第31話 またね/真金埼君は壁を飛び越える(下)
インターハイは、俺としては上々──とは言うものの心残りがあることは否定できない──結果となった。個人戦は三位、団体戦は準々決勝で敗退。できることならどちらも優勝を狙いたかったが、過ぎたことは致し方ない。冬の大会と、来年でものを言わせれば良い。
予定通り、たなばたさんの最終日には間に合った。今日は千代子との約束がある。何としてでも反故にする訳にはいかない──そんな覚悟で帰路についたが、特に障りがある訳でもなく、あっさりと帰宅できた。これも俺と、千代子の日頃の行いによるものだろう。
以前から用意していた浴衣に袖を通す。祖父のお下がりだが、せっかくなら場に合った服装で出かけたい。千代子も浴衣を用意しているだろうか。着付けはできるのだろうか。もしできないのなら、俺が手伝おう。これから覚えていけば、今後の外出の役に立つ。
必要なものは大体揃えた。大会前に髪の毛も切ったので、見た目で千代子に恥をかかせることはないだろう。
準備万端、いざたなばたさん。玄関を出て、斜向かいの家へと視線を向ける。
「あっ」
「む」
初めに目が合ったのは千代子──ではなく、先に出てきた衛君だった。月浦よりは露骨ではないが、俺の姿を認めるとあからさまに顔をしかめる。
「お前、その格好……まさかたなばたさんに行くつもり?」
「こんばんは、衛君。千代子と約束をしている。雰囲気作りというものだ──似合っているだろうか」
「お前に和服が似合わない訳ないだろ! 千代子の奴、友達ってこいつのことかよ……。昨日の女の子たちかと思った……」
珍しく、衛君から褒められた。少し照れ臭いが、衛君にその気はないのだろう。目の前で眉間を揉みながらげんなりしている。
衛君が俺を警戒する気持ちはわかる。彼は千代子の父親を酷く嫌っていた。それだけ千代子のことが気がかりなのだろう。いつか──可能ならば近いうちに、衛君に認められたいものだ。
ここで遅れて千代子が外に出てくる。彼女はいたって普通のTシャツにジーンズといった出で立ちで、浴衣で出張ってきた俺としては物足りない。たなばたさんは街の飾り付けが主となる行事ではあるものの、祭りという名目があるのだからそれらしい格好をした方が良い──湯元風に言えば、気分がアガるというものだろう。
「ごめん、真金埼君。お待たせ」
「いや、待ってはいない。ちょうど今しがた出てきたところだ」
俺にはよくわからないが、千代子は外で俺を名前呼びするのは恥ずかしいのだという。苗字の方が長いのに、何故わざわざそちらを選ぶのか……いずれはどこでも律貫君と呼んで欲しいところだ。
とんとんと爪先を地面に軽くぶつける千代子を、俺はじっと見つめる。この距離だと視線を無視できないのか、千代子は顔を上げて苦笑した。
「ええと、真金埼君……何か、怒ってる?」
「……怒ってはいない。ただ、せっかくの祭りに普段着とはいかがなものかと思った」
「しょうがないでしょう、浴衣なんて持ってないもの。真金埼君が張り切りすぎなんだよ」
「千代子の言う通りだね。大体、浴衣着て欲しいなら約束した時に擦り合わせとけば良いじゃん。行き当たりばったりで文句言われてもね~」
「む、たしかに衛君の言にも一理あるな……」
「一理あるとかじゃなくてこれは正論なんですけど!」
衛君は所々で子供のような仕草をする。今がまさにその時で、年甲斐もなく頬を膨らませていた。平時はしっかりとした人なのに、不思議なものだ。よく愛智が言われるギャップとは、こういう事例を指すのだろうか。
「浴衣かあ……まあ、そうだね。最近はお手頃に買えるのもあるみたいだし、ちょっと考えてみようかな。また来年ね」
千代子は何気ないつもりで言ったのだろうが、俺にとっては願ってもない発言だ。また来年、ということは、来年のたなばたさんも共に回ろうという先の約束だろう。一年間待たなければならないが、来年もまた千代子と出かけられるのならそれに越したことはない。俺としても、入念に準備しておかなくては。
「ところで衛君、君もたなばたさんに行くのか? 予定とは異なるが、俺たちと共に回りたいのなら歓迎するぞ」
「はあ? 千代子とならともかく、誰がお前と回るかっての! いい、まだ明るいけど夕方だし、俺は千代子の送り迎え! おにいちゃんがいる限り、千代子に変なことはさせないからね!」
「えっと、もともとは地元の友達と遊ぶ予定だったんだけど……おにいちゃん、私のことは気にしなくていいからね。また昨日と同じ時間帯に電話するから……」
「帰りも俺が送り届けるので衛君が負担することはないと思うが……」
「おにいちゃんは心配性だから……。真金埼君なら大丈夫だと思うけど、おにいちゃんの気持ちを無下にはできないからね。むしろおにいちゃんが逆ナンに遭うかもしれないから、その時はよろしくね」
「いや、そんな時は千代子によろしくして欲しいんだけど⁉️」
こうして衛君と談笑する千代子など、少なくとも俺は初めて見た。義理の兄に対する千代子はいつも萎縮した様子で、衛君が寂しげな顔をすることが常だったが……楽しげに言葉を交わしているところを見るに、以前よりも良好な関係を構築できているということだろうか。悲しんでいる衛君には悪いが、兄妹仲が良くて何よりだ。
……ただ、たとえ衛君と言えども、千代子が異性と接しているのを前にすると、どうにも心がざわつく。花鶏と食事に行った時もそうだった。わがままだと理解してはいるが、千代子にとって最も親密な男は俺であって欲しい。
千代子が周囲と打ち解けているのは喜ばしいことだ。せめて千代子の人間関係を邪魔しないよう、平常心を保てるようにしておかなければ。
──と、ここで帯の隙間に突っ込んでいた携帯が鳴った。通知を確認すると、湯元からメールが届いている。
【そろそろ帰った頃だろ
フラれたら俺と愛智で慰めてやるから、悲しい結果になったら連絡しろよ】
……余計なお世話だ。
「真金埼君、大丈夫そう?」
「他にツレがいるならそいつと回りなよ」
それぞれ様子を窺ってくる荒鷹兄妹に、なんでもないと返す。湯元と愛智には悪いが、誰よりも大切な千代子を放り出して行く訳にはいかない。
「行こう。道草を食っている場合ではない」
いつまでも立ち話をしていては、時間を無駄にしてしまう。俺はこの日をずっと前から楽しみにしていたのだ。話ならば歩きながらでもできる。
ショルダーバッグにかかっていない千代子の右手を、柔らかく握る。うげえっ、と衛君がらしくないすっとんきょうな声を上げたので、空いている方の手で彼の手も取った。これで平等だ。
「ま、真金埼君! これ、恥ずかしいよ!」
「案ずるな。幅の狭い道では縦に並ぶ。機関車をイメージしてくれれば良い」
「それはそれで問題だっつの!」
人混みではぐれるよりはましだろう。顔を赤くする千代子と青くする衛君の手を引いて、俺はたなばたさんに向けて歩を進める。
これより先も、千代子と、千代子が大切に思う人々と良い関係を築いていきたい。それを再び実感できただけで、今年の夏は上々だ。
未だ日の沈まない空を見る。また来年、と先の約束をする年を続けるため精進しようと、俺は密かに誓った。
すったもんだ顛末記、あるいは真金埼君を巡る群像の寄せ集め 硯哀爾 @Southerndwarf
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます