読んで・忘れる・創作論

 1970年に発刊された古い時代の創作論をバイブルとしている。
 何かあればそちらを参考にするが、かといって、それを横において書くわけではない。

 読んで、忘れる。

 創作論の使い方は、鞄の中のお守りのようなものだ。
 

 カクヨム内にも創作論がたくさんある。
 犀川ようさんの創作論には、「テクニック論」「根性論」の二つがあって、どちらも語り口が小気味よい。
 内容も素晴らしい。
 どこかから借りてきたような上っ面の綺麗ごとではなく、ちゃんと思考してきた人が書いているからだ。
 にっこり笑いながら装飾のない銀のバターナイフを腹に突きつけてくるような文章になっている。

 このシャープな語り口は、犀川さんが、「牛肉が食べたければ牧場を買えばいいじゃない」そんな富裕層のお生まれだからかもしれない。
「叙々苑のようなまずい肉をなぜ食べるの?」
「わたしのアカウントが抹消されたわ。お父さま、K川の社長を絞めてきて」
 そんなことも可能なほどの家に産声をあげて(わたしの中ではそういうことになっている)、たかり屋を華麗にスルーしながら人間観を磨いてきた人なのだ。

 国民全体が貧乏。
 そんな当世にあって、実家の太い女王は、日本が沈没しても大丈夫だという自信に満ちている。
 決して、「こんなことを書いてもいいかしら……どうかしらこれ……」なんてうじうじしない。
 誰に媚びる必要もない。
 下民どもよ顔を上げなさい。
 そのくらい堂々と語る。

 明晰な切り口に魅せられて、読んだ人は誰でも「なるほど」と頷くだろう。しかしそこで止まってはならない。
 読んだら忘れましょう。
 犀川さんのものであろうと他の誰のものであろうと同じです。
 読んだ創作論は頭から消しましょう。
 そして自分で苦心しながら小説を書いてみて下さい。


 まっ白い画面に向かって一文字、一文字。
 一作、一作。
 完結させてみて下さい。


 うまく動かぬ物語に悩み、非才に絶望し、筆を折ることもあるかもしれません。
 時には、閃きや情動に突き上げられるようにして寝食を忘れて書いて下さい。
 そうやって作品を積み上げて、少しは自分のスタイルが確立した、上達したとあなたが自負する頃、自分なりに創作論を書いてみたくなったとします。
 どんなことを書きましょうか。


 きっとその内容は、過去に世に出た創作論、および犀川さんの創作論と、そんなに差のないものになっているはずです。
 そこには大昔から変わらない小説の真髄と、自らが実体験したことで得た小説の自由があるはずです。

 たとえあなたが極度のコミュ障の経験不足であっても、小説を書くという経験をした後には、着実に経験が積まれています。
 一歩も外に出れない病気であっても、小説を書くために必要だったその強靭な精神力は、あなたの命そのものです。
 文字を編むという苦行を経て、「小説とはこのようなものではないのか」と辿り着く境地。
 それが創作論です。

 ちなみにこのレビュー、「だ・である」調から途中で故意に「です・ます」に変えています。
 作文教室で習ったことを忠実に再現しても、作文以上のものは出来ません。
 創作論は忘れましょう。

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