第30話 色相/荒鷹さんは覚悟を決める(下)
今日は帰ってからもなんだか落ち着かなくて、諸々が早めに終わってしまった。正直、心がぼんやりとして、上手くものを考えられない。夕ごはんを食べている最中もぼんやりして、何度もおにいちゃんに名前を呼ばれたり目の前で手を振られたりした。目を開けたまま寝ているとでも思われたかもしれない。
それもこれも──夕方に会った幼馴染み、律貫君のせいだ。
私の不安は杞憂だったらしい。律貫君は私が想像しているよりも私のことを大切にしていて、その上とんでもない方向に発想を飛躍させた。聞いている側としてはいてもたってもいられない、まるで将来を誓い合うような言葉まで平然と吐いて、私の心をかき乱すだけかき乱し、何故か満足そうな顔をして家に帰っていった。
……正直に言って、律貫君が予想以上に私への興味関心を持ってくれていたことは嬉しく思っている。勢い余って本音をぶつけてしまったけれど、幻滅するどころか受け入れてくれた。私を嫌っていないのだと、彼ははっきり言った。
ベッドに寝転がり、天井を眺める。何か考えようとすると、律貫君の顔が思い浮かんで集中できない。私は本当におかしくなってしまったみたいだ。
でも、悪いことだけじゃないってわかってる。むしろ、律貫君とのやり取りは、ずっと感じていた漠然とした不安に、小さいけれど穴を空けた。誰かに嫌われることに対する恐ろしさ──強くて気高い律貫君が断言してくれたからかもしれないけど、何だか今まで気にしていたことが一気にちっぽけなものに感じる。
……冷静になってみたら、律貫君に関するほとんどは私の被害妄想だ。そうなると、またしても自分が嫌で、消えてしまいたくなるけど──私がどれだけ逃げようとも、律貫君は追い付くだろう。私も、律貫君が側にいて嫌だとは思わない。時間の許す限り、親しくしていたいとさえ思う。
律貫君が大丈夫だったなら、他の人たち──友達や家族も、私が思っているよりややこしくないのかもしれない。これ以上、
深呼吸し、携帯を手に取る。こういう時、すぐに実行しないとずるずる後回しにしてしまうのは私の悪い癖だ。勢いをバネに、勇気を出そう。
寮暮らしだし、迷惑かなとも思ったけど、まず私の頭に浮かんだのは鼎ちゃんの顔だった。いつも私を気遣ってくれて、仲良くしてくれる大切な友達。外部進学で知り合いのいない私に、高校からの付き合い同士仲良くしようよ、と笑いかけてくれたことは今でも覚えている。
意を決して、電話をかけてみる。この時間ならまだ寝ていないだろうけど、鼎ちゃんは努力家だから夜遅くまで自主練に励んでいるかもしれない。繋がらなかったら、またかけ直せばいいか。
数回のコールの後、通話が繋がる。良かった、と思ったのもつかの間、予想外の大声が私を出迎えた。
『はいはいはいはい‼️ オレ‼️ 聞こえる⁉️』
「えっ……と、花鶏君? これ、鼎ちゃんの携帯のはずじゃ……?」
『おっ、誰かと思えば荒鷹じゃん! こんばんは! 月浦なら、今クランチやってる! だからオレが代わりに出た!』
「そ、そっか……。鼎ちゃん、あとどれくらいかかりそう?」
『ん~~~、どーだろ! オレは荒鷹とお喋りしててもいいけど……ってヤバ! ちょ待っ、タイムタイム、』
『花鶏テメエ人の電話に勝手に出てんじゃねえよ潰すぞ‼️ ……ごほん。あー、もしもし千代子? ごめんね、花鶏がうるさくて……』
「あ……うん、大丈夫……」
私は特に問題ないけど、花鶏君の安否は心配だ。鼎ちゃんは負けず嫌いな性格もあってか、男子とも争う姿勢を見せる。ついでに身体能力が高いから、何かといい勝負になるか、男子をも圧倒することが多い。花鶏君なんて、廊下を走っていたら普通に歩いていた鼎ちゃんと衝突して、走っていたにも関わらず吹っ飛んだことがある。鼎ちゃんと花鶏君だったら、前者の方が色々と強いのだ。
何はともあれ、鼎ちゃんは筋トレを中断して来てくれたらしい。ありがたいなと思いつつ、あまり長くならないように努めなければと自分を戒める。
「ええと、突然電話してごめんね。特に何か用件があるって訳じゃないの。ちょっと鼎ちゃんと話したくなって……消灯時間もあるだろうし、立て込んでたらすぐに切るよ」
『えーっ、気にしないでよ! 千代子から電話かけてくれるなんて滅多にないんだし、そんなこと言ってもらえるなんて
「大丈夫、平気だよ。それしても、今日は賑やかだね。何かあった?」
『ああ、明日インハイ組は出発だからね。テンション上がってる奴が多いんだよ。たまーにちょっかいかけてくる奴もいるかもしれないけど、無視していいからね。後であたしがごしゃいどくから』
『そーそー! オレら明日から遠征!』
早速花鶏君の声が割り込んでくる。インターハイが控えてるのにいつも通りなんて、すごい。我が校の成績のためにも、鼎ちゃんのお叱りが口頭だけであることを祈る。
『…………で、千代子。こんな状況だし、無理強いはしないけどさ。その声、なんかあったでしょ。あたしで良ければ相談に乗るよ。遠慮はなしってことで』
『オレも手伝う‼️ ここが恩返しの時ってやつだな!』
『水くせえこと言うなよ、事情は知らねえけど頼りにしてくれよな』
『月浦は脳筋だからなあ! ここは繊細な俺らにお任せじゃね?』
『ちょっと待った~! 俺も混っぜろ~!』
『イエーイ! 俺もいるよ~ん!』
『だーっ、次から次へと湧いてくんなよインハイ組! お前らはとっとと寝ろ! はっ倒すぞ!」
……何というか、鼎ちゃんは人気者だ。恐らく関わりのない男子たちがノリと勢いで参戦してくる。各部のお調子者が一堂に会していると思うと、目立たない立ち位置にいる身としてはここにいてはいけないような気がする。電話ではなく、直接鼎ちゃんと話している状況だったら、そそくさとその場を離れていたかもしれない。鼎ちゃんを取り巻く人たちは、色相環図が作れそうな程個性豊かだ。
そんな中に私も入れてもらえているのだと思うと、ありがたいという気持ちと同時に疑問が湧いてくる。私は鼎ちゃんが好きなスポーツが得意な訳でも、興味がある訳でもない。皆に好かれるようなトーク力だってないし、そもそも誰かに自慢できるようなことなんて──あるとしても、律貫君の幼馴染みということくらいじゃないかな。
せっかくだし、今聞いてみてもいいかもしれない。どうして私と仲良くしてくれているのか。ずっとお情けで親しくしてくれているものだと思っていたけど、もしかしたら私は誤解しているのかもと、今になって不思議と希望を抱いてしまう。
『本当にごめん、とりあえず女子棟まで逃げてきたからしばらくは静かに話せると思う! あいつら、後で覚えてろよ……』
賑やかな男子軍団から何とか逃げきったらしい鼎ちゃんは、電話口でもわかるくらい荒い呼吸を挟みながら通話を再開する。体力自慢の鼎ちゃんを息切れさせるなんて、やっぱり強豪校ってすごい。
鼎ちゃんの息が落ち着くのを待ってから、私は一度唾を飲み込む。改まってみると、変に緊張してしまって、背中にじっとりと汗が滲む。
「その……変なこと聞くけど、いいかな?」
『なになに、畏まっちゃって。あたしと千代子の仲でしょ、今更遠慮しないでよ』
「ありがとう。……鼎ちゃん、入学式の日に、私に話しかけてくれたよね。学校も部活も違うし、それまで関わりなんてなかったのに、どうして私を声をかけたの? 外部進学で入った子なら、他にもいたのに……」
ずっと疑問に思っていた。鼎ちゃんが私に話しかけてきたことが。
私たちは一年生の頃、同じクラスだった。とはいえ、出席番号が離れているから席はそこまで近くないし、運動部の期待の新星、なんて呼ばれている鼎ちゃんと私には面識も接点もない。それなのに、入学式が終わって教室に集まった時、鼎ちゃんは真っ先に話しかけてきた。
鼎ちゃんは仙台の出身じゃない。中等部から持ち上がりで進級した子たちの中に混じったら、アウェイ感があっても仕方ないと思う。だから外部進学で入学した私に親近感を持った、と前々から言っていたけど──割合としては半分を切るとはいえ、外部進学組は決して少なくない。一年の頃のクラスにも、ちらほらいたはずだ。それなのに、鼎ちゃんはピンポイントで私の方に向かってきた。何か、示すものがあったみたいに。
どきどきしながら、鼎ちゃんの答えを待つ。このまま切られたら、ちょっと……いや、かなり傷付くかもしれない。心の支えにしていた律貫君には及ばないけど、鼎ちゃんも大切な友達。嫌われるのは、やっぱり恐ろしい。
『……あー……あのね、千代子の質問よりずっと変なことになるけど、それでもいい……?』
返ってきたのは、いつもパワフルな鼎ちゃんにしては弱々しい声。彼女にそこまでさせる何かがあるのだと思うと怖かったけど、ここで逃げたらいけない気がする。私は努めて平静を装って、いいよ、と先を促した。
『入学式でさ、新入生の名前を一人ずつ呼ぶじゃない。その時、荒鷹千代子って名前がすごくきれいだと思ったから、どんな人なのかなって興味を持ったんだ。こういう人ってイメージした訳じゃなくて、単純に、響きがいいなって思ったの。勿論、高校から入った者同士っていうのもあるけど……順番で言えば、今話した理由の方が先』
「私の、名前……」
『うん。言葉ではうまく言えないんだけど、なんて言うかな……背筋がしゃんとするような名前だなって。今となっては名前だけじゃなくて、千代子そのものが大好きだけどね』
照れ臭そうに笑う鼎ちゃんの声を、私は黙って聞いた。喉の奥がじんと熱を持って、すぐに言葉を発せられなかった。
私が荒鷹千代子であったことが、仲良くしたいと思った理由。私が私でなければ、鼎ちゃんとは出会えなかったかもしれない。
自分が生きていることに、何の意味があるのだろうと、申し訳ないと思いながら過ごしてきた。こんな風に思いながらも、死を選ぶことを怖がっている己を恥ずかしいと責めることもあったけど──ああ、その選択は、間違いじゃなかったのかもしれない。
律貫君は、私のことを替えのきかない存在だと言ってくれた。にわかには信じられない。……でも、私が私であることが、私を好きでいる理由になっている人が二人もいるのなら、決してあり得ないとは言えないんじゃないか?
「……ありがとう、鼎ちゃん。私も、私もね、鼎ちゃんのこと、大好きだよ」
『ええええ‼️ どど、どうしちゃったの千代子! どうしよ、すごい元気出ちゃった! もっかい体動かせる気がする!』
「ふふ、無理はしないでね。聞きたかったのはそれだけ。夜なのに電話してごめんね。……ねえ、これからもこんな風に、電話かけてもいい?」
『いいよー! いいに決まってるじゃん! 絶対だよ、約束ね! じゃあちょっとトレーニングルーム行ってくる!』
「うん、おやすみ。程々にね」
電話を切り、反動をつけて起き上がる。嬉しそうな鼎ちゃんの声が、今も耳の裏で反響している。
何をしても息苦しくて、しんどいなって思うことも多いけど……私が気付いていないだけで、意外と息継ぎできる場所はあるのかもしれない。
おにいちゃんはまだ起きているだろうか。今日はなんだか気分がいいし、たまには私から雑談に誘うのも悪くない気がしてきた。それもこれも、律貫君のおかげ──と言うには、だいぶこっちをかき乱してくれたけど──人並外れた幼馴染みは、良くも悪くも盤上をひっくり返すのが上手い。
台所へジュースを取りに、私は立ち上がる。扉を開けると蒸し暑い空気が体を押したけど、今ならその重さにも負けないような気がした。
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