1 魔女の部屋
始めに断っておくと、これは俺についての話じゃない。
■
その日の放課後もいつものように、「魔女の部屋」でミルクティーを飲んでいた。
――などと言うとミステリアスで素敵な雰囲気だけど、実際には第二相談室で、インスタントの紅茶に、自販機で買ってきた牛乳を入れて飲んでいるだけだ。それでも、自販機で直接甘ったるいミルクティーを買うよりは、とても幸せなキモチになれるのである。
「
こちらに背をむけて、書類とノートパソコンに目を向けているのはこの部屋の主であり「魔女」であるところの、
「いやあ。俺って、牛乳めちゃくちゃ好きじゃないっすか」
「そうだね」
「で、最近紅茶の良さがわかってきて、これに牛乳を入れたらめちゃくちゃチルなんじゃないか? と思ったわけですよ。その結果ミルクティーを再発明したという」
「あまりそういうことを言ってると紅茶好きに怒られるよ?」
「へーい」
俺は晶さんの生返事に生返事を返しながら急須から紅茶のおかわりを注ぐ。買ってきた牛乳はまだあと少し残っているのだ。
透き通った紅茶の色を、白がゆっくり濁していく。
第二相談室は秋の西日に染まり、宙に舞った埃が光っている。あまりに優雅で、ちょっと欠伸が込み上げてきた。
「暇っすねえ晶さん」
「あのなあ空くん。君にとって今は自由時間かもしれないが、私は全然仕事中だからね」
晶さんはオフィスチェアをこちらに向け、呆れたように笑って俺を見た。ショートカットの黒髪がさらりと光る。並の男性よりもきっちりとフィットしている男物のスーツ(彼女が「魔女」と呼ばれる由縁のひとつでもある)は、今日も昨日と変わらない完璧なカタチを保っている。明日も明後日も、その先もずっとそうだと思えるほど。
「そんなこと言っちゃって! 本当はツイッターでも見てんじゃないですか? 変な事件でも探してさあ」
「あ、コラコラ」
俺が面談用の机からノートパソコンを覗こうとすると、晶さんは慌てて隠した。
「まったく、君を出入り自由にするのは大変だったんだよ? 個人情報をみだりに漏洩させたとなっちゃ、この学校に居られなくなってしまう」
晶さんはそう言いながらデスクの引き出しをゴソゴソと探って、何かを俺に投げた。
「うわ、危ね!」
「それでも回して遊んでいなさい」
俺がかろうじてキャッチしたのは……ベーゴマ?だった。意匠や模様はないが、不自然なほどに真っ黒だ。
「回せったって、俺は現代っ子ですよ? ランチャーグリップもくださいよ」
「ランチャーグリップでベーゴマは回せないだろ。そいつは特別製だから、ヒモも何も要らないよ」
嘘ぉ、と言いながら俺はベーゴマを机に立てて、なるべく勢いよく回してみた。すげえ、マジでめちゃくちゃ回ってる……。
「だろ?」
晶さんは得意げな顔をして、仕事に戻った。俺はその真っ黒なベーゴマが徐々に加速していくのを(何で?)呆気に取られて見ていたが、そいつが危うくミルクティーに直撃しそうになって、慌ててカップをソーサーごと持ち上げた。
「晶さんコレ、作ったヤツ?」
「正解」
「うわ、怖えー」
「大丈夫、それはただそれだけのモノだよ」
そうは言われても、これが晶さん謹製のベーゴマだと思うと途端に恐怖が増してくる。突然あらゆる方向に手裏剣でも撒き始めるんじゃないの!? 俺はドキドキしながらミルクティーを啜り、今やすっかり安定した速度で回り続けるベーゴマを見守った。
で、そのまま30分ぐらい経った。
「ウーン、飽きないわ……」
回ってるモノってなんかいいよね。ちょっと前に手で回すオモチャも流行ったし。
「……ハッ。完全に晶さんの狙い通りになってしまった!」
「オモチャで遊んでるときの空くんは本当に大人しくてかわいいね」
気づくと日は殆ど暮れかけていた。晶さんは仕事を終えたようで、頬杖をついてニヤニヤしながらこちらを眺めている。恥ずかしい!
「お、俺はいつだってかわいいもん……!」
「ハイハイ。ところで空くん、ちょっと今から肝試しに行く気ない?」
「肝試し?」
あまりに予想外のワードが出たので間抜けにもオウム返ししてしまった。今、秋ですよ?
「そう、肝試し」
晶さんは少し首を傾げてニヤニヤと笑みを深めた。
黒いベーゴマは微かな音をたてながらずっと、ずっと回り続けている。
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