後篇
風もないのに、鐘がおかしな音色で鳴っている。鳴っているというより、声が反響しているのだ。ぴんときた。そこでまだあいつと先生が闘っているのだ。
「魔術師の幻影を無効にするのは簡単だ」
本を手にしたエミールが叫んだ。ぼくたちは全力で廊下を走り、寮の階段を駈け下りていた。校則など知るか。
「魔法を使うなとハンスユルグ先生は云ったぞ」
「それは魔法を使う際の一瞬の隙が、魔術師に狙われるからだ。相手が幻術を操ると知っていたら術にはかからない」
「つまり、魔法を使ってもいいのか」
「調べてみる」
立ち止まって本をめくり始めたエミールを置き去りにして、ぼくとグレゴリーとフランクは鐘楼に走った。
四方に分かれた学寮の中央に位置する鐘楼は四角の高い建物だ。鐘のある塔の上で見知らぬ若い男が何か喚いている。
「マグダレーナは俺の婚約者だ。彼女は魔術師の娘だ。お前のような魔法使いふぜいと釣り合うものか」
「時代遅れめ」
怒鳴り返しているのはハンスユルグ先生だ。
「魔術師と魔法使いに垣根はない。男同士、拳で勝負だというから応じてやったのだ。まだ懲りないのか」
さらに先生は云った。
「マグダレーナ、君は下に降りていなさい」
「姉さんが上に行ってしまったのよ」
塔の真下にいたユディットがぼくたちを振り返った。
「あの男は姉さんの婚約者なの。といっても親同士が口約束で決めたもので、姉さんの承諾がないから無効なのよ。それなのに諦めないと云ってしつこいの」
ユディットは鐘楼を心配そうに仰いだ。
「姉さんとハンスユルグさんはずっと付き合っていたの。二人は春になると結婚する予定よ。あの男はそれを恨んで、ハンスユルグさんを脅していたのよ」
「じゃあ学校に届いていたという脅迫状は、あの男が、ハンス先生に送りつけていたものなのか」
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(脅迫状)
身をひけ。結婚を止めろ。
さもなくば学校の生徒に危害を加える。
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「お前こそ身を引け、魔術師」
四方の寮から生徒たちが鐘楼に向かって野次を飛ばした。学生にしてみれば恰好のお祭り騒ぎだ。方々の寮の窓から顔を突き出して、誰もが野次馬となって成り行きを見守っている。
「ハンスユルグ先生、頑張れ」
「先生、いつでも助太刀しますよ」
「これはどうしたことだね」
駈けつけた先生方も口を開けて塔を見ている。どんどん人が増えてきた。
「あったぞ、書いてある。ここだ」
追いついてきたエミールが分厚い本の一節を指し示した。
「相手が幻術を操る魔術師であると魔法使いが知っている場合、その術は魔法使いにはかからない。しかし魔法使いと魔術師の闘いは、もし魔法使いが魔法を使うならば、魔法を繰り出すその一瞬の隙を突かれて幻術に嵌る率が上がるので勧められない。ただし魔術師の幻術はひどく体力を使うので、そう何度も出来るものではない」
「なんだかはっきりしない解説だな」グレゴリーが首をふった。
鐘楼にマグダレーナさんの姿が見える。マグダレーナさんはハンス先生に庇われて角の柱の近くに立っていた。
マグダレーナさんが男に云い返した。
「あなたとは結婚しないわ。あなたがハンスに幻術を使ったら、その時はわたしがあなたに幻術をかけるわ」
「姉さんは優れた幻術師だけど、あの男も強いのよ」ユディットが慌てていた。
「能力は互角だと想うわ」
「やばそう。どうしよう」エミールが本を閉じた。
「決まってるさ」
ぼくの代わりに、フランクとグレゴリーが応えた。彼らの手には箒があった。エミールとぼくも箒を呼び寄せた。
「どうするの」
不安そうなユディットに向かって、安心させるように頷いてみせた。ぼくたちは魔法使いなのだ。
「級長、いくぞ」
ぼくたちは一斉に箒で飛び立った。四手に分かれ、登楼の隅から昇るのだ。
幻術師は一瞬の隙をついて幻術にかける。でもぼくたち四人とハンスユルグ先生が一斉に魔法を投げれば、その幻術網にもほころびが出る。
そう想ったのだ。
作戦は、多分成功したのだろう。その男は最期には吹っ飛び、はるか遠くに飛ばされて、それ以後、二度と姿を見せなかったからだ。
「先生」
しかし男は、四隅から魔法杖で襲い掛かったぼくたちには構わなかった。現れたぼくたちの意を汲み、ぼくたちと同時に魔法杖をふるったハンスユルグ先生だけを狙っていた。
男は憎きハンスユルグ先生に幻術をかけた。その渾身の幻術を、二人の間に飛び込んできたマグダレーナさんが遮った。ハンスユルグ先生の魔法と男の幻術、そしてマグダレーナさんの術。ぶつかりあった力と力は強烈だった。鐘ががんがんと鳴り、光と色を生み出し、炸裂した虹が渦を巻いて鐘楼の周囲に千切れ飛んで、花火のように上空の夜の雲を照らしつけた。
「魔法杖が」
ぼくたちの杖も、先生の杖も、折れてしまった。吹き荒れる眩しい嵐の中で、両腕を広げたマグダレーナさんの姿は光の針のように見えた。
マグダレーナさんは男の幻術を打ち破ったが、反動も浴びた。つむじ風に巻かれるようにしてマグダレーナさんは押し出され、風圧に弾き飛ばされ、塔の高みから下に落ちたのだ。
「マグダレーナ」
ハンスユルグ先生は一瞬たりとも躊躇わなかった。マグダレーナさんが塔から落ちるのと、先生が折れた魔法杖を投げ捨てて塔の外壁を蹴って跳び下りるのは、ほとんど同時だった。
先生は空中で愛する人を胸に抱いた。墜落した二人が地上にぶつかる寸前、大地の方から強い風が噴き上がった。
塔の下に集まっていた先生方が勢いを相殺する魔法を出したのだ。
落下速度を失った彼らは、羽毛に包まれるようにしてふわりと地に転がった。
「姉さん」
ユディットが駈け寄った。そこにぼくたちも箒で降りてきた。
「二人とも無事だ」
校医が請け合った。
「念の為に医務室へ」
「お姉さんは大丈夫だよ、ユディット。ハンス先生も」
「よかった」
担架で運ばれていく二人を見送って安堵したのか、ユディットが花のような笑顔をこぼした。
「アレクサンドル。魔法使いは勇敢なのね」
女の子なんて、その存在がすでに幻術師のようなものだ。地上に降りたぼくが、ぼんやりとユディットの顔に見惚れていると、背後から怖い声がした。校長先生だ。蒼褪めた月を背負って、それはそれは怖ろしい顔をしている。
「なぜ男子校に女子がいるのだね。しかも夜に」
咄嗟に何が云えただろう。
「説明してもらおうか、アレクサンドル君」
寮生全員から口笛を吹かれ、やんやと揶揄われながら、売られていく子羊のように、ぼくたちは悄然となって校長室に連れて行かれた。
以上が、ぼくが最終学年で西寮の寮長だった年に起きた出来事のうち、もっとも派手だったものだ。ハンスユルグ先生とマグダレーナさんの結婚式のことも含め他にも色々とあるのだが、いつの時代であっても騒がしいことが次から次へ起こるのが学生時代というものなのだから、想像がつくだろう。
寮生活を振り返ると楽しかった印象が強い。気のいい連中に恵まれたからだ。これは倖せなことだ。
暮れてゆく空に建ち並ぶ校舎の尖塔の影。からまる蔦。沈む太陽を追いかける色鮮やかな雲の流れ。星を浮かべた森を背景に、短艇部が舟をひっくり返して防水紙をかけている。
誰かが走ってくる。
中庭でぼくたちはぶつかる。銀のつぼみが地面に落ちる。
手を差し伸べてぼくは転んだ相手を引き起こす。その子は微笑む。そしてぼくの名を呼ぶのだ。アレクサンドル。
「アレクサンドル。孫たちがもうすぐ来るわよ」
ぼくの妻となったユディットが庭の温室から戻ってきた。互いに年老いた今も、彼女は花のようだ。
[了]
紅い花、白い花 朝吹 @asabuki
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