第2話
こうして俺は、生徒指導室という名の監獄に収容されることになった。
後悔はしていない。かえってスッキリした気持ちだ。ただ文園が風邪をひかなければいいなとか、金魚たちは元気だろうか、とかは考えていた。
それにしても、先生たちが入れ代わり立ち代わりやってくるのがウザい。あらためて怒られたり、ヒソヒソ話されたり、睨まれたりして、自分のやったことがけっこう大きな事件だったのだと思い知らされている。いちおう、態度だけは反省していた。
すでに一時間以上も監禁されているが、まだまだ解放されそうにない。トイレに行きたくなってきたけど我慢するしかないようだ。
先生たちがごにょごにょと話をしていると、なにか勢いのあるものが接近してきた。進路指導室にいる誰もが、おや、っと思い会話が中断した。皆がドアの方を注目する。すると、蹴破るような勢いで誰かが入ってきた。
「おまえかーっ、うちの娘に手を出したのわーっ」
うわあ、誰だよ、このおばさん。すごい剣幕で入ってきた。
「よくも綾香をキズモノにしてくれたわね。ただですむと思ってんじゃねえぞ」
って、おばさんの腰に抱きついて引きずられているのは文園じゃないか。突進を止めようとしてしがみついている絵面だ。なるほど、保護者が怒鳴り込んできたということだな。
「お母さん、落ち着いて。ね、ね、静かにしようよ。ドードー」
いや、おまえの母ちゃん、馬じゃないんだから、その言い方はあまり良くないと思うぞ。っというか、ちゃんとジャージに着替えているのな。髪も乾いている。うちの学校、シャワールームとかあったっけ。金魚の水槽、けっこう臭かったから、あのニオイのままでいてほしくないとは思っていたんだ。
「これが落ち着けるかーっ。女の子にぶっかけていいのは特別な男だけだー。女はなあ、濡れていい時とダメな時があるんだーっ」
「お、お母さん、よけいなこと言うな。だから、いろいろだから。ね、いろいろなの」
文園のおばさん、頭にきすぎて言っていることが微妙なライン上だ。先生たちが、かなり引き気味になっている。
「まあまあ、落ち着きましょう。ここは話をする場ですから」
「おまえはなんだー、私に命令するなー、女だからってナメてんじゃねーぞ、こんちきしょうめ」
止めに入ったゴリ山田に食ってかかっている。ヒスおばさん、こえーよ。さすがの筋肉バカ教師も押されているな。
「死刑よ、死刑。それと刑事告発するから、すぐに警察呼べ、機動隊呼べ、特殊部隊も呼べ。今呼べ、すぐ呼べ、ほら呼べ」
めちゃくちゃ怒っているけど、よく見ると美人だよな。さすが文園の母親なだけある。目と鼻筋がなんとなく似ているんだ。
「お母さん、こっち、こっちにきてっ」
「ちょ、まだ母さんの話は終わってない。綾香、引っぱるな」
激高する美人の母ちゃんと、それを必死になって止める可愛すぎる女子。娘が押し切って二人とも出て行ったとさ。
綾香は母親を人気のない場所まで引きずった。ジタバタと暴れるアラフォー女を階段の陰に追いやり、説得を試みる。
「お母さん、違うの。彼は悪くない。いや、むしろ助けてくれた」
「はあ? あんた頭おかしくなったんじゃないの。ああ、あれだ、被害者が加害者に同情しちゃうやつ。ストックホルモンなんちゃらかんちゃら。ええっとホルモン焼き肉、ホルモン定食ご飯大盛りで食べたいね」
文園綾香の母、文園静香は混乱していた。
男子生徒に暴行されたとの一報がケイタイで入り、仕事場からすっ飛んできた。保健室でびしょ濡れになっている綾香を見て激高し、急いで着替えさせてからの殴り込みである。気合が入っていて、なかなか体温が下がらない状態なのだ。
「だから、わたしが悪いんだって。お弁当食べたら眠くなっちゃって、それで油断してたら」洩らしてしまったと、ことの詳細を十分に説明した。文園母は眉間にぶっ太い皺を寄せて聴いていた。
「ヒーローじゃないの」
津吉に対する見解が真逆となった。
「スーパーヒーローアカデミアナッツじゃないの。正義の味方はいい男」
母・静香はオヤジギャグをいうことに、それほど躊躇しない女である。
「しまった。警察を呼べって、私言っちゃったわ」
母と娘が、お互いの顔を見た。一瞬後、蹴飛ばされるようにダッシュした。そして、再度進路指導室という名の牢獄へ突進する。
「ああ、文園のお母さん。いちおう、傷害事件となりますので警察に相談しようと思いまして」
そう言うのは、私立霧ヶ峰高校の教頭である。大きく頷いているのは古文担当の遠藤理沙教諭で、胸の大きさを侮辱されたことをよほど根に持っているようだ。ゴリ山田こと、山田正義教諭も仕方ないといった態度を見せていた。
さすがに津吉の顔色が悪い。彼にとって不運なのは、担任の竹内真由美教諭が研修会で休んでいることだ。裁く側に弁護する者がいない絶望を味わっている。
「ちょっと待ってください」
突き出した手をグーからパーに開いて、文園母が待ったをかけた。
「さっきのは取り消します。警察っていうのはやっぱり大げさで、しょせんは子供同士のケンカですから、ホホホホ」
笑ってごまかそうとするが、「そういうわけにはいきませんよ。あれは立派に暴力です」と、遠藤理沙教諭が口を尖らせた。
「うちの高校は三年前までは女子高ですから、生徒のほとんどはいまでも女子生徒です。男子の暴力がまかり通るとの噂になるとですね、入学希望者が減ってしまいますわ。少々厳しくとも、ここはしっかりと対処したいと思っておりまして」
禿げていて、またそれが典型的なバーコード模様で、いかにも教頭であるという教頭が言った。
「ま、まあ、ケンカ両成敗でいいのではないでしょうか。未来ある若者に前科をつけるのもねえ、ハゲちゃびん」と、文園母が教頭に向かってウインクする。娘もウンウンと、わざとらしく頷いた。
「いえいえ、そもそも文園さんからはなにもしていないんですよ。このバカ男が一方的にかけたんです。ぶっかけたんです。ぶっかけは犯罪なんです」
遠藤理沙は、粘着質な性格をいかんなく発揮していた。
「いやね、ですから、」と、文園母が言いかけた時だった。
大人たちのやり取りにかまわず、綾香がすすすーっと津吉の前にきた。腕を組んで居丈高に見下げると、スマホを取り出してポチポチとタップし、その画面をぐ~ッと突き出して見せた。
ええ~と、すごく偉そうな態度の文園に{これからあんたを殴る。そういうこと}、って画面を見せられているけど、えっ、どういうこと?
「ぐぼえっ」
うっわ、殴られた。いきなり文園が殴ってきたぞ。しかもビンタじゃなくて、グーのパンチだ。鼻の奥がツーンとする、ツーンと。
突然、綾香が津吉を殴った。
教師たちの目玉が見開き、唖然としていた。数秒間の静寂が強制的に訪れてしまう。
「わたしも暴力をふるいました。警察に突き出してください」
綾香がキッパリと言うと、文園母がニヤッとして、男子生徒は頬を撫でまわしながらホッとしていた。ため息をついた教頭が終了を宣言する。
結局、警察沙汰にはならなかったが、主犯格の津吉は三日間の停学、綾香は正当防衛であると無理のある時間差を考慮され、お咎めなしとなった。
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