第8話
事務所にいると、突然和住から電話が掛かってきた。
すると、和住は自分の店で、石井が撃たれたと告げた。
和住曰く「出血が酷すぎて助からないだろう」とのことだ。
俺はすぐ近くにいた宮永さんへそのことを報告した。
事務所内がバタバタと騒がしくなり始めたため、俺は一旦外へ出て駐車場に停めてある自分の車に乗った。
「……幸希はどうしてる?」
俺は恐る恐る訊いた。
「警察に事情聴取されてるよ。犯人の顔を見たらしい」
和住の言葉を聞いて、俺は天を仰いだ。
これはマズい。
「凛ちゃんはどう思う?石井さんを撃った犯人、誰だと思う?」
和住の言いたいことは何となく察し出来る。
石井は二十年以上うちの組にいる古株だが、幹部でも何でもないただの平の組員だ。たとえ敵対している暴力団でも、ただの組員を撃ち殺して何かメリットがあると思えない。
そうなると、考えられる線は個人的な怨恨だ。
石井は、組の内外問わず金銭関係のトラブルを起こすタイプだった。どこかで恨みを買っていてもおかしくない。
「さっき幸希ちゃんが事情聴取されてる部屋に、
「何!?」
俺は浅田の名前を聞いて、血の気が引いた。
「石井が撃たれてからまだ一時間も経ってないっていうのに、四課の警部補が登場するには早すぎる気がするんだよなぁ」
和住は何か意味あり気に話す。
浅田が率先して捜査に参加する時は、何かしら奴の
そう言えば、石井は最近特殊詐欺で儲けているという噂が組の中で流れていた。
とても頭がいいとは言えない石井が、警察に足が付かないように詐欺を働けるとは思えない。
どうやら石井は浅田を買収していたようだ。そして、浅田は上手いこと石井の犯罪をもみ消したらしい。
浅田は組織犯罪担当の二課出身であるため、二課の人間とも繋がりがある。
そして、石井は浅田と揉めて消されたのだと思う。
おそらく実行犯はその辺で雇ったチンピラだ。
浅田はその事後処理をするつもりなのだろう。
「ちょっと心配だな。幸希ちゃん、口封じのために実行犯が狙ってくるかも。っていうか、浅田がそういうふうに、けしかけるだろうな。『死にたくなかったら、目撃者を始末しろ』って」
和住は真剣な口調で言う。
浅田は頭のネジが一つ二つ外れているような奴だ。何をするか分からない。
目撃者である幸希さえいなければ、彼女の目撃証言など浅田が簡単に握り潰せるだろう。
万が一、実行犯が幸希の殺害に失敗したとしても、そいつを始末すれば良いだけの話だ。
おそらく、浅田はその実行犯が使える駒かどうかを確かめるために、幸希を襲わせるはずだ。
「……浮かれてたのかもなぁ」
俺はシートに身体を沈めて、ため息を吐くように呟いた。
和住の店は、俺と同じ反田組の人間もいれば、他の暴力団の人間もよく出入りしている。そのため、あそこは「中立の場」という暗黙の了解があった。
あの店で事を起こそうとするヤクザはいない。半グレなら何か揉め事を起こす可能性があるが、俺ならそんな奴ら簡単に追い払える。
だから、あそこなら幸希が危険な目に遭わず、そしてヤクザの俺が会いに行っても彼女に迷惑が掛からないと思ったのだ。
この十数年、彼女のことは忘れていた。いや、忘れたつもりでいた。
しかし、柿本の借用書に、幸希の名前を見つけて、突然ガキの頃の記憶が蘇った。
俺は焦った。宮永さんなら、「店を売りたくないだろ」などと上手く言いくるめて、彼女を風俗なんかに沈めようとするはずだ。
そして、幸希はあの店を手放そうとしないだろう。ガキの頃、幸希はいつも「母親よりも料理上手になって両親の店を継ぐ」という夢を語っていた。彼女があの店をどれだけ大切に思っているか、俺はよく知っている。
だから、俺が代わりに行った。
案の定、幸希は店を売る代わりに身体を売るなどとほざいた。だから、先に怖い思いをさせて、「身体を売る」という選択肢を潰しておいた。
本当は名刺を渡すつもりなんてなかった。
名前も名乗らずに、二度と会わないつもりだった。
今の俺の姿なんて、彼女に見られたくなかったのだ。
彼女の中では、ずっと「泣き虫の凛ちゃん」のままでいたかった。
それなのに、俺はつい彼女に名刺を渡してしまった。
気づいてほしかったのだろうか。
獣でも見るかのような目を彼女に向けられて、ショックを受けたのだろうか。
実際、彼女が俺に気づいてくれた時、嬉しかった。また昔のように「凛ちゃん」と呼んでくれて、心底嬉しかった。
幸希は、俺の初恋相手だ。
後にも先にも、俺が本気で好きになった女は、幸希だけだ。
男のくせに泣いてばかりいる俺を、幸希だけはバカにしなかった。
ガキ大将にも怯みもせず、幸希は俺のことを守ってくれた。そんな彼女が格好良くて、「僕も幸希ちゃんみたいになりたい」なんて考えていたと思う。
再会した幸希は、昔と何も変わっていなかった。
幸希はガキの頃と同じように、優しくて太陽みたいな明るい笑顔を浮かべてくれた。俺は彼女のあの笑顔がずっと好きだった。
幸希と一緒にいる時の俺は、ガキのようにはしゃいで、完全に浮かれていたと思う。
俺はもう少しだけ、彼女と一緒にいたいと思った。
だから、和住の店を紹介したのだ。
幸希が新しい職場を見つけて和住の店を辞めたら、今度こそ彼女とは二度と会わないと決めていた。
それまでの猶予のつもりだった。
「俺はとんだバカだ」
幸希を危険なことに巻き込んでしまった。俺はさっさと幸希と決別すべきだったと後悔した。
「男なんか、みんな女の前じゃバカになるもんだろ」
和住は何やら名言っぽくそう言った。
電話越しだが、スカした和住の顔が目に浮かんでムカついたため、「黙れ」と返しておいた。
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