言われた通り、繋いでいた凛ちゃんの手を離して車に戻った。



 


 凛ちゃんと宮永さんはしばらくの間、ヒソヒソと何かを話していた。

 そして、話し終えたのか凛ちゃんは車に戻ってきた。

「――解決したの?」

 私がそう訊くと、凛ちゃんは「ああ、まあな」と素っ気なく返した。

 凛ちゃんは耳の裏を掻いていない。嘘は吐いていないようだ。

 それならば、私が抱いた違和感はやはりただの杞憂だったらしい。

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