7 予診

「なるほどねえ。小鳥遊せりかさんに、正木紗耶さん。そして怪しい人影、か」


小鳥遊さんを家の近くまで送って別れてから、俺は(とても嫌々)晶さんに報告の電話を入れていた。


「怪しいなんてもんじゃないですよ。人間があんな動きできるわけないっす! 幽霊ですよ幽霊!」

「幽霊ねえ」

「信じてくださいよお」

「別に信じてないとは言ってないだろ」


俺は(架空の)尻尾を力なく揺らして、泣きそうになりながら陳述した。


「俺だって本当は捕まえたかったんですよ……でもあんなに全身がホラーでファンタジーなヤツ今までいませんでしたもん。さすがの俺も幽霊捕まえるのはちょっとキツイっていうか……」

「いい加減、元気出しなよ空くん。最初から功を焦るのは君の悪い癖だよ?」


晶さんはそう言ってくれるが、俺はマジで凹んでいた。


「だって……アイツ捕まえてたらその時点で全部解決じゃないすか。あの学校の生徒殺してんの絶対アイツですよ。本当に幽霊かどうかはまあ、わかんないすけど……」


俺がボソボソ言うと、晶さんはおかしそうに笑い出した。恥ずかしい…。


「空くんは本当に可愛いなあ――仮にそうだとして、幽霊を捕まえて決着する怪談がどこにある?」


俺はキョトンとした。


「え、どゆことですか?」

「そんなことをしようとすれば、全員呪い殺されておしまいだろ。大抵の怪談はさ」

「いや、俺は現実の話をしてるんすよ!」

「その人影を幽霊と言い張ってるのは君だよ?空くん。だったらそのを大事にしなくちゃ」


また晶さんがよくわかんないこと言い始めた……。


「今日は遅いから、空くんはもう帰りなさい。明日ちゃんと小鳥遊さんを連れてきてね」

「はあ……でもさあ晶さん。もう犯人はわかってんだから、小鳥遊さんをどうこうする必要ってなくないすか?」


素朴な質問をしてみると、スマホ越しに深い溜め息が聞こえてきた。


「空くん……いい加減私がカウンセラーだってこと、思い出せるようになってくれよ」

「あ、そっか」

「そんなんじゃ、まだまだにはなれないよ?」


晶さんはからかうように言った。耳に痛いお言葉である。



翌日。放課後になると同時に、俺は小鳥遊さんの席に向かった。窓際の前から二番目。


二人の女子生徒が小鳥遊さんと話し込んでいたが、小鳥遊さんは俺に気づくと、軽く頷くような素振りをした。


「ごめんね、今からちょっと用事あって」


女子生徒たちはまだまだ話し足りない様子だったが、申し訳無さそうに眉を下げる小鳥遊さんをしつこく引き止めはしなかった。彼女は赤いリュックを背負うと(学校指定の鞄は無く、大抵の女子はリュック、男子はリュックかスポーツバッグだ)、小走りで俺に駆け寄ってきた。


「お待たせ、辻上君」

「いや、今来たとこ」

「見ればわかるよそんなの」


クスリと笑う小鳥遊さん。カウンセリング前に緊張を和らげるのも俺の仕事であり、晶さんに褒められるために達成しなければならない課題である。


――などと職人を気取っていたが、先程まで小鳥遊さんと話していた女子生徒が俺を見ながら超コソコソ話をしている。めっちゃ噂されてる!


「お、俺と小鳥遊さんのあらぬ噂が……!」

「ていうより、辻上君は魔女の手下だって評判だからね」


俺単独の噂話だった!


「ってことは小鳥遊さんもやはりまずいのでは」

「そういうことはできれば予め考慮しておいて欲しいかなあ。現地集合にするとか」


ニッコリと俺にダメ出しする小鳥遊さん。としょんぼりする俺。


「あうう。ゴメンネ」

「まあ、気にしなくていいよ。私が適当に言い訳すればあの子たちも信じるだろうし」

「そ、そうなの…?」


ホッと一安心だけど……なんか小鳥遊さんからボスっぽい雰囲気出てるのは気のせいなんでしょうか。


「じゃあ、行こ」


歩き出した小鳥遊さんに慌てて並ぶ。チラリと横顔を伺うと、笑みは消えていた。



第二相談室へ続く一階の渡り廊下に差し掛かったとき、俺は切り出した。


「えっと……俺達はここから第二相談室へ向かうわけなんだけど、ここから少し遠回りをすることになる」


小鳥遊さんは歩きながら怪訝そうに俺を見た。


「遠回り? 何か工事やってたっけ?」

「いや、そうじゃなくて……なんていうか、カウンセリングの予診だと思って欲しい」


よしん、と小鳥遊さんは呟いた。


「問診票を書くみたいな?」

「まあ、そんなもんだと思っといて」

「わかった」


小鳥遊さんは素直に頷いた。友達を助けるためなら、多少の怪しいことには目を瞑ろう、という気概を感じる。


なら、俺の方もスムーズにやろう。


「じゃあ、始めるぜ。この渡り廊下を曲がった先に第二相談室があるけど、俺達はここから、正面の階段を三階まで昇る」

「……うん」


言いたい言葉を飲み込み、小鳥遊さんは俺の少し後をついてくる。二人で黙って階段を昇る。部活動や帰路に向かう何人もの生徒たちとすれ違う。賑やかな放課後だ。


そうして俺達は三階まで上がってきた。目の前にはさっきまでいた校舎に続く渡り廊下が伸びている。


「この渡り廊下を向こうまで渡る」

「……渡る」


復唱する小鳥遊さん。俺達は今大きく上下にU字を描いて元いた校舎に戻ろうとしている。全く意味の無い行動だ。それでも粛々と、渡り廊下を歩く。そこでも何人かの生徒とすれ違う。俺はすれ違う生徒が途切れたのを適当に見計らい、次のように言った。


「じゃあ、今から言うことに従って。仮にそれが不可能だった場合でも、気にしなくていいから、できるように努力してみて」

「はい」


猜疑心を必死に喉の奥に押し込めているのがわかる、ぎこちない返事が返ってくる。俺は構わずに指示する。


「緑色で、縞模様のあるタヌキを、思い浮かべないで」

「緑色……え?」

「緑色で、縞模様のあるタヌキ。それを、ようにして」


小鳥遊さんは黙り込んだ。心なしか歩くのが遅くなる。俺は彼女に歩調を合わせる。


……これで合ってたよね? 晶さんのLINE確認した方がいいかなあ。などと思っていると。


自分の踏み出した足が空を切るような、嫌な感覚がせり上がってきた。


「、ひゃあッッ!!」


隣から悲鳴が上がる。小鳥遊さんが驚くとこういう感じね。俺はパチンと手を叩いて言う。


「あー、オッケ。予診はオシマイ。第二相談室へ向かおう」

「え? 今の、何?」


すっかり怯えきった小鳥遊さんが歩みを止めてしまう。俺は振り返って言う。


「小鳥遊さん。正木さんを助けたいなら、ここから先は怖がってられないぜ。なんせ、を頼ろうってんだから」

「魔女……辻上君って、本当に」


今までとは違う目で、小鳥遊さんが俺を見る。傷つくけど、まあしょうがないよな。


とにかくこの子を連れてくるのが、俺の仕事だ。


「……俺はたしかに魔女の手下かもしんない。でも、クラスメイトをできるだけ助けたいってのも本音。だって、それはのことだろ?」


立ち止まっている小鳥遊さんに俺は手を差し伸べる。彼女の身体は、一秒でも早くここから立ち去りたいようだった。俺の手を見る眼差しから、一歩下がろうとする足から、それが痛いほどに伝わってくる。


それでも、彼女は俺の手を取った。


「……大丈夫。正木さんはきっと助かる。晶さんなら助けられる」


俺は気休めを口にしながら、少しだけ彼女の手を引いた。そうしてまた並んで歩けるようになったところで、手を離した。


渡り廊下を通って、元いた校舎に戻る。


「誰もいない――音も、しない」


小鳥遊さんが呟く。


「私達、異世界にいるの?」

「そんな大したモンじゃない……と思う」


正直俺も詳しいことはよくわかんないんだよな。


「とにかく、ここを曲がれば第二相談室だから」

「曲がれば…って、ここまだ三階だよね?」

「こっちの第二相談室は三階にある……的な?」


俺のざっくりした説明に唖然とする小鳥遊さん。


そんなこんなで、俺達は第二相談室に辿り着いた。


「本当にある……」

「晶さーん。小鳥遊さんを連れてきました」

「ありがとう空くん。入っていいよ」


晶さんの返事を受け、失礼しまーす、とドアを開ける。


真っ黒なスーツに身を固めた魔女が、椅子に座ったまま、ニッコリと微笑んで出迎えた。


「こんにちは、小鳥遊せりかさん。スクールカウンセラーの辻上晶です。ここまで来るのは大変だったよね?」


三階にあるはずのもうひとつの第二相談室は、どう見ても一階にあるようにしか見えない。俺やこの学校の生徒が知っている、元の第二相談室と同じだ。


しかし、その窓には運動場ではなく、真っ赤な夕日に照らされたススキの原が、一面に広がっていた。

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