第10話
はい、みなさま、こんばんは、でございます。
よし子チャンネルの、よし子ちゃんで~す。パチパチパチパチ~。
いまはですね、生配信中なのですよ。真っ暗で見にくいですけど、生で配信をやっております、はい。
投げ銭よろしくでございます。じつは期待してますよ~。
よし子チャネル、なぜか登録者様がどんどん減っておりまして、収益がないんですよ。だから、ありていに言ってしまえば、よし子ちゃんが貧乏なわけです。お金がないんです。無職なんです。
はい、チャットにさっそく書き込みがきましたよ。
(働け、ブス)
ミャアミャアさん、こんばんわです~。
よし子ちゃんは、ちょっとばかし美人ではないけど、ブスでもないですよ~。ヘイトはやめてくださいね。バンされてしまいますからね~。
(デリヘルやれよ)
坊ちゃんこ鍋さん、こんばんはです~。
よし子ちゃん、一度風俗の面接に行ったことがあるのですけど、ちょっとばかし美人ではなかったので落ちてしまいました。縁起でもないから二度と来るな、と店長に激怒られてしまいまして、なしてそんなに罵倒されるのかと二日ほど鬱になったことがあります。
(戦地でがんばってください)
お姉ちゃんのパンツさん、こんばんわです~。
ええっとー、よし子ちゃんは動画配信者であって、傭兵とかではないですね。フランスの外人部隊とかには所属していませんよ~。ただの、ちょっとばかし美人ではない配信者ななだけです。
(49円)
フナムシの足の指さん、こんばわです~。
さっそく、投げ銭をもらいました。ごっちゃんで~す。
なんか縁起でもない金額ですけど、じつはこの場所にぴったしカンコンなのです~。
よし子ちゃんは、いま、墓場にいま~す。
そうです、墓場から生配信なのですよ。しかも夜の九時で真っ暗闇で雰囲気がホラーですね。
幽霊の正体を解明する動画、なんてことはないですよ。それは違いますね。よし子ちゃんは心霊的なことを配信する気はありません。なにせ霊感とか性感とか皆無な女子ですから。
よし子ちゃん、配信者として過疎り過ぎてお金がないんです。食べてないんですよ。めちゃくちゃお腹がへっています。
そういうわけで、夜の墓場でお供え物をつまみ食いして、それを配信してお金もゲットしちゃおうと思い立ったわけでございます。
モノ申す系、迷惑系、に続く、つまみ食い系の配信者でバズるんですよ。もちろん、つまみ食いといえども人様のモノなので窃盗罪が適用されてしまいますが、逮捕は覚悟の上でございます、キリッ。
(ロシアの刑務所でつか。13円)
おしりぺんぺん丸さん、こんばわです~。
ええーっと、たとえ逮捕されてしまいましても、ロシアの刑務所ではないと思います。
(ロシアの刑務所でデレるブサイクのよし子ちゃん)
ですから、ここはロシアではないので、よし子ちゃんがデレることはないですね。
よし子ちゃん、じつは道産子ですけど寒いのが大嫌いです。できれば南の天国みたいなところで懲役したいですね。太郎さんと会えたらいいなあ、と思います。13円ごっちゃんです。もうちょっと濃い金額をなげてもいいんやで。
はい、つまみ食いしますよ~。カラスに荒らされるから、明日の朝早くには片付けられてしまいますからね。
ありました、ありました。
高価なお花が添えられた立派なお墓に、お団子やらお煎餅やらコーラやら、腹ペコのよし子ちゃんは歓喜いたしてしまいます。いただきマンモス~。
おっと、な、なんか、気配がします。なにか、誰かがやってきます。夜の墓場に、いったいどういう要件があるのでしょうか。
と、とりあえず、よし子ちゃんは身を隠すことにしますが、チャンネルはこのままで!
「いや~先生、ほんとうに来てくれとは思いませんでしたわ。しかも、若い人たちも一緒で、年寄りにはうれしいかぎりです」
「住職、私はね~、約束を守る漢気にあふれた女として有名なんスよ~、うい~~」
夜九時過ぎの墓場で、坊主頭とアラサー女子が話をしていた。街はずれの山のふもとにある墓地なので、そこはほぼ真っ暗といっていい。懐中電灯がなければ歩くこともままならない
「スーパーマーケット部ですか。最近の若者は買い物に夢中なんですなあ」
住職が坊主頭の後ろをペンペンと叩いている。高校生たちが来てくれてうれしいのか、上機嫌だ。
「いえいえ、スーパーマーケットじゃなくて、スーパー銭湯ッスよ。混浴で未成年たちが死ぬほどエロいことするってもんです」
「それは豪気ですなあ」
竹内真由美教諭は、すでに酔っぱらっていた。アルコール度数9パーセントの濃いやつをグビグビしながら、彼女も上機嫌である。
「先生、なに言ってるんですか。スーパーナチュラル部ですよ」
住職と顧問の後ろには四人の高校生がついてきている。部長の金城優奈がすかさず訂正を入れた。奥屋敷飛翔は津吉の腕にしがみついたへっぴり腰スタイルであり、綾香が懐中電灯で照らしていた。ちなみに四人ともジャージ姿である。
「私はこまけえことは気にしない性分なんだ。って、もうビールがねえ」
強アルコールのロング缶ビールを飲み干した顧問は、近くの墓石にあったお供え物のカップ酒をひったくってゴクゴクと喉を鳴らした。
「ぷっはー、これは効くなあ、おい。日本酒のくせして25度もあるじゃねえか。やるな、こんちくしょうめ」
そのアラサー女は、酔っ払いの完全体に近づきつつある出来具合であり、生徒たちは多少以上に不安となっていた。
「そういうわけでおまえたち、しっかりと活動するんだぞ。先生は体調不良で休んでいるからな」
「ええーっ、ひょっとして俺たちだけでやるんですか」
「当り前だろう。大人が部活動したら意味ないからな。高校生だけでやるのがいいんだ。なにかあったらラインでもくれ。ちゃんと避妊はするんだぞ」
「なんですか、それ」津吉は呆れていた。
竹内真由美教諭は行ってしまった。鼻歌まじりで、相当に足元がおぼつかない。あっちの墓石、こっちの墓石にぶつかりながらであり、懐中電灯の直線的な光が散乱しながら遠ざかってゆく。
「ここ、マジに出そうなんですけど、ヤバくないっすか。ぜったい、いますって。ひゃっ」
真っ暗な墓地の中心で、一年生男子が恐怖を叫んでいた。
綾香が言う。
「でも、ここまで来たからにはやるしかないでしょうね。お化けを見つけて悪いことをしないように注意するのよ」
「注意だけかよ。退治したほうがいいんじゃないのか」
「幽霊にも人権があるでしょう。なんでもかんでも暴力で解決しようというのは感心できないわ」
「暴力じゃねえし」
「まさか、聖水をぶっかけるんじゃないでしょうね」
「聖水なんか、もってねえよ」
「わたしのはさっき出したばかりで、期待してもムリだからね」
「期待してねえよ。なんの話だって」
「お願いしても、ダメのものはダメなんだから」
「だから、お願いしないって。つうか、俺にかけるんじゃないぞ」
「ぶっかけは、津吉の専売特許」
「俺だけじゃなくて男のロマン」
「バカ、死ね」
綾香と津吉は、言い争っているようで、じゃれているようにも見えた。
「ハイハイ、夜の墓地で恋人同士のケンカは止めようね」
「いや、恋人とかじゃねえし」
「そうよ」
お互いにの顔に懐中電灯の光をぶつけていたが、ここで二人同時に暗闇へ向けた。
「ですよね。綾香さんともあろう人が、このなんだかパッとしない先輩と恋人同士とかありえないっすよ」
「悪かったな。パッとしない先輩で」
「悪口とかじゃなくて、事実を客観的に具体的に本心のまま言っただけですから、落ち込まなくていいですよ、先輩」
「おまえ、なんか文園に似てきてないか」
一年生の言い方に、津吉は既視感をもっていた。
「呼び捨て禁止なんだから」
懐中電灯をオフにした綾香が、津吉の耳元で生温かな息を吹きかけながら囁いた。
「うわ、あ、あったかい」
津吉がそう漏らすとクスクスと笑っていた。周囲になにもない夜の墓場に、乾いた声が走り過ぎてゆく。
「墓場でなにかが笑ってないですか。ヤバくないっすか。ひょっとして霊現象?」
奥屋敷飛翔が顔色を変えているが、とりあえず識別はされていない。彼以外は声の主を把握していたので、軽くスルーされた。
ここでスーパーナチュラル部の部長がやる気をだす。
「四人が一か所で固まっていても非効率だと思う。二人ずつベアになって担当場所を決めましょう」
「それより、先生を参加させたほうがいいのではないでしょうか。やっぱり顧問がいないと」と言ったのは奥屋敷飛翔。
「いつまでも大人を頼っていてはダメ。自立した高校生じゃないと、現代社会をサバイバルできないでしょ。バカなの」
暗闇に綾香の檄が飛ぶ。ただし、直視している相手は津吉である。
「なんで、俺に言うんだよ」
「幽霊が怖いとか、安いシャンプーは泡立ちがチープだとか、わたしはブルーチーズのニオイが苦手なのね。それでも男なの」
「幽霊が怖いとは一言も言ってないぞ。それにシャンプーから後半の部分は意味不明だ」
「しょうがないなー。こんな弱虫小虫芋虫男と心霊探索するのは気がすすまないのだけど、ほかにいないから付き合ってあげるわ」
「ええーっと、まあ、じゃあ、よろしくたのむよ」
綾香と二人っきりになれるのは、津吉の本音としてはありがたい。そういう作戦なのかと感心している。
「じゃあ、僕も一緒に行きますよ。弱虫小虫な一年生ですから」
「奥屋敷君がそっちに行ったら、私一人になっちゃうじゃないの」
「部長は、一人の体でも十分すぎるほど大丈夫ですよ」
「それ、私の体重を加味して言ってない?」
「そ、そんなことはないです。ただ、両玖先輩が死ぬほどなさけないので僕ががんばらなければと思って」
「いいから、こっちに来なさい。ペアで捜索するんだから」
綾香と津吉、金城優奈と奥屋敷飛翔の各ペアで、墓場を探索することになった。
「なにか、あやしい気配があったらラインで知らせること」
「大声で呼んだほうが早いのでは」
お化けと出会ったら、冷静に文字を送れないとの判断だ。
「両玖君、ここは亡くなった人たちが静かに眠る神聖な場所なのよ。騒がしいことをしては迷惑になるでしょう。敷地も広いから、離れていたら聞こえないかもしれなし」
「そうよ。カレーは飲み物なんだから」
「わかったよ。おかしなことが起こったりしたら、すぐにラインする」
緊急時の連絡手段が取り決められたが、綾香が言ったカレーの話は無視された。
「ちょっとー。わたしをシカトするなー」
さっそく、ペアに分かれての探索となった。奥屋敷飛翔が金城優奈に引きずられながら墓場の奥へ、綾香は適切な距離をとりながら津吉と、やはりディープな暗闇へと消えていった
はい、よし子チャンネルのよし子ちゃんです~。
いまですね、かなり小声で話してますよ。
夜の墓場で、お供え物をつまみ食いするという、ちょっぴり違法でサバイバルな企画を生配信中なんですけど、なんと人が来てしまいました。幽霊が怖いんじゃなくて、ヒトコワ案件になりそうです。
よし子ちゃん、墓石に隠れて聞き耳を立てていたところ、どうやら酔っ払いの女と不良のDQN高校生が肝試しに来ているみたいです。
夜の墓場あるあるですね。
そういうわけで、今日はここまででライブ終了~、ということにはならないですよ。よし子ちゃん、ものすっごくお腹がへっていますので、オシッコくさいガキの不良ごときに負けてはいられません。そんなの関係なく、つまみ食いの生配信を続行しちゃいますよ。ここ、投げ銭のタイミングですけど、誰かいませんか。
し~~~ん。
はい、チャットのほうもすっかり静かなりました。墓場らしくてステキですね。では、つまみ食いをしていきたいと思います。
(暗すぎて見えないぞ、ハエ)
はい、久々の書き込みがきました。さっきの場所には外灯があったんですけど、ここにはないです。LEDランタンがあるのですけど目立つので点けられません。それと、ハエと呼ぶことNGワードですね。まだ、ブスと言われたほうがマシな気がします。
「なんか気配がしないか」
「べつに」
暗いので気づきませんでしたが、いつの間にか不良高校生二人がすぐそばまで来ていました。これはヤバいです。
「ほら、人の話声がするだろう」
「べつに」
男の子がよし子ちゃんに気づいています。墓石に隠れて静かにしましょう。
あ、ここにお芋がありました。焼き芋ですね、いい匂いがします。食べてみましょう。ムシャムシャムシャ。
{ぷひぇ}
イモ食ったらすかさず屁が出る衝動が発動されました。基本ですね。
「なあ、文園」
「呼び捨て禁止よ。二人っきりなんだから」
「いや、ごめん。じゃあ、綾香さん」
「なによ」
「いま、屁をしなかったか」
屁を出してしまったのはよし子ちゃんで、綾香さんではありませんね。ただいま、絶賛盗み聞き中です。
{音声が入ってないぞ}
{真っ黒画面だけで草}
あれえ、マイクが壊れたみたいです。音声が入らないので、よし子ちゃんの声も屁も生配信されていないのが残念です。けっこう臭くていい感じなのに。
「いきなり女の子になんてこと訊くのよ。ヘンタイ」
「いや、だって、ぷひぇ、って音がしたい、なんだかイモ臭いし」
「絶対に、わたしじゃないから。自分でしたんでしょ、人のせいにしないでよ」
「俺じゃないよ。イモは食べてないし、それに綾香さんは前科があるから」
「あ、あれは、液体のほうであってガスではないでしょう。しかも病気なんだし」
なんか、不良高校生カップルがよし子ちゃんの屁で揉めています。そこそこ離れているのですけど、アナルの響きと、よし子ちゃんフレグランスがしっかりと届いていてうれしいです。
「いや、でも」
「もう、うるさいっ」
「うわっ、眩しい」
男の子が懐中電灯に照らされています。けっこうイケメンですよ。よし子ちゃんのタイプかもしれません。もっと臭いやつを嗅がせたくなってしまいますね。
「あっひゃー」
び、ビックリした―。
よし子ちゃん、おもわず恥ずかしい声をあげてしまいましたが、なぜかというと、よし子ちゃんのお尻がナメられているのでした。なんとタヌキにです。すっごくケモノくさいんです。
「な、なにっ」
「いま、声がしたよな」
や、やヴぁい。
叫んでしまったので、不良高校生カップルによし子ちゃんの存在がバレそうです。
「あそこの墓石の陰に、なにかがいるみたい」
「アソコってどこだよ。暗くて見えないって」
「だから、あそこよ」
「どのアソコだよ」
「っもう、あそこだって言ってるでしょう。このっ、ヘンタイ」
不良高校生カップルが微妙な会話をしながらよし子ちゃんに近づいてきます。
ど、どうしましょう。つまみ食いがバレて通報されると、よし子ちゃんが逮捕されてしまいます。
「わたしが援護するから、津吉が見てきて」
「えーっ、俺が行くのかよ。もし幽霊とかだったらどうするんだ」
「幽霊はしょせん気体か靄みたいなものだから、危害は加えられないから大丈夫よ。ゾンビだったら噛まれないようにしてね」
「墓場にゾンビはいないだろう」
「わかんないよ。津吉のお肉はおいしそうだからゾンビが出るかも」
「いててて。つねるなよ」
「津吉のお肉が柔らかすぎてツライわ。今度キャベツと一緒に煮てあげる」
「ポトフかよ。まあ、俺が行くのはいいけど、そのう、ちゃんとついてきてくれよ」
「あなたが盾となって犠牲になるから大丈夫よ。安心して成仏ね」
「それって、いろいろとおかしくないか」
なんだかんだ言いながら、こっちに来てしまいますよー。
あ、こら、なにすんの。た、タヌキがよし子ちゃんに頭突きをくらわしています。こんなくっさい動物に恨まれる筋合いはないのですが、よくわかりません。とりあえず、超絶ヘン顔をして、さらにライトアップして見せてやろうと思います。それっ。
「お墓の裏で、なんか光っているー」
「うわあ、人魂か」
よし子ちゃん、で~す。
突如として現れたケモノ臭いタヌキに、力のかぎりヘン顔を見せつけていたら逃げました。って、よし子ちゃんのボディーカムを咥えていきましたよ。
うっそー、あれ高かったんだから返して。返せよ、このクソ畜生めが。
「があああー」
よし子ちゃん、あったまー、にきてしまいまして、絶賛追いかけていますよ。超絶ヘン顔に強力1000ルーメンの懐中電灯を当てながらの疾走なんです。
「なんかー、やヴぁいのキターッ」
「ぞ、ゾンビだー」
男の子が女の子の手を引っぱって逃げていきます。
いやいや、よし子ちゃんはゾンビではありませんよお。
「津吉、バケモノが追ってくるー」
「全力疾走だ、文園。後ろを振り返るなよ。すっげーブッサイクなゾンビだ」
だから、ゾンビじゃないってば。よし子チャンネルのよし子ちゃんですう。ボディーカム咥えたタヌキがあなたたちの後について行くから、仕方なく追いかけているのですよ。
「後ろのバケモノ、すっごい臭いよ、津吉」
「嗅ぐな。邪気に当てられてババアになるぞ」
「じゃあ、後ろのバケモノは山姥ね。ババアはイヤ」
ババアじゃねえし。
よし子ちゃん、まだアラサーなんですよ。
「綾香、こっちだ」
「呼び捨て禁止」
「非常事態だから」
不良カップルが急に曲がってしまいましたが、全力疾走なよし子ちゃんはそのまま直進します。
「ほぎゃっ」
墓石のかどに膝をぶつけてしまい、痛さで目ん玉がとび出てしまいました。
「グアオオギュオオーーーブギョーギャギャー、オッペケー」
もう、もうわけがわかりません。全速力なのですーーーー。
「もう大丈夫だ。向こうへ行ったよ」
「いったい、なんだったんだよ」
ゾンビが気色悪く呻きながらどっかに行ってしまった。ずいぶんと明るいやつだったけど、夜の墓場は恐ろしいぞ。ホントに出るんだ。
「大丈夫だったか、綾香」
「え、まあ、うん」
勢いあまって、文園の腰に手を回してソフトに抱いるような感じになっている。密着度がハンパない。
「いちおう、呼び捨ては禁止だから」
「ごめん。やぶさかではない緊急事態だったから」
「まあ、いいんだけどね」
あれえ、この状況で文園が嫌がらない。安全ではない安全ピンで尻を刺されていてもおかしくないのに。
「あ、そのう、なんだ」
「え、うん」
暗くて文園の表情がハッキリとしないけど、柔らかそうな唇が、うつむきもせずに見つめているのがわかる。俺の中で鼓動が鳴っているというより、激しく爆発していいるんだ。ドックンドックンではなくドッカンドッカンだ。この瞬間、すべての事がどうでもよくなって、目の前にいる女の子への愛おしさだけがある。
片方だけではなく両手で抱きしめた。力はかなり弱めだが、密着度がさらに増している。いよいよ、その時が来たんだ。
俺たちの唇が近づき合う。暗闇の中でも、しっかりと目標を視認できるのは愛のなせるワザなのだろうか。
「ギャオオオオーーーー」
遠くの向こうからゾンビの咆哮が近づいてくる。だけど、俺たちはいまとても忙しい。まだ唇が触れ合っていないので、ゾンビの対処は後からにする。
「ねえ、津吉」
「なんだい、綾香」
決定的な瞬間に向かって、俺の本能が突き進みたいと土下座している。
「キモい叫び声と、得体の知れない光ったやつがこっちにやって来るのだけど」
「な、なんかそうだね」
たかだかゾンビごときで、俺の青春第一歩を止めることはできないんだ。
「だから、逃げたほうがいいんじゃないかと思う」
「ほっとけよ」
「いや、でもほら、もうすぐ後ろまで来ている。というか、そこにいるんだけど」
文園が顔を引き気味にしたので、仕方なく振り返って後ろを見ると、毛だらけのバケモノが立っていた。
「うわあーー、ゾンビだー」
「津吉、逃げるよ」
俺たちは逃げた。もう、ダッシュで逃げたんだ。
はい、よし子ちゃんの登場なんですけど、ただいま大変な状況になっておりまして、なんとタヌキがよし子ちゃんの顔に絡みついて離れません。懐いてくれるのは嬉しいんですけど、すんごくケモノ臭くてつらいです。
まとわりついて、ぜんぜん離れないので、さっきの不良カップに助けてもらおうと突っ走ってきたのですけど、なぜか逃げていってしまいます。
ちょ、ちょっとー、このケモノをとってよー。よし子ちゃんがタヌキまみれなんです。とても脂っこいラーメン屋のニオイがします。街道沿いに、よくあるラーメン屋ですね。胃にもたれますけど、くせになってしまいまして、よし子ちゃんは大好きですけど、いまはケモノを味わいたくはありませんよ。
「うぎゃあ」
な、なんかがお尻に噛みつきました。け、けっこう痛いです。
「ふぁあ」
な、なんと、キツネが噛みついています。よし子ちゃんのおケツに、けつねが攻撃しているんですよ。けつねうどんかっ。
これ、なんの奇跡でしょうか。音声が入らなくて視聴者の皆様に伝わらないのが残念です。
ヤッバ。
ケモノのゾンビが叫びながら追いかけてくるよ。とにかく文園を守らないと。
「綾香、俺についてこい」と、カッコよくキメたつもりだった。
「いやよ」だが、あっさりと拒否されてしまう。
「え、なんで」
「トイレに行きたい」
この世が歩く死人だらけになるかもしれないのに、どうして、もよおしてしまうんだよ。なんてわがままな生理現象なんだ。
「わたし、下のほうの病気持ちなんだから仕方ないでしょう。オシッコするからトイレどこよ」
「トイレは、真由美先生が飲んだくれているとこだよ」
「反対側じゃないの」
「さっさと行こうか。ゾンビがいるから早く行ったほうがいい」
だけど、文園は動かないんだ。脚を内股になるように交差させてモジモジしている。
「綾香、なにしてんだよ」
「呼び捨て禁止だって、っもう、もれそう」
文園、すでに腰を下ろしかけている。
「ここでするから、あっち向いててよ」
「え、マジか」
膀胱炎なので我慢できないのはわかるけども、俺はどうしたらいいんだ。
「わかった。とりあえず、俺はあっちに行ってるから」
さすがに近くにはいられないだろう。モノホンのヘンタイ男になってしまう。
「だめ」
「え」
「ゾンビがウロウロしている危険な場所に、わたしを一人にさせるなんてひどいわ」
「ええーっと」
たしかに、ケモノのゾンビの雄叫びがそこら中から聞こえくる。たとえ短時間とはいえども、文園を一人にするのはあぶない。
「手をつないでて」
「あ、ああ」
文園の手を握る。
「あっち向いてて。こっちを見たら即死にするから」
即死にするとは殺すという意味だろうか。墓場でその殺し文句を言われるとつらい。
「ど、どうなんだ」
「なにがよ」
「なにがって、そのう、膀胱のほうが」
「いま出してるから話しかけないで」
懐中電灯を消しているので真っ暗闇だ。だがしかし、俺と手をつないでいるすごく可愛い同級生がオシッコをしている最中である。いちおう、芝生の上なので音はしないし墓石にも被害はない。だけど、いいのかこれ。すごくインモラルな気分だぞ。
意外と長く感じた。女子の所要時間を知らないので、そんなものなのかもしれない。真っ暗でなにも見えないのが幸か不幸か。でも、いくらなんでも時間がかかりすぎだ。ゾンビの叫びが聞こえなくなったけど、早く逃げるに越したことはない。
「なあ、そろそろいいか」
「もう終わってるから」
「ん」
目の前に文園がいた。懐中電灯で照らしてみると、どういうわけか両手があいている。片方は俺と繋がっていないとおかしくて、ええーっと、だとすると左手は誰と手を握っているんだ。
懐中電灯を左側に向けてみた。そして、ケダモノと目が合った。
「うっわ、ケモノのゾンビだー」
ゾンビがいた。なぜか知らないけど、俺が握っていた手はオシッコをしている文園ではなくて、ケモノのゾンビだったんだ。どうしてこうなった?
「津吉、闘うのよ」
「え、うそ。む、ムリだって」
文園が俺の背中を押している。そんなにグイグイするなって。
「必殺の両玖津吉拳があるじゃない。両さん拳法が」
そんなのねえよ。
「お願い、津吉。わたしを助けて」
具体的になにかされているわけではないけど、夜の墓場で、ちょっとおもらしぎみな美少女を不安にさせたくはない。
「よーし、やってやる。俺の必殺を見せつけてやるよ。ドンとこいやー」
「津吉、かっこういい。ブラボー津吉、ファンタスティック津吉、アンポンタン津吉」
リスペクトではなくて、なんかディスられているのは気のせいだろうか。
「ハアーーーーーーーーッ」
まずは呼吸を整えて、腹の下に気合をため込むんだ。文園の前でヘタに負けたらカッコ悪い。何度も言うが、多少のおもらしをするが、いい女なんだよ。がんばるぞ。
「ケモノのゾンビめ、覚悟しろ。ぶひゃっーーーーーー」
はい。
よし子チャンネルのよしこちゃんです~。
いまですね、よし子ちゃんの顔にタヌキさんしがみついているんですけど、なんだかしらない間に、不良の男子高校生の手を握っていました。
ええーっとですねえ、なんか、となりでブスJKがオシッコしていたような気がするのは気のせいでしょうか。暗くてよく見えないんですけど、ブスでした。ブス女子高生ですね。
(おめえのほうがめっちゃブス)
はい、チャットに書き込みがきましたね。アゲアゲキムチさん、ありがとうございます。
って、あれえ、マイク直ってるのかなあ。音が入ってるっぽいよ。というわけで、通常の生配信になりました。良かったです~。
(五十七円)
アゲアゲキムチさんから投げ銭が入りました、ありがとうございます。もうちょっと額が大きくてもいいのですけど。いまどき五十七円じゃあ、ガリゴリ君アイスも買えませんよ。円安ですし。
ハイハイ。
いまですねえ、よし子ちゃんが不良の男子高校、DKからケンカを売られてますよ。な、なんでしょうね。暗くてよくわからないですけど、けっこうイケメンですから、ちょっと悲しい出来事です。
横で煽っているドブスJKの前だから、いい恰好をしようと言うのでしょうか。
(だから、おめえがよっぽどブス)
アゲアゲキムチさんを出禁にしました。五十七円は返しませんよ。
よーし。
売られたケンカは買わなきゃいけません。イケメンDKなので、手加減してあげます。まずは、よし子ちゃんの顔に貼り付いている臭いタヌキさんをおもいっきり投げつけてあげたいと思います。
それっ。
な、なんか知らんけど、ケモノのゾンビに臭い毛皮を投げつけられたんだ。
って、思ったら、これ動物じゃん。うわ、タヌキだ。
「津吉、それってパンダ?」
「いや、どう見てもタヌキだろう。アライグマと間違えるのだったらわけるけど、なんでパンダなんだよ。お子ちゃまかよ」
「うるさい。タヌキもパンダも同じ哺乳類でしょ。遺伝子的には同じなんだから」
「それをいうなら人間だって哺乳類じゃんか」
「っもう、だまれ。津吉禁止、アンポンタン禁止」
アンポンタン禁止はありがたいと思う。
「イケメーン、ゲット~」
「うっわ、ゾンビが抱き着いてキター」
ゾンビが俺にしがみついてきやがった。懐中電灯を当ててよく見ると、すごいブサなおばさんだ。
「ちょっとー、おばさんのぶんざいで津吉にくっ付くな」
「このおばさん、めっちゃケモノ臭いぞ。くさい、くちゃい」
「ハウス、ハウス。おばさん退散」
俺に抱き着いているおばさんの頭を、文園がペシペシ叩いている。たぶん、めっちゃブサなおばさんだったけれど、どういうわけかゾンビになってしまったのだろう。墓場ではよくあることなんだ、ナマンダブツ。
「やっと離れた」
「フフフフ」
おばさんが俺から離れたんだけど、不敵な笑みを浮かべているぞ。ゾンビなのに、なにかいいことあったのかな。こいつを懐中電灯で照らすのは、なんか光の無駄づかいのような気がする。
「そこのイケメン君、よし子ちゃんがゲットしちゃいますよ。おとなしくお姉さまの乳首に悶えるがいい」
「うっわ、ゾンビがしゃべった。てか、ぜったいヤダ」
「ババアがキモすぎる。こうしてあげるわ」
文園、墓石にあったお供え物をゾンビババアに投げつけている。ぼた餅やらヨーグルトやら焼きそばやら、ゾンビババアが食い物まみれだ。まるでゲボまみれみたいになっているぞ。これはキツイ。
「あ、こらっ、やめなさい。よし子ちゃんに食べ物をなげるんじゃないの、ブス」
「わたしはブスじゃない。たまにおもらしするけど、けっこう美人女子高生」
「綾香、それを自分で言っちゃいますか」
「なによ。津吉だってそう思ってるくせに」
「ま、まあ」
自画自賛している文園も存外に可愛いのだけど、おもらしのことは余計な自虐だと思う。
「津吉、なんかきてるのだけれど」
ゲロまみれのゾンビババアの後ろが騒がしい。あらたなバケモノの登場か。
「両玖君―」
「せ、せんぱーい」
おほ。
やって来たのは金城部長と、ほか一名だ。
「僕にもちゃんと名前があります」
もとい、金城部長と奥屋敷だった。
「優奈、そこのゲボゾンビに気をつけて」
文園の指摘に、部長の懐中電灯がすかさず反応した。
「うっわー、ホントにゾンビがいるう。しかも、ゲボまみれ」
ぽちゃ女子がドン引きだ。
「わたしたち、ちょうどババアのゾンビに襲われているところなの」
「そうそう。俺は捕まったら乳首でなにかされるみたいなんだ」
「ち、ちくび?」
説明を端折り過ぎたか。金城部長が怪訝な顔で俺を見ている。
「そのビーチク、綾香先輩のですか。ぐわっ」
ヘンなことを口走ってしまった奥屋敷の顔に、余ったぼた餅がぶつけられた。
「ヘンタイ禁止」
ヘンタイ的な言動は禁止された。腕を組んだ文園が不機嫌そうに睨んでいる。
「とにかく、俺たちはタイヘンなんだ」
「タイヘンなことより、ヘンタイなんだから」
「綾香ちゃん、ヘンタイから離れて」
「だって、ヘンタイはむこうからやってくるじゃないの」
「だから、お墓を前にヘンタイはダメでしょう」
「津吉がおもらし好きのヘンタイだから、しかたないの」
「いやいや」
勝手にもらしのはおまえだ、文園綾香。
「両玖君って、やっぱりヘンタイだったんだ」
「いや、俺は関係ないから」
「僕は両玖先輩が怪しいと思っていたんですよ」
「おまえは黙ってろよ、一年」
なんか、話がヘンな方向に走っているのだが。ゲボゾンビのおばさん、俺たちの会話についていけなくてキョトンとしているよ。誰か、かまってあげて。
「金城さん、一大事ってまさか幽霊が出たとか」
「幽霊のほうがまだマシ。そこのゲボゾンビのほうがマシ。とにかく、やヴぁいのが、たくさんくるー」
ビシーーーーッ、と指さす先は墓場の向こうの暗闇なんだ。真っ暗なだけで、とくに危険はなさそうだけど。
「なんにもないけど」
「両玖先輩の目はフシアナですか。よく見ろよ」
「おまえが俺に命令するなよ。一年のくせに」
ったく、奥屋敷のやつ、上級生に対する態度が偉そうすぎるな。一度ヤキを入れてやるか。
「なんか、光ってない?」
「あ、ホントだ」
闇の中に光る点があった。初めは一つだったが、見る間に二つ三つと増えている。金城部長と奥屋敷が、じりじりと後退しているのは気のせいか。
「津吉、どんどん近づいてくるよ。しかも、たくさん」
「あ、ああ。なんだろうな」
光の粒が数十となった。それらがこっちへ寄ってくるんだ。
「なんか臭くない?」
「そこのゲボゾンビだろう」
ゲボゾンビだけど、なぜか俺の後ろに来やがった。文園も下がって俺の背中に隠れている。
「綾香さんはいいけど、ゲロゾンビ、おまえはどっか行けよ」
「よし子ちゃんはゾンビではない。さすらいのアラサー美女」って、ゾンビが言ってんだけど。ツーンとケモノ臭いのが腹立つなあ。
「美女ではない」即座に文園が否定したのは、その通りだ。
「くるよ、くるよ」
「ぜったいにヤバいですから」
もうちょっと後ろで、金城部長と騒いでるんだけど、いったいなにが来るんだよ。
「ほらほら、アソコ」
俺たちの懐中電灯が闇を照らしたんだ。そいつらは。
「サルーーッ」って文園が叫んだんだ。
「さ、猿だ」
なんと、光るたくさんの目は猿の群れだった。
ここの墓地って、けっこう山の中だから野生の猿が出没するんだよ。お供え物にフルーツとかあるから、きっとエサ場になっているんだろうな。そいつらが、なぜかこっちに集団でくるんだ。
「あ、こらっ、そのリンゴ、よし子ちゃんのなんだから」
無謀にも、ゲボゾンビなオバサンが猿の軍団に向かって行った。リンゴだかバナナだとかを返せと、やや怒り気味に言っている。いや、フルーツはそもそもお供え物であって、猿のものでもゲボゾンビのものでもないんだけど。
「おんどりゃあ、エテコーどもがーーーっ」
オバサンと猿たちが格闘しているぞ。リンゴの取り合いにゲボゾンビと野生の猿が必死だ。ぎゃあぎゃあ、キーキーとやたらうるさい。
「両玖君、なにのん気にしてるのよ」
「え」
「ほうら、キター」
猿の軍団が俺たちに向かってきたんだ。しかも、めちゃめちゃキーキー喚いているので、激情していること間違いなしだ。金城部長と奥屋敷は、こいつらから逃げてきたんだな。
「逃げろー」
とりあえず、俺たちは遁走したんだ。文園の手を握って走りながら、どうしてこうなったのか理由が知りたかった。
「なんかしたのかよ」
「奥屋敷君がね、お猿さんたちの愛の営みを邪魔したのよ」
「ええーっと、どういうことだ」
「僕はなにもしてないですよ。ただ、墓石の上でサルが交尾してたから水をかけただけです」
「そりゃあ、野生動物といえども激怒するだろうよ」
ムフフな行為を妨害されたら頭にくるだろう。猿ならなおさらだ。知らんけど。
「津吉、津吉」
「なんだ、綾香さん。俺にしっかりついて来いよ」
手をガッチリ握っているから大丈夫だろう。
「その手、わたしじゃないから」
「え」
走りながら後ろを見る。懐中電灯に照らし出されたのは文園ではなくて、なぜか禿げたオッサンだった。
「オサーンッ」
な、なんでか知らないが、俺はオッサンの手を握って突っ走っている。しかも小太りで、しかもブリーフ一枚しか身に着けていないぞ。
「うわあわあ」
すぐに手を離した。オッサン、墓石のカドに足をぶつけて転んでしまった。そこへ猿の軍団がやってきて、あっという間に埋もれてしまう。ゾンビ映画でよくある光景だな。
「津吉、あの人だれ? ひょっとして付き合っているの」
「そんなことあるかっ」
相変わらず俺たちは走っている。追いかけてくる猿の気配が圧倒的に多い。今度こそ文園の手を握ってやるんだ。
「両玖君、両玖君、私たちって、そういう関係じゃないよね」
「え」
なぜか、金城部長と手をつないでいた。あれえ、たしか奥屋敷と一緒に前を走っていたよな。
「きゃふんっ」って可愛く呻いて、金城部長のぽちゃボデーが跳び上がった。お尻を押さえながら猛然と俺を追い越してゆく。
「浮気禁止」
文園が怒っている。ということは、安全ではない安全ピン攻撃をしたみたいだ。部長になんてことするんだ。
「てか、俺は誰と付き合っていることになっているんだよ」
「うるさい。黙れ、アンポンタン」
これは安全ピンが突き刺さる予感がする。なので尻を守りながらとっとと走ろう。
「待ってよー」
イカン、先に行ってしまうと文園を置いていくことになる。なんとも尖ったおもらし女子だが、猿たちのエジキにはさせない。
「綾香さん、急げ、急げ」
「ああ、っもう、お尻触るな、津吉の痴漢、アンポンタン」
「俺は触ってねえよ。つか、前を走っているのにそれはムリゲーだ」
「じゃあ、誰が触ってんのよ」
文園の後ろに誰かいるぞ。走るスピードを落として、そいつと並んでみた。懐中電灯を向けて、じっくりと観察する。
うっわ。
「オサーーーーーン」ではないか。
さっきのパンツ一枚小太りハゲオッサンだよ。猿の軍団に引っかかれたのか、顔中が傷だらけだが、なぜか必死の形相で文園のお尻をナデナデしているんだ。気持ちはなんとなくわかるが、夜の墓場で女子高生に痴漢をするヘンタイオヤジの執念がメタクソ怖いぞ。ていうか、こいつどっから湧いて出てきたんだよ。そもそも人間なのか。
「成仏しろっ」
とりあえずオッサンを蹴り飛ばして、文園の憂いを排除した。後ろでキーキーとうるさいので、たぶん猿の軍団に絡まれているのだろう。当然、放置だ。
「綾香さん、まだ走れるか」と、いちおう気をつかってみる。
「もちろんよ」と、元気のいい返事がきた。
「よし」俺の気持ちも最高潮だ。
「それと緊急事態で、ほかに誰もいない時には、さん付けしなくてもやぶさかではにゃい」
言葉の最後がニャンコになっているのは、どういう感情のブレがあるのだろうか。
あらためて手を握った。少し湿っているが、俺のリンパがこそばゆくなるほど柔らかい。これはもう至宝だろう。女の子の手を一生握っていたいと思った。
「両玖君、綾香ちゃん、こっちよ、こっち」
金城部長の声がする。揺れ動く懐中電灯の光が、こっちに来いと誘っているので行ってみた。
「先輩たち、急いで入ってください」
「なんだ、ここはトイレか」
公衆トイレっていうか、物置小屋みたいのがあって、ドアが開いている。その前で金城部長と奥屋敷が立っていたんだ。
「ここでやり過ごしましょう」
「狭そうだけど、四人が入って大丈夫なの」
「中はけっこう広いよ。扉をキッチリ閉めればサルたちも入ってこないと思う」
「おトイレはいやだなあ」
「とりあえず、臭くはないよ」
金城部長と文園の会話だ。
「先輩、ぐずぐずしてたら襲われちゃいますよ」
奥屋敷は泣きそうだ。早く入れと、うるさい。
「よし子ちゃんも入れて、お願いだから入れて。サルたちがやヴぁいのよ」
「うっわ、ビックリした―」
突然、ゲボゾンビが抱き着いてきたんだ。顔中ひっかき傷だらけで、おまけにすんごくサル臭い。
「なんだったら、よし子ちゃんに入れたっていいのよ。イケメン君はタダにしておくから。よし子ちゃん、ムダに体力あるから一晩中でも大丈夫。なんだったら3PでもOKよ」
「どこから出てきたんだよ。しがみつくなよ、抱きつくな、離れるよ、ヘンタイババア」
「アラサー女はヘンタイになってナンボなのよ。すごいと思ったらお小遣いちょうだい。あ、それと動画で生配信するから」
「いいから、どっか行け」
とりあえず、ゲボゾンビの背中を蹴とばしてから小屋の中へ入った。金城部長がドアを閉めて施錠する。照明でもあるのか、ほのかに明るい。
「じゃあ、行きましょう」
「行くって、どこへ」
「下よ。ここにいてもサルたちが入ってくるかもしれないでしょう」
しっかりと錠をかけたのだから大丈夫だと思うが、金城部長は下へ行くと言い、すでに階段を降り始めていた。奥屋敷も後に続く。
「津吉、わたし怖い」
階段の底が暗くて見えない。しかも、けっこう急勾配なうえに幅が狭いんだ。二人並んでは無理な状況だ。
「俺が先に行くから、綾香さんは離れずについて来て」
「ぜったいに置いて行かないでね」
「まかせろ。さあ」
俺たちは、どこまでも続く階段を下へ下へと降りて行った。上から落ちていたわずかな灯りもほとんど感じられなくなった。先導している金城部長と奥屋敷の気配が感じられない。もうずいぶんと時が経っているが、いっこうに着地しないのはどういうわけだ。懐中電灯が消えそうだ。視界が暗闇の中へ吸収されている。
「津吉、津吉」
文園が俺の名を俺の背中にぶつけるほどに不安になった。これ以上、暗闇の奥へ行ってはいけないと思った。
だけど下る速度が落ちてくれない。自分の意思とは関係なく足が動く。
「津吉、わたしはここにいる、ここにいるから」
文園の居場所がわからなくなった。後ろを向きたいが、そうすると足元がおぼつかなくなって危険だ。階段で足を踏み外したくはない。
「津吉、どこにいるの。ここはすごく暗い。お願いだから、わたしを一人にしないで。一人はイヤだ・・・」
最後のほうが聞こえなかった。文園の手を握らなければと決心したとき、フッと階段がなくなった。
「落ちたらダメ――――ッ」
綾香の絶叫だった。
「な、な、なにっ」
竹内真由美教諭がとび起きた。酔っぱらって熟睡していたので、突然の大音響に状況判断ができず、あっちこっちを見てオタオタしている。
「まだ六時だよう。もうちょっと寝かせて~」
金城優奈はアンニュイとした朝をまだまだむさぼりたいようで、モゾモゾと寝返りを打って枕に顔を押しつけている。「なんか、この枕くさ~」
布団の上で上体を起こした綾香は、胸に手を当てて鼓動が本物であるのか確認していた。
「なんだ、どうしたっ、綾香さん」
津吉が血相を変えて、ふすまを開けた。彼と奥屋敷は隣の和室で寝ていたが、絶叫が聞こえたので、なにごとが起こったのかと焦っていた。
「津吉、落ちてなかったの」
「え、なにが」
「だって、優奈に連れられて階段を下りて行ったじゃないの。そして踏み外して落ちてしまって」
「私は寝てたよ~、ふああ~ねみゅい」
金城優奈は大きなあくびをしてから、また枕に顔を押しつけた「やっぱり、この枕がくさい~」
「ふう、文園さんはまだ寝ぼけているようだな。さてと、ちょいと早いが起きることにするか。おまえらも支度をしろよ」
顧問の教師が目覚めを宣言した。
「住職が朝食を用意してくれるって言っていたからな。ああ、でも精進料理だともの足りないかな。こっちは高校生だし」
彼女が一番食欲旺盛なのだが、生徒たちにかこつけるのは常套手段だ。
「ねえ、津吉」
綾香がやんわりと問いかけた。
「ええーっと、なんだよ」
「サル」
「え」
「サルよ」
「去るよ、って、まだ出発の時間じゃないよ。メシも食べてないし。真由美先生は食い意地が張っているからさあ」
「その去る、ではなくて、サルよ、猿。エイプ的な動物」
「エイプ的なって、まあ、猿のことか」
「どうしたの?」
「俺にどうしたのって訊かれても意味不明なんだけど。ああ、まあ、猿ならほら、あそこにいるだろう」
「あれは奥屋敷君でしょう」
「猿の一種だよ。ちょっと原始的なやつ」
「僕はちっとも原始的じゃありませんよ。先輩こそ昭和の佇まいがあります。なんなら江戸の農民的ですよ。一揆起こしてましたよね」
「してねえよ」
「ちょっと一年生、うるさい。津吉もマジメに答えてよ」
「すみません」
「だから、猿ってなんのことだよ」
「だって、猿に追われてじゃないの、わたしたち。あとゲボゾンビの動画配信者のオバサンがいて、ほぼ裸のハゲたおじさんも」
「あのなあ、たぶん、夢を見ていたんだよ。俺たち、墓場で夜通し幽霊探してたからな」
「結局なんにもなくて、僕はめっちゃ疲れましたよ。退屈でしたし」
「奥屋敷君はビビりまくりで トイレにも一人で行けないって、私、ドアの外で待たされてたんだから」
「部長う、そういうことはナイショでお願いします」
「まあ、なんにもなかったけれど、スーパーナチュラル部としての初活動だったから、記念すべき一夜だったな」
生徒たちの冗長な会話を、竹内真由美教諭が締めた。
「わたし、夢を見ていたの?」
「墓場で一泊したから、ちょっとおかしな夢だったんだよ」
「さすがは綾香先輩。ダイナミックでエキセントリックな夢を見ますよね」
「ダイナミックではないけど、そういえば昨日は疲れてすぐに寝ちゃったんだ」
男子二人にそう言われて、綾香はなんとなく納得した。記憶を覆っていた夢の残滓が時間とともに消えていた。昨夜のリアルが思い出されてゆく。
「ねえねえ、みんな。ここってこんな感じだったっけ」
綾香の夢の件が落ち着いたところで、金城優奈が皆に問いかけた。
「そういえば、なんか荒れてるよな、ここ」
「僕たちは夜に来ましたし、すぐに墓場で幽霊探ししていたので、たんに覚えていないだけですよ」
「帰ってきて、すぐに寝たしね」
部屋の中が雑然としている。和室なのだが、ふすまは破れて紙が黄色く煤けていた。砂壁も相当に傷んでおり、天井の板が何か所か落ちている。ボロボロの畳の上には、少年マンガや雑誌、単行本が散らばっていた。生活感の残滓はあるが、どことなく生命の匂いが遠い。
「先生、ここは住職さんの家ですよね」
「ああ。空いている部屋があるから使えって言ってくれたけどさあ、なんかヘンだよなあ」
「息子の部屋なんじゃないか」
「先輩、このエロ本を見てください」
奥屋敷飛翔が押し入れの前にあった雑誌を持ってきて、津吉へ差し出した
「俺にそんなもの見せるなよ」
「興味ないんですか」
「ねえよ」津吉の否定は本気ではない。
「それはウソ」綾香の否定は疑心だ。
「両玖君、大丈夫よ。あとでコッソリ見ても、私は知らないフリするから」金城優奈はやさしかった。
「ネットよりも、こういうレトロ感があるほうが興奮しますよね」奥屋敷飛翔は正直者だった。
「ちょっとこのエロ本さあ、なつかしい感じがするんだけど。てか、おまえらは見るな。未成年者なんだから」
「先生、昭和六十二年発行ってありますけど」
「だから見るなって言うの」
竹内真由美教諭が一年生男子からエロ本をとりあげた。金城優奈と綾香がいったん部屋を出て、一分ほどしてから戻ってきた。
「ねえねえ、やっぱりこの家ヘンだよ。すごく散らかっているし、ガラスなんかも割れていたんだよ」
「うん、人の気配も全然しない」
スーパーナチュラル部の部員が寝ていたのは二階である。階下に降りた二人は、居間やキッチン、トイレ、風呂場などを見て回ったが誰もいないとのこと。
「そんなわけないだろう。だったら朝飯は誰が作ってるんだよ」
「真由美先生、心配するのがそこですか」
「とりあえず、いったん外に出てみませんか」
奥屋敷飛翔の提案で全員が家の外に出た。玄関から少し離れたところで、家と周囲の景色を眺めてみる。
「これって、どう見ても廃屋ですよね」
「ツタが絡んでひどいし、庭も雑草だらけ。ゴミもたくさんあるし、昨日は暗かったから気づかなかったのかなあ」
一年生男子は珍しいモノを見るように言うが、部長の理解は追いついていない。
「おかしいな。ちゃんとした家だったはずだ。住職がうちを使ってくれって言ってくれたんだよ。まあ、酔っぱらってたけどな」
「真由美先生、昨日の住職さんって知合いですよね」
「そうだよ」
「親戚とかですか」
「そう・・・、だったっけ?」
顧問の頭上に?が表示された。記憶の海をまさぐって、やや右上を見ている。
「誰かきたよ」
白い軽トラックが来た。スーパーナチュラル部が泊まっていた家に続く道は、舗装ではなくて雑草が生えた砂利敷きだった。人や車の往来がほとんどないのか、かろうじて轍が付いている程度である。ゆっくりと走行して 五人の前に停まった。
「おたくら、ここでなにしてんの。廃墟マニアか」
運転席から降りてきたのは五十くらいの男で、ねずみ色の作業服を着ていた。荷台に刈り払い機が置いてあるので、近所の農家のようだ。
「なにって、お寺の住職の家に泊ってたのよ。てか、おじさんはだれ?」
「お寺ってなんだ。この辺には浄徳寺っていうのがあったけど、俺が中学の時に住職が死んじまったよ。いまは廃寺だ。ちなみに俺は近くで農家やってんだ」
「え」
竹内真由美教諭の目が点になる。
「先生、僕らが頼まれたのって浄徳寺の住職でしたっけ」
「そうだよ。昨日、けっこう話したぞ。死んでるわけない」
顧問の頭の中がモヤッている。綾香が振り返って後ろを見ていた。しばし眺めてから津吉の袖を引っぱって、後ろに注目するよう促した。
「ねえ、ここって墓地だよね」
「そうなんだけど荒れてるなあ」
「墓石とかはあるけど」
墓地にしては手入れがまったくされていなく、雑草や木々が蔓延っていた。
「だからよう、住職が死んじまってから墓地も移転したぞ。ここには人がいねえ。おめえたち、いったい誰と話してたんだ」
農家の男にそう言われて、教師と高校生たちは気づいてしまう。彼は空き家に無断で立ち入るなと注意をしてから帰った。
「ひょっとして僕たちって、最初っから遭遇していたんじゃないでしょうか」
「あの住職さん、すでにスーパーナチュラルな存在だったのね」
金城優奈が結論付けたところで、いったん会話が止まった。綾香の体が徐々に津吉へ密着していた。さらに、部長と一年生男子も近寄ってきて生徒たちが一塊になった。この機に乗じて、津吉が同級生の手を握る。
「ここは・・・」
竹内真由美教諭が、キッとした目で生徒たちを見た。
「やヴぁいぞ」
言い放つと蹴飛ばされたように走り出した。いや、逃げ出した。高校生たち突っ走る。五人が軽自動車に乗り込むと同時に、土埃をまき散らしながら急発進した。
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