答え合わせ

 花梨が作ってくれたホットチョコレートを飲んで、あの時の彼女のあの顔をまた思い出す。何年後かの二月十四日の今。

 あの時何を思っていたのか。今なら聞いてもいいだろうか。


「え、もうわけわかんなくなってたんだよ。だって、面と向かって渡す勇気なんてなかったから、一種の賭けみたいな狡いことをしたわけで。あの紙袋を渡したかった本人にちゃんと見つけられて、よかった、嬉しい、っていうのと、そこまで追いかけてきて……もう迷ってなんていられなくて、ちゃんと言わなきゃいけないことに、頭が真っ白になってさ」

「そうだったんだ」


 チョコレートの甘い匂いが、鼻先を漂って行く。今まで、どこかで聞いてみたい気持ちがあったけれど、聞けずにいたことがあったのは、お互い様だったようだ。花梨も、どこか遠慮気味に訊ねてきた。


「でも、本当にちょっとくらいは思わなかったの?」

「何を?」

「もしかしたら自分にかもって」

「思うわけないよ」

「えー……」


 一度不満そうにふくれっ面をしたと思ったら、すぐにため息をついた。


「そりゃそうか。わかるわけないよね。ただの客だったし。あの店でコーヒーを飲むのが自分へのご褒美だ、っていうのは、どういうことかわかりませんかね」

「わかりにくいよ」


 それは、小さな嘘。そういうことかもしれないと、ほんの少しでも考えてしまったことはある。だけど、自分の都合のいいように、勝手に物語を作り上げただけだと、こっそり隠した。


「だって、ただのお客だし、はっきり伝えたら気持ち悪いじゃん」


 こちらとて、そんなことを一瞬でも考えたと悟られたら、同じ気まずさはある。ちゃんと、お互いに想いを渡し合った今でも。


「でも、コーヒーを自分へのご褒美にしている、っていう言葉は、俺は嬉しかったんだ。こちらにしたら、なんてことはない一杯のコーヒーだけど、それが日常のちょっとした特別なんだ、って」


 それだけは、正直に伝えておこう。あの時、ちゃんと上手に言えなかったことを。なんとなく気恥しいのは、花梨も同じ。


「志真が淹れるから、っていうのもある。それは、ちゃんと今なら通じるでしょ」


 数年後の、ちょっとした答え合わせ。花梨は、お店で飲むのと同じように、コーヒーを飲んだ後に、ホッとしたような顔を見せる。


「志真はコーヒーを商売で淹れているだけで、私はそれを飲みに来ているお客っていうだけ。勝手にこのコーヒーに恋をしていただけだよ。本来は、そこにはそれしかない関係のはずなのに、好きな人の好きな人になった、っていうのは、よくよく考えたら奇跡だよね。あの時、何かが一個でも違っていたら、ズレていたら、そうはなってなかっただろうし」

「そうかな」

「え、どうして?」

「もしもあの時何かが違ってすれ違っても、どこかで必ずこうなるように出来ていたと思うけど」


 そんなことは、当たり前のように思っていたことだけれど。花梨にとってはそうではなかったのか、意外そうに目を丸くしてから、口をキュッと引き結んだ。

 そして、意地になったように反論する。


「でもさ、ずっとお互いが好きでも、タイミングを逃して実らぬ恋、それでおしまい、っていう映画ありそうじゃない。っていうかあるよ」

「断言しないでよ。花梨は自分へのささやかなご褒美をあげに、絶対にお店に来るでしょ。そうである限り、終わらない」


 いつまでだって。根拠も保証も何もなくても、何故だかそう思ってしまう。世の中には、永遠も絶対も何もないのに。たとえば四十年後、歳をとった花梨が、自分が淹れたコーヒーを飲んでいるのを、想像できる。そして、変わらずに、一口飲んだ後、ホッとした顔をするのも。


 そんなことじゃ、『本当』の証にはならないだろうか。

 そこまで話せば、わかってくれるだろうか。でもそれは、今みたいに、いつかの答え合わせでいいような気がする。


 けれど、言わなくても、花梨は素直に認めてくれた。


「う……うん。志真のコーヒーが飲めなくなる方がもっと悲しいもんな」

「そこまで俺が淹れるコーヒーに全幅の信頼を置いていただき、ありがとうございます」

「自惚れだ」

「うん、そこは己惚れていいと思ってる」


 自分でもなんて物言いだと思ったけれども、花梨に肩を思いっきり叩かれてしまう。


「わーっ、何かムカつく。そもそも何でこんなむず痒い話をしているんだ」

「まあまあ……そういう日だからじゃない。甘いものを先にくれたのはそっちでしょう」


 チョコレートの甘い香りと、コーヒーの香ばしい匂いが混ざり合う。こんな日があってもいいだろう。

 何気ない小さなご褒美が、いつかと、今日と、未来を繋げて重なる日。

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一杯のごほうび(花梨と志真⑥) 胡桃ゆず @yuzu_kurumi

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