15 ロスト・バタフライ

「言ったよね、辻上君。私のこと助けてくれるって」

「……意外と記憶力ねぇんだな、小鳥遊さん。俺は、って言っただけだぜ」


軽口を叩いてはみたが、汗がじっとりと背中を伝うのを感じる。小鳥遊さんはこちらを睨みながらも、片手を晶さんの胸に向けたまま、何かを掴もうとするかのように手を開いていた。


「でも、私が辻上先生に何かしたら、辻上君は私を殺すんでしょ?」

「んなことは……」

「最初に会ったときも、そうしてたよね。右ポケット」


……バレてら。俺は右ポケットから手を抜いて、ヒラヒラと振った。小鳥遊さんはそれを見て、少し口元をゆるめたけど、目が笑ってなかった。


「辻上先生が、何か秘密兵器を作って、辻上君に渡してるんだよね? 私みたいな、ビーアイを殺すために」

「それは違う。殺すためなんかじゃない」

「違わないよね!!」


小鳥遊さんが激昂する。


「私から、紗耶を取ったら、何が残るんだよ! 何にも残らない。そうなったら、死んだのと同じ。私には何もないの。言ったよね、私。紗耶は私の世界のだって。なのに、それを私から取り上げるの!?」

「……」

「何とか言えよ! この嘘つき!!」


泣きながら、己の全てを叩きつけるように、彼女は叫んだ。――それを見て思った。小鳥遊さんは今、俺を見ているのだと。


だから俺も、彼女を真っ直ぐ見ようと思った。


「俺は……小鳥遊さんのこと何も知らん」

「だったら!」

「だから、小鳥遊さんに、俺のこと教えるよ」


そして俺は……彼女にを見せた。そう、彼女になら、視えるはずだ。彼女は保持者なのだから。


思っていた通り、小鳥遊さんはバケモノを見るような目で、俺を凝視する。少し胸が痛くなる。でも、俺が傷つかなかったら、彼女には何も届かない気がした。


「何……ソレ」

「これが、本当の俺なんだ。小鳥遊さん。俺には元々。こんな俺を、晶さんは普通にしてくれた。おかげで今、小鳥遊さんたちと、この学校にいられんだよ」


俺はそれを隠して、もう一度小鳥遊さんに向き合った。


「俺は、今の生活が気に入ってる。小鳥遊さんは、俺が周りと距離取ってるって言うけど、俺は俺なりに、みんなのことが好きなんだ」

「それが、何なの」

「もちろん、小鳥遊さんのことも好きだ」


あ~あ。言っちゃったぜ。小鳥遊さんは困惑ここに極まれり、という顔をした。


「辻上君、自分が何言ってるかわかってる?」

「うん。どういう状況かも、まあ、わかってる」


俺はポリポリと頭をかく。でも、膝が笑っちまう。こんな風に誰かと真正面から向き合ったこと、あったかな。


無いよな。だから、俺には親友がいない。どこかみんなのことを、俺とは違う人達だと思ってたからだ。


「俺は、クラスのみんなや小鳥遊さんのことが好きだ。でも、みんなの中には入れない気がしてた。怖かったんだよ。俺には何も無いから。こんなバケモノみたいな奴、きっといつか追い出されるって思ってた。こんな生活続くわけないって」

「……」

「でも小鳥遊さんは、俺のこと見ててくれたじゃん。視界の端っこかもしれないけど」


あれ? なんかちょっと泣きそうになってきたかも。でも小鳥遊さんが泣いてるのに、俺が泣いてる場合じゃないんだよなあ。


「俺、嬉しかったんだよ。小鳥遊さんに話しかけてもらえて。だから、何もないなんて言うなよ。花だか何だか知らねえけど、拡張概念なんて、そんなバカの妄想みたいな力無くたって、いいじゃんかよ。正木さんとだって、変わらず友達でいられるかもしんないじゃん」

「何、無責任なこと言ってんの」

「じゃあ、正木さんがダメなら、俺と友達になってよ! 友達いねえんだよ、俺」


俺が無駄にデカい声で言うと、第二相談室は沈黙に包まれた!


あ~今、人生で一番恥ずかしい!!


俺は小鳥遊さんが鼻をすする音をひたすら聞きながら、盛大にスベり散らかしたお笑い芸人の感情をたっぷり味わっていた。


すると、小鳥遊さんが


「謝って」

「はい?」

「まず、人の大事な力を、バカの妄想とか言ったの、謝って」

「いや……はい、ゴメンナサイ」

「あと、トトロのハンカチ、あれ返さないから」

「はい……ええ!!??」

「あれ、もらうから」

「いや、あれは、あれはできれば返して欲しいってゆーか……」

「もらうから」

「うう……ひどい……」


俺が今度こそ泣いちゃいそうになっていると、


「若者同士の話は終わったかな?」


と、晶さんの声が飛んできた。びっくりしてそっちを見ると、晶さんが俺を見てぱちくりとウインクしている。


この黒スーツお姉さん、全部織り込み済みかよ。本当に心臓に悪い。


晶さんはさっきまでの迫力が嘘のように、穏やかな声で


「始めるよ。小鳥遊せりかさん」


そう言った。小鳥遊さんは黙って、頷く。晶さんは彼女に手を貸して立ち上がらせ、涙を袖で拭うのを待った。


「目を閉じて。頭を少し触るよ」

「はい」


ひどい喉声で応える小鳥遊さんの頭に、晶さんはそっと手を乗せた。そして、


「君の大事な花を思い浮かべて」

「はい」

「それは何色?」

「白い……でも本当は、こんな色じゃなかった」


小鳥遊さんは、目を閉じて、少し眉根を寄せながら言った。


「紗耶の花は……ミモザは、黄色かった。私が盗んでから、白く変わっていったんです」

「君にとって正木紗耶さんは、どんな存在なのかな」

「私の世界の、全て」

「今は?」

「……」


彼女は、歯を食いしばって、また泣いた。


「大事な、友達。たとえ、隣にいられなくても、あの子に笑っていて欲しい」

「そのために君は何をする?」

「紗耶に、を、返します」


しゃくりあげながら、己の全てをさらけ出しながら、小鳥遊さんはそう、言い切った。


俺はただ、何も言わずに見守るだけだ。


晶さんは、厳かに、歌うように言う。


「小鳥遊せりかさん。かつての君の解釈、君の視点、私が貰い受けよう」


小鳥遊さんの頭に乗せた、晶さんの手の周辺が、陽炎のように揺らめき始める。それは昨日、「幽霊」が消え去ったときの揺らめきに似ていた。


夕暮れに燃えるススキの原に囲まれたこの部屋で、彼女は。一番大切な人のために、一番大切なものを手放した。


「――さよなら」


小鳥遊さんが、声にならない声で、囁いた。

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