暖来良思 〜春きたるらし〜

加須 千花

正月は寒いけど、我が家は暖かいです!

 ふゆ過ぎて  はるきたるらし


 朝日あさひさす


 春日かすがの山に  かすみたなびく





 寒過ふゆすぎて  暖来良思はるきたるらし

 朝烏指あさひさす

 滓鹿能山尓かすがのやまに  霞軽引かすみたなびく





 冬が過ぎて春がやって来たようだ。朝日がさす春日かすがの山にかすみが軽くたなびいてる。




    万葉集  作者不詳





 ※春日山……奈良県奈良市の山。




    *    *   *




 奈良時代。

 戊申つちのえさるの年(768年、神護景雲じんごけいうん二年)。

 十二歳を迎えた韓国からくにのみなもとは、はあっ、と手のひらに息を吹きかけた。息は白くなる。

 一月。

 春を迎えたとはいえ、まだまだ寒い。庭の松の木にも、雪が残る。

 遠く、春日かすが山は、雪を頂きつつ、かすみがたなびいている。


「綺麗だなあ……。」


 新年だ。正月休み。

 父上と母刀自ははとじ(母親の尊称)が、夫婦めおとの部屋でゆったりくつろいでいる。優しい母刀自ははとじが、


「おいで、みなもと。お団子をあげましょう。」


 とみなもとを手招きした。父上も穏やかな笑顔で頷いてくれた。


「わあい! 母刀自ははとじ、父上、大好き!」


 父上は、平城京の、民部省みんぶしょう主税寮しゅぜいりょうで、大允だいじょうとして働いている。米や穀物をおさめた倉廩そうこ出納すいとう、諸国の田租でんそ(米の税金)の枝文えだふみ帳簿ちょうぼ)を照合し、地方財政を監査かんさする部署だ。

 この仕事をするには、数学ができなくてはいけない。

 父上は大学寮だいがくりょう算道さんどうを学び、パチパチ、算盤そろばんを弾きながら仕事してるそうだ。カッコいい!


みなもと、午後は勉強を教えてあげよう。」

「はい!」


 お団子を頬張り、まったりしてると、長男、まことぃが、隣の部屋でぶつぶつ言っている声が聞こえてきた。

 勉強好きの真面目なまことぃは、大学寮で三十人いる算生さんしょう(学生)のなかで、一番の成績をおさめ、今は助教じょきょう(助教授)として大学寮で働いている。


「ぶつぶつ……。ぶつぶつ……。」

まことぃ! 何をぶつぶつ言ってるの?」

「源、孫子算経そんしさんけいだ。さ、来い来い。勉強だ!」

「うん。」


 まことぃの隣に正座する。


「続きなさい。およそ大数の法、万万を億とひ、万万億を兆と曰ひ、万万兆をけいと曰ひ、万万京をがいと曰ひ、 万万垓を𥝱じょと曰ひ、万万𥝱をじょうと曰ひ、万万壌をこうと曰ひ、万万溝をかんと曰ひ、万万澗をせいと曰ひ、万万正をさいと曰ふ。」


 源は続いた。


みなもと、おまえは出来が良い。家族皆、期待してる。オレは大学寮の算博士さんのはかせ(教授)になるのが夢だ。おまえは勉学を頑張り、大学寮におさまらず、広く世に出て、オレよりも大器たいきとなりなさい。」

「うん! でも、さっき教えてもらったの、わけわかんないよ!」

「はっはっは……、まだ十二歳だからな!」


 まことぃや、父上から、こうやって勉強を教えてもらうのは好きだ。でも、広く世に出るって、どうしたら良いんだろう?


「うーん。」


 源が悩みながら庭を歩くと、


「源、悩み事か? こっちに来い!」


 と、次男、うしおぃに呼び止められた。

 兄は、上衣を脱ぎ、筋骨隆々の上半身をさらし、薪割りをしていた。


「ふん! ふん! こうやって、汗を流せば、悩みは解決だ! さあ、やりなさい。」

「うん!」


 源は薪割りで汗を流した。

 うしおぃは、「勉強は好かぬ!」と、平城京の左兵衛府さひょうえふ衛士えじとして働いている。


「源、オレたちの祖先、物部連もののべのむらじの塩児しおこ韓国からくにに渡り、姓を物部連もののべのむらじから韓国連からくにのむらじあらためた事を忘れるな。

 つまり、海を渡って活躍できる武芸を身につけていたからさ。おのこたるもの、身体を鍛え、武芸を磨かねばならぬ! 午後、剣の稽古をつけてやるからな。」

「うん!」


 たくましいうしおぃに、武芸の稽古をつけてもらう事も好きだ。


(こうやって武芸を鍛えてれば、案外、道は開けるのかも?!)


 そう思って源が庭を歩いていると、


「おーい、源。」


 と、上から四人目の子供、三男であるわたるぃと、


「こっち、こっち。」


 と、上から五人目の子供、次女であるさやかぇに呼び止めたれた。


「なあに?」

「まあ、こっち来て見てろ。」


 と、ヤブに引き込まれる。

 しばらく無言でいたが、源はおしゃべりな性格である。


「な、渡兄ぃ、今年こそは、薬売り、一緒に連れてってくれるだろ?」


 渡兄ぃは、


 ───父上は正七位下だ。田租は免除されているが、仕事ぶりに対して、ろくはそれほどでもない。お役人は辛いね! オレは勉強も武官もやーなこった!


 と、しょっちゅう薬売りをしながら、諸国を漫遊している。


「ああ、約束だ。一緒に行こう。ちゃんと歩くんだぞ? おまえに、沢山の国を、見知らぬ景色を見せてやろう。だが源、忘れるな。おまえは可能性がある。薬売りだけで終るな。大きくなれ。旅にでるのは、おまえを鍛える手段の一つでしかないと知れ。」


 と渡兄ぃは、源の頭をワシワシなでた。


「うん!」

「しっ! 獲物が来たわよ。」


 とにかく自由奔放、わくわくする事が好きなさやかぇが、二人の男を黙らせた。


 道を、上から六人目の子供、三女であるすずし姉ぇが通りかかった。手に木簡を持っている。この家には、先祖が残してくれた沢山の木簡がある。すずし姉ぇは、書を読むのが大好きなのである。


「…………。」


 すずし姉ぇは道なかばで立ち止まった。

 冷たい目線で道を見つめ、道端みちばたの岩に腰をおろし、木簡を紐解き、読書をはじめた。

 あとから、長兄、まことぃが道をのんびり歩いてきた。


すずし?」

「あたしに遠慮なく。あたしはここで読書してますので。」

「そう?」


 まことぃが五歩、歩いた。

 落とし穴に落ちた。


「ぎゃー!」


 渡兄ぃが、


「ぎゃはははは!」


 さやか姉ぇが、


「きゃはははは!」


 源も一緒に、


「きゃっきゃっきゃっ。」


 まことぃが、顔を真っ赤にして、腰まで落ちた穴から這いずりだし、


「こ、の、や、ろ、う、ども───!」


 と怒り心頭で向かってきた。


「やあ、いつも真面目くさってるまことぃに笑いの事始めだぜ! 逃げろぉ!」


 と渡兄ぃ。


「前方不注意ですわよ、まことぃ!」


 と楽しそうなさやか姉ぇ。

 いたずら犯の兄と姉が逃げ出したので、源も、


「逃げろーぉ。」


 と笑顔でヤブを飛び出した。ちゃっかり、主犯格である渡兄ぃとは反対の方へ逃げる。木簡を閉じたすずし姉ぇが、


「はっ、なにやってるんだか。源、どうせ巻き込まれただけでしょ? こっちへいらっしゃい。」


 と源をかくまってくれる。


「うん!」

「いつも冷静に。まわりを良く見極めて動くのよ。源。」

「うん!」


 いつも冷静なすずし姉ぇのことも、もちろん源は大好きだ。言動は甘くないが、助けが必要な時に、いつもそっと手を差し伸べてくれる。人の真価とは、口ではない。行動なのだ。


 すずし姉ぇは、両親の部屋に源を連れて行った。そこには、上から三人目の子供である、長女、すみ姉ぇがいた。


すみ姉ぇ!」

「源、お団子があるわよ、一緒に食べましょう?」

「さっき食べたけど、また食べる!」

「まあ、うふふ。」


 すみ姉ぇは、とっても美人だ。身体が弱くて、時々寝込む。なので、まだつまが見つかってない。

 優しくて、おっとりしたすみ姉ぇ。


「この春、渡と一緒に薬売りに出るの?」

「うん!」

「そう、あたしは身体が弱くて、諸国を渡り歩くなんてできないわ。みなもと、土産話を期待してるわ。」


 冷静なすずし姉ぇが口を挟む。


「それなら、身体が丈夫でも、おみなであるあたしには、出来ない事よ、澄姉ぇ。

 源、あたしも土産話を期待してるわ。銭に余裕があったら、書を土産にちょうだい。」

「うん、渡兄ぃと相談するよ。」


 我が家は、なんでか、貧乏だ。

 食うに困る、ではないが、いつも銭に余裕はない。


 ───いつか、大器となって、韓国からくにに渡り、家をり立てる。


 源の夢だ。


 庭では、


「待て!」

「待つか!」


 とまことぃと渡兄ぃが追いかけっこをし、


「ふん! ふん!」


 とうしお兄ぃがまだ薪割りをし、自由奔放なさやか姉ぇが、


「あー、おかしかった。あたしも団子食べる!」


 と両親の部屋に顔をだした。母刀自が、


「お食べ、お食べ。まだたっぷりあるからね。たくさん食べて、身体を丈夫になさい。何事もそれからよ。」


 と新しいお団子の載った土師器はじきの皿を出す。

 冷静なすずし姉ぇは、静かに団子をほおばり、また木簡を開き、ぽかぽかの日向ぼっこをしながら読書をする。

 母刀自ははとじが、


まことわたるうしお、それくらいにして、お団子を食べにいらっしゃい。」


 となごやかに声をかけ、父上が、


「兄弟が仲良く、なによりだ。皆、好きなことをなさい。」


 と笑顔で頷く。


「お団子美味しいね、源。」


 と綺麗なすみ姉ぇが優しく微笑む。


「うん!」


 源は、お腹いっぱいだけど、美味しく団子を食べる。

 家族と一緒に食べる団子は、いくつ食べたって、美味しい。






      ───完───







     *   *   *





 源と渡兄ぃの旅模様の短編です。

 「ももきね旅の草枕」

https://kakuyomu.jp/works/16817330655002064214

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

暖来良思 〜春きたるらし〜 加須 千花 @moonpost18

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ