第6話

 私は、ビルの前に停まっている凛ちゃんの車に乗り込んだ。

 

 凛ちゃんは「あの辺はガラの悪い奴らがうろついて危ないから」という理由で、毎日のように退勤後の私を家まで送ってくれる。

 私は流石に悪いと思って断ったのだが、「口答えせずに、俺の言うこと聞け」と怒られてしまった。

 

「和住さん、今日開店時間から一時間も遅刻してきたんだよね。私が鍵持ってるわけじゃないから、中に入れないし、予約のお客さんと一緒に待たされちゃった」

 私は助手席で、運転している凛ちゃんに向かって話す。

 ちなみに、和住さんは遅刻の常習犯だ。いつも数分から十分の遅刻をする。そして、いつも私は鍵の掛かった店の前で待たさせる。

「ははっ、あいつが約束の時間守ったことなんて、片手の指で収まる回数しかないぞ」

 凛ちゃんは呆れたように笑う。

 

 車の中では、基本的に私が一方的に「今日はこんなことがあった」「こんなお客さんがいた」などという他愛のない話をして、それを凛ちゃんが時折相槌を打ちながら聞いている感じだ。

 今の凛ちゃんは、とても愛想が良いとは言えない。しかし、決して悪いわけでもない。

 いつも私の話を、嫌な顔一つせずに聞いてくれる。

 私の話を聞いてくれる時の凛ちゃんの横顔は、どこか優しげに見える。いつもの気を張らせた怖い顔ではない。

 車の中にいる凛ちゃんを見ると、子供の頃を思い出す。

 

 私は今の凛ちゃんのことを、子供の頃とはもうすっかり別人になってしまったと思っていた。

 子供の頃は学年で一番身体が小さかったのに、今では周りの人を見下ろすくらい大きくなった。

 子供の頃は泣き虫のいじめられっ子だったのに、今では人を殴るようになった。

 子供の頃は私のことを「幸希ちゃん」と呼んでくれていたのに、今では「お前」と呼ぶようになった。

 子供の頃は私がいじめられている凛ちゃんを助けていたのに、今では悪い人に絡まれている私を凛ちゃんが助けてくれるようになった。

 子供の頃は私の話をうんうんと優しい顔で聞いてくれていた凛ちゃんは、――今でも優しい顔をして私の話を聞いてくれている。

 

 私の話を聞いてくれる凛ちゃんの横顔を見ていると、彼の本質はあの頃のままなのではないかと感じる。


 凛ちゃんは、大変ではないのだろうか。

 毎日毎日、私をバイト先まで迎えに来て、家まで送るだなんて――。

 もしかして、ヤクザって意外と暇なのだろうか。


「凛ちゃんってさぁ、暇なの?」

 私は何となく訊いてみた。

「はあ?んなわけねぇだろ」

 凛ちゃんは苛立ったような、呆れたような口調で吐き捨てる。

「そ、そうだよね。忙しいよね」

 私は肩をすぼめた。

 そりゃそうか。私は何を言っているんだろうか。


「当たり前だろ。今日だって、カシラに朝からこき使われて、飯だってろくに食えてないってのに」

「えっ、そうなの?」

 私は一瞬ドキッとした。

 そんなに忙しいのならば、どうしてわざわざ時間を割いて私なんかのために車を走らせてくれるのだろうか。

 

 私は、凛ちゃんの考えていることが分からない。

 突然借金の取り立てのために現れたかと思ったら、アルバイト先を紹介してくれるし、退勤後は車で送ってくれるし――。

 もしかして凛ちゃんは、私のことをだと思ってくれているのだろうか。

 それは流石に自惚れ過ぎだろうか。

 そんなことを考えていると、少しだけ顔が熱くなった。


「そうだ。凛ちゃん、今からうちに寄っていかない?」

「ハァッ!!?」

 凛ちゃんは私の提案に動揺し、車が一瞬蛇行した。

「私が夕飯作ってあげるよ。ほら、凛ちゃん、子供の頃うちのお母さんのハンバーグ弁当好きだったでしょ?私もお母さんに負けないくらい美味しいハンバーグ作れるようになったから、食べさせてあげる」

「バカか、お前っ!」

 凛ちゃんは声を張り上げる。

 とうとう凛ちゃんに「バカ」と言われてしまった。

「あのなぁ、そんなホイホイ男を――、ヤクザを家に上げんじゃねぇよ。また勝手にハンコ押されるぞ」

「うぅ……、確かにそうでした……」

 私は凛ちゃんの言葉を聞いて、そもそも借金を作ることになった原因を思い出した。もうこれ以上、借金を作るわけにいかない。


 だけど、私は「凛ちゃんなら嫌じゃない」と思って誘ったつもりだった。

 やはり自惚れ過ぎだったか。


「……ここからもう少し先に、美味い焼き鳥屋があるんだ」

 私が肩を落としていると、凛ちゃんは口ごもりながら話し始めた。

「そこで良かったら、一緒に飯食いに行くか?」

 凛ちゃんは右側に少し首を捻っているのか、こちらから顔がよく見えない。

 しかし、短い黒髪から覗いている耳は、少し赤くなっているような気がする。


「うん!行きたい!」

 私は胸の高鳴りが抑えられなかった。

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