第12話

「幸希、好きだ。愛してる」

 私を抱きしめながら、凛ちゃんは何度もそう言った。

 昔のように「ちゃん付け」では呼んでくれないけれど、凛ちゃんに名前を呼ばれて、「好きだ」と言われて嬉しかった。





 ベッドサイドに腰かけて煙草を吹かしている凛ちゃんの背中を、私はベッドに横たわりながら眺めていた。

 凛ちゃんの背中には、和住さんの店に飾られていた写真と同じ、勇ましい顔で天へ昇っていく龍が彫られている。


「何だよ、背中ばっかり見て」

 凛ちゃんはチラッと私のほうを見てから、サイドテーブルの灰皿に煙草の灰を落とす。

「これ、和住さんが彫ったんだよね?お店に写真が飾ってあった」

「ああ、そうだな」

 凛ちゃんは乱暴な手つきで灰皿に煙草を押し付ける。

 先ほど、初めて間近で和彫りの龍を見た時は圧倒されてしまった。しかし、今見ると背中一面が日本絵画のようで、息を呑むほど美しいと感じる。

「綺麗……」

 私は龍を見つめながら、思わずうっとりとする。

 そんな私の姿を、凛ちゃんは横目で見ながらフッと微笑を浮かべた。


「何で龍を彫ろうと思ったの?」

 私の問いに、凛ちゃんは「うーん」と小首を傾げる。

「昇り龍っていうのは『立身出世』の意味があるんだ。どうせなら出世して贅沢な暮らししたほうがいいだろ」

「ふーん?でも、どうしてヤクザの人ってわざわざ入れ墨を彫るの?」

「まあ、一般社会と決別するっていう決意表明かな?墨なんか簡単に消せるもんじゃねぇからな。簡単にはカタギに戻れない。それに、これ見ただけで、カタギじゃないって分かるだろ?」

「あー、確かにそうだね」

「……あとは、俺としては守り神みたいな意味もあると思ってる」

「守り神?」

「ああ。俺も含めて、ヤクザは散々悪いことしてるからな。神にだって見捨てられてるんだ。だから、無理やり縁起のいいもん身体に彫って、そいつを嫌でも自分から離れられないようにするんだ」

 凛ちゃんは自嘲気味に言う。

 

 ――入れ墨もピアスも、俺を守ってくれるお守りみたいなもんなんだよね。

 

 凛ちゃんの言葉を聞いて、私は和住さんの言葉を思い出した。


「……お前は何も彫るなよ」

「えっ、どうして?」

 別に入れ墨を彫る予定もないけれど、私は思わず「どうして?」と尋ねてしまった。

 凛ちゃんは身体をこちらに向けて胡坐あぐらをかいて座り直すと、私の背中を優しく撫でた。

 私は突然背中を撫でられて、驚いてビクッと身体を震わせる。

「お前には、このままでいてほしいんだ」

 凛ちゃんは私の目をまっすぐ見つめながら、真剣な表情で話す。

 その視線がむず痒くて、私は視線を逸らした。

「それに、俺が守ってやるって言ったろ?」

「あははっ、凛ちゃんが私の守り神かぁ」

 それも悪くないかなぁ。

 そんなことを考えて、私はクスクスと笑う。


「……ねえ、一つ訊いてもいい?」

「何だよ、改まって」

「どうして、手紙の返事をくれなくなったの?」

 私がそう訊くと、凛ちゃんは突然顔を強張らせた。

 凛ちゃんが引っ越した後、私たちは二年くらい手紙のやり取りをしていたのに、中学へ上がる頃に凛ちゃんからの返事が来なくなった件だ。私はそれがずっと気になっていた。

 マメで友達想いの凛ちゃんが、なぜ手紙を返してくれなくなったのか、ずっと疑問に思っていた。

 

 凛ちゃんは言葉を探すように、目をキョロキョロと動かす。

 ずっと押し黙っている凛ちゃんを見て、私は「無理に話さなくていいよ」と、言おうとした。

 しかし、それより先に、凛ちゃんは意を決したように口を開いた。

「……両親が離婚した後、お袋はすぐに再婚したんだ。それで、再婚相手と三人で暮らすことになった」

 凛ちゃんは目を泳がせながら、唇を舐める。

「その再婚相手が……、その、とんだ糞野郎だったんだ。……俺はそいつに会いたくないから、家に帰らなくなって、悪い奴らと悪いことをするようになった」

 凛ちゃんは言葉を詰まらせながら話す。

 彼の強張った表情から、その再婚相手に酷い仕打ちを受けていたことが、容易に想像できた。

 

「俺はたったの二、三年でお前の知らないクズに変わり果てちまった。そしたら、何て書けばいいのか分からなくなったんだ。俺のことをあの頃の泣き虫のいじめられっ子だと思ってるお前に、今の俺が何を書けばいいのか分からなかった。言い訳がましいけど、書かなかったんじゃない、書けなかったんだ」

 そう話している凛ちゃんの顔は、とても苦しそうだった。

 子供の頃、凛ちゃんは泣くのを我慢する時、いつもこんな顔をしていた。

 

 私は起き上がって、凛ちゃんを抱きしめる。

「……だから、ガキ扱いすんじゃねぇよ」

 凛ちゃんは弱々しい声で吐き捨てる。

 おそらく凛ちゃんは、母親の再婚相手のことを思い出してしまったのだろう。彼の身体が少し震えている気がする。

 子供の頃の凛ちゃんも、こんなふうに震えて泣いていた。――やっぱり、彼の本質はあの頃と変わっていないようだ。

 きっと凛ちゃんにとって、その再婚相手はいじめっ子たちなんかよりも、ずっと恐ろしい存在だったのだろう。

 私は、彼にこんな話をさせてしまったことが申し訳なかった。

「うん、ごめんね」

 私はぎゅうっと凛ちゃんの身体を抱きしめた。


「……俺も一ついいか?」

「なぁに?」

 凛ちゃんは私の腕の中で尋ねてくる。

「親御さんたち、いつ亡くなったんだ?」

 凛ちゃんはそう訊いた後、「話したくなかったら別にいいけど」と付け加えた。私は「大丈夫だよ」と明るい口調で返す。

「三年前かな。お母さんがすい臓がんで亡くなったの。病気が分かってから、半年も経たなかったかな……。そしたら、お父さん、すっかり生気がなくなっちゃってね。お父さん、お母さんのこと大好きだったから、寂しかったのかな?……その二か月後に、くも膜下出血で亡くなったの」

 両親を立て続けに失った頃を思い出して、私は少し泣きそうになる。

 私には兄弟がいないので、もう家族はいない。それがどれだけ孤独なことなのか、嫌と言うほど味わった。

 あの頃は、両親に置いてけぼりにされたような気がして、とても寂しかった。

 

「それからずっと一人であの店守ってたのか?」

 凛ちゃんは優しい口調で尋ねる。

「最初は大変だったけど、案外慣れてくると楽しいよ。お弁当作るの好きだし……。両親が生きてた頃に調理師の専門学校で免許とか取ってたから、そんなに苦労もしなかったかな?」

 私は気丈に振る舞う。

「……頑張ったな」

 凛ちゃんはそう言って、私を優しく抱きしめた。

 その瞬間、涙がこぼれた。

「ふふっ、お互い様だよ」

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