〈五〉

 俺たちが今いるのは十字になった交差点の左隅に当たる、和菓子屋の前だ。横断歩道からは少し距離を取っているものの、和菓子屋のディスプレイを見ているわけでもないため、青信号にもかかわらず微動だにしない俺達を通りすぎる何人かが横目に見ては去ってゆく。


「信号、変わんないな」

「人もぼちぼちいる」

「ここじゃなかったのか?」

「そんなことねーと思うけど……位置的にも、和菓子屋の方から駅に向かって横断歩道を渡るって感じだった」


 左右を流し見てみるが、トラックはおろかこちらに走ってくる車はない。縦方向が青だから当然か。


「渡ってみるか?」

「……いいの?」

「どっちみちここ渡らないと帰れねえし」

「そりゃそう」


 詠蕾を置き去りにしないように気を付けながら、足を踏み出す。予知によれば俺は死ぬことはないのだから、俺が詠蕾の傍にいる限りは詠蕾の生存も確保されるはずだ。もちろん、予知は三秒間しか見ることが出来ないし、どんな風に見えているのか分からない。詠蕾の見方が違う可能性もある。

 もしかして。ひょっとして。頭の中で反芻しながら、一歩一歩、白線を避けるようにして渡って行く。幼い頃とは逆だなとふと思った。子どもの頃は、白線から落ちたらそこは底なし沼だと言わんばかり、大股で白い線を辿って歩いていたのに。

 ゴールは呆気なかった。背後で「渡る」を示していた電子音が消え、車の通り抜ける音がちらほらとするだけだ。気付くと横断歩道を渡った先にあるコンビニの前まで来ていたようだ。奇しくもファミマだ。思わず詰めていた息が漏れた。その息が重なって、詠蕾の安堵を知った。


「もしかして」

「回避……した、のか?」

「うーん……でも、だとしたらトラックが来ないとおかしくね? 信号も別に誤作動起こしてないし。未来が変わったのかなあ」

「いや、まあ、たしかに変わってるけどさ、お前死んでないし。何度もの確認になるけど、さっきの場所だったのは間違いないんだよな?」

「それは間違いない。おれ横断歩道渡りはじめたみたいな位置にいて、見えたのは赤と緑。で、横向いた瞬間に頭ガツーン! でぶったおれたから、トラックにぶつかったんだと思う」

「横向いた瞬間に、って事はこの十字の横から真っ直ぐ進んできたって認識か」

「たぶんそう」


 それなら本来事故が起こる場所に詠蕾がいなければ、単にトラックは通り抜けてゆくだけで、事故が起こらないことも頷ける。ただ、先ほどから周囲に気を配っているなか、特にトラックが通り抜けた覚えがないのが気にかかった。


「でも無事に渡り切ってほっとしたとき後ろ全然見れてなかったし、そんときに通り過ぎたんじゃね? 誤作動もその一瞬だけだったって考えたらわりと納得じゃん」

「まあ……一応理屈は通るけど」

「あーなんかほっとしたら腹減った! 綴利がおやつのカレーパン食うから腹減ったんだよな。なんか買わねえ?」

「ファミマはナシだぞ」

「わかってるよ。久しぶりに和菓子屋の団子でも買おうぜ。おれが奢っちゃる」


 そう言って元来た道を駆けだす詠蕾。慌てて追い駆けようと自分も振り返ると、ちょうど隣を通りすぎようとしていた自転車にぶつかりかけた。「すみません!」と咄嗟の声が被り、その次に何かが落ちる音がした。どうやら自転車に乗っていた男子高校生が手に持っていたものらしい。未練はないようでさっさと去っていく背中を目視で見送ってから、落ちたものに視線が戻ったときに呼吸が止まった。


 赤と黄色の特徴的な袋。

 ファミチキだ。


 顔を上げると信号が点滅していた。もうすぐ赤になる、と理解する前に、こちらを身体ごと振り向く詠蕾と目が合う。まるでこちらに向かって歩いてきているかのような。


「来るな詠蕾!」

「!」


 踏み出した足を戻して安全地帯である歩道に戻る詠蕾の影から、左折しようと進んできたトラックが現れた。これが予知で視たトラックだ。間違いない。誤作動などではなかった。そもそも予知で視た進行方向なら、ファミチキは詠蕾のものであるはずがないのだ。今度こそ、死が通り過ぎてゆくのを感じて、トラックの動きを待ちながら詠蕾と顔を見合わせた。情けなくも泣き笑いみたいな表情を浮かべていて、俺も目頭が熱くなる。

 間に合わせようとスピードを出していたのか、ややしなるように左折してきたトラックは、長い鉄の資材を乗せているせいで動きが緩慢だった。後ろのブレーキランプが光っているのが見えて、ふと詠蕾が言っていたことを思い出す。



 赤と、緑。


 緑は信号だろう。


 けれど、赤は?


 詠蕾はトラックにぶつかったとは言っていない。


 と言っていた。



「詠蕾!!!!!!!!」



 叫びながら、目は冷静に、カーブによってバランスが崩れ、俺とは逆方向にスライドして伸びてゆく資材を捉えていた。落ちるほどではない。それは。なぜなら詠蕾は、この資材に頭がぶつかって倒れたからだ。そしてそれは、たとえ歩行者詠蕾がいようがいまいが、確実に起こりうる。




 詠蕾が死ぬ。



 飛び出した鉄に頭をぶつけて。



 親友が、死ぬ。







 そんなの、嫌だ。







 何かを、整然と考えられていたわけではない。




 ただ、自分にはこれしかないと思った。

 知っていた。

 それはを与えられた時の万能感にも近かった。







「あっち向いて、ホォォオオオオォオイッッッ!!!!!!!!!!」





 全力で下を示した。全力すぎてそのまま倒れ込み、なんとか車道に出ないようにと横に転がった。車道と歩道とを分かつガードレールに受け止められる。

 通り抜けてゆく風はトラックが起こしたものだ。目まぐるしく動く景色がまるでフィルム映画のコマみたいに見えて、その中で俺は詠蕾の姿を探していた。

 がつん、と鈍い音がしていてもたってもいられず、よろよろと起き上がる。横断歩道のあたりから少し過ぎたところで停車しているトラックから飛び出した資材はかろうじて端をトラックの荷台に乗せたまま、地面へと着地していた。恐らく夢で詠蕾が見たであろうブレーキランプの赤が光って、作業着姿の男が何人か降りてきた。

 


 ただ、それだけ。

 どこにも、ぶつかって、潰された詠蕾の姿はない。



 視線を持ち上げて動かすと、和菓子屋の前にある植え込みから、詠蕾が生えていた。指を差したままの状態だったから、ギフトのせいで俺と同じように転がったのかもしれない。


「詠蕾!」


 近づくと、飛び出した足が震えていた。痙攣したような身体の動きに自分でも血の気が引くのが分かる。

「詠蕾、おい、大丈夫か!」そう声を掛けてまず頭に触れた。血に濡れた感覚を覚悟したが特に何もない。しかし身体の震えは激しくなるばかりで、店先に出てきた和菓子屋のおばさんに「すみません救急車」と言いかけた。

 そのときだった。


「ぶふ」

「え?」


 震えが大きくなるにつれて、いつもの詠蕾の声も付随してくる。


「っわっははははは、ははっ、そーだっ、なんでわすれてたんだおれ」

「…………詠蕾?」


 そこで俺は気付いた。打ちどころが悪くて痙攣しているのでもなく、この震えは笑いから生ずるものなのだということ。



 そして詠蕾が思い出したということ。

 あっち向いてホイみたいなダサい能力で、ハズレだって悔しくて拗ねていた俺に、




「いつだって勝者はおまえだよ、綴利。

 あっち向いてホイでおれの命、救っちゃうんだもん」


「……うるせえばかたれ」



 お前が生きてて、よかった。



〈了〉

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死にめぐり幼馴染はギフトで死の未来を回避する 濱村史生 @ssgxxx

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