第11話

 一時間目が終わっての休み時間。

 オシッコがしたくなったので、男子トイレにきたんだ。小便器の前に立ちチャックをおろして放出の支度をする。緊張を解いて、最初の十ccほどが出た時だった。

「ねえねえ津吉」

「わっ」

 いきなり背後から声をかけられてパニくってしまった。

「だ、だれ。てか、綾香さん」

 文園であった。

「い、いま、最中で止まらないんだ。すまん」

 俺が悪いとは思わなかったが、とりあえず謝るしかないだろう、こういう場合。

「いいよ、わたしを気にしないで全部出しちゃって。スッキリしてもいいんだから」

「いや、気になるよ。全然スッキリしそうもないけど、我慢していたから止まんないんだ」

 早いとこ全部出してしまいたいのだけど、緊張しているためか放水量が絞られていてチョロチョロしているんだ。もう、なんだよ、これは。シッコぐらい自由にさせてくれ。

「今朝、早起きしちゃってヒマだから、津吉にサンドイッチ作ってきてあげたんだよ。それなのに女の子の前で小便小僧しているって、どういう神経してんのよ」

「いやいや、ここは男子トイレだぞ」

「そうよ。後ろの個室にいたの。待ちくたびれちゃった」

「だから、男子トイレに入ってくるなよ。てか五分もいないだろう」

「綾香特製手作りサンドイッチを手渡しに来たの。わたしに感謝するのがスジでしょう。なに言ってんのよ」

「たいへんありがたいんだけど、くれるのは教室でもいいだろうよ」

「みんなが見ている前で、ヘンタイ男子として忌み嫌われている両玖津吉に手渡しできるわけないじゃないの。わたしの名誉の問題なんだから」

「ああ、ちょっと待ってくれ。いま終わるから」

 なんとか出しきってからブルッと震えたのは、男子の哀しい習性なんだ。

 クスクスと後ろで笑う女子がいる。

「笑うなよ」

「だって、まるで駄犬みたいだから」

「悪かったな。駄犬で」

 よりによって駄犬って、ふつうの犬じゃダメなのかよ。

 急いでチャックを閉じて洗面台にいって手を洗った。ハンカチで水気を拭いて、振り向いたら唐突だった。

「はい、これ」と言って、手作りサンドイッチが入ったランチボックスを手渡された。

「いつもの、文園家伝統の薄いジャムのやつ?」

「今日はいつもより多めに塗っておきましたよ。ピーナッツバターのもあるんだから。それとビスケットも」

「へえ、それはありがたい。サンキューな」

「どういたしまして」

 というやり取りをして教室に戻った。

 午前中の授業をなんとなくやり過ごしてお昼になった。いちおうパンを持ってきていたが、今日のランチは文園特製の手作りサンドイッチにする。ほんとうは一緒に食べたいところだけど、この教室でそれはムリな相談だ。まあ、俺はいつもボッチ飯なので気にしないが。

 それではピーナッツバターのやつから頂こうかな。けっこう好物だったりするんだよ。いただきマンモス~。

「へえ、ヘンタイ水かけ男が生意気にもサンドイッチを持ってきたのね。ねえ、それってどこで盗んできたのかしら」

 誰か来たなと思えば、井沢茜じゃないかよ。偉そうに腕を組んで、さも蔑む目で見下げるのは文園と似ている。ただし、愛がないな~、愛が。

「うるせえよ。あっち行けよ」

「あらあ、よく見るとずいぶんと貧相なサンドイッチなのね。ジャムとバターだけじゃん。ねえ、あんたってビンボーなの」

 これ見よがしに大声だして、ギャハハ、って笑ってやがるよ。まんま、イジワルお嬢様だな。まわりの空気がピンと張っている。みんな無言でこっちを見ているんだ。

「しかもさあ、その固そうなのなによ。土の塊?」

「ビスケットだ」と文園が言っていたやつだ。たしかに土の塊にも見える。

「それって乾パンじゃん。ミソ味の乾パン。キャハハ」

 とりまきの女子がやってきて、俺のランチボックスを指さしながら笑いだすんだ。

 え、これ乾パンかよ。ビスケットじゃないのか。いや、まあ、ビスケットといえばビスケットっぽいかんじだけども。

「いたっ」

 井沢茜の後頭部になにかが当たった。上に跳ねたそれは、髪の毛を十数本弾いてから俺の机に落ちた。 

 輪ゴムだ。しかも太いやつ。

「誰よっ」

 怒った井沢茜が振り返る一瞬前、前の席で後ろ向いていた文園がサッと前を向いた。タカの眼が犯人を捜しているが、あいつは知らんフリして金城部長とメシを食っている。そして俺は、ピーナッツバターサンドに齧りつくんだ。

「やべえ、めっちゃ美味え」

 もう片方の手でイチゴジャムサンドを持って、ムシャムシャ食う。バクバク食う。

「今日はたっぷりジャムだ。イチゴの甘さが目に沁みるぜ」

 さらにビスケット的な乾パンを食らってフィニッシュだ。

「石のように硬えけど、ミソの味が香ばしくて最高」

 ほんとうに美味かったんだ。口の中の水分がぜんぶもっていかれるのだけどもな。

「なにさ、貧相なもの食べて喜んでるってバカじゃないの。貧乏人、死ね」

 さも憎々しげに言い放って、井沢茜が行ってしまった。途中、不注意にも文園のそばを通ってしまってとび上がった。

「きゃあーー」

 尻を押さえて驚きの顔だ。なにが起こったのか、わからなくてパニくっている。

「ハチよ、ハチ」と文園が言った。

「えっ、は、ハチ」

「そうよ。茜のお尻にハチべえがいるーー」

「キャー、とってとって」

 井沢茜が自分の尻をみんなに見せつけてジタバタしている。てか、ハチべえ、は違うだろう。ウッカリはしてないと思うぞ。

「まかせて、井沢さん」

 我がぽっちゃり部長が立ち上がって、キリリとした顔だ。手のひらにハアーと熱い息を吹きかけてから、井沢茜の尻をぶっ叩いた。

 キャヒン、キャヒンと悲鳴が上がる。まるで悪いことした子供にお尻ぺんぺんのお仕置きだな。俺も加わりたい心境がある。

「もう少しよ、茜。優奈が頑張っているから」

「早くたすけてよ~」

 もちろん、はなっからハチなんていないんだよ。文園による、安全ではない安全ピン攻撃だったんだ。お手製サンドイッチをさんざん貶されたからな。おもらし女の復讐は怖いということだ。

「もう大丈夫。小さなハチだから見えなかったんだね。ちゃんと撃退したから」

 お尻をさんざんぶっ叩かれてから、井沢茜は解放された。金城部長が文園にウインクしたのは見逃せない。

 騒動がおさまって俺の心もスッキリしたので、文園の手作り弁当を食べ尽くすことにする。それにしても硬えなあ、この乾パン。スープでもあれば浸して柔らかくするのに。



 静けさが過ぎ去って、いつも通りのざわつきに戻り始めた時、一人の女子生徒が二年三組の教室へ来た。中には入らずに、前の入り口付近でウロウロしている。

「ねえ優奈、誰か来てるんだけど」

「一年生ね」

 制服のリボンタイの色で一年生であることがわかる。

「あの様子は、誰かにラブレターを渡しにきた的な匂いがするよ。学園アニメみたいに」

 一緒に昼食をとっていた九条陽菜が言った。

「まあ、ふつうの共学だったらそういうのもあるけど、うちの高校ってほぼ女子高だから」

「女子高でも、そういうのってあるんじゃないの」

 否定的な綾香に対し、金城優奈は可能性を肯定する。 

「ねえ、ひょっとしたら綾香ちゃん目当てじゃないの」

「よしてよ。わたしはそういう感じではないから」

「綾香ちゃん、ソッチ系でもいいんだからね」

 金城優奈が好色そうな目でウインクした。やや呆れながら綾香が言い返す。

「優奈だったら、どうするのよ」

「私は、来るもの拒まずよ。イケメンでも可愛い女子でも、ドンとこいだー」

 そう言って胸を張り、豊満ボデーをプルンとさせた。同席の女子たちは苦笑いだ。

「あ、こっちきた」

 小さく「よし」とつぶやいた後、一年生女子が意を決して入ってきた。綾香たちのほうへ向かっている。三人の先輩女子は、なぜか背筋を伸ばしてすまし顔だ。

 だがしかし、一年生女子はそこを通り過ぎて、教室の窓側後方へと歩いてゆく。

「ねえねえ、あっちって、もしかしたら」九条陽菜が注目する。

「うん、両玖君だよね」と金城優奈が答えた。

 綾香の目線が獲物をポイントする狩猟犬みたいに鋭くなっていた。狙いを外すことなく追跡を続ける。ほかの生徒たちも、何ごとかと注目していた。

 その唐突の訪問者は津吉の机の前で止まった。

「ん?」

 硬すぎるみそ乾パンを、ガリボリと節操のない音を出して食べている男子が顔を上げた。

「あの、あの、私、一年一組の沢田恵美です。これを受け取ってください、先輩」

 花柄の可愛げな封筒を差し出された。その一年生女子は、精いっぱいのお辞儀で受け取ってもらおうとしている。

「お、おう」

 口の中に残っているみそ乾パンを急いでごっくんしてから、腫れ物に触るよう慎重に受け取った。

「あとで、いろいろと交換しましょう。約束ですから」

 ケイタイを見せてそう言われたので、津吉も急いで取り出したが彼女は行ってしまった。

「ちょっとう、ヘンタイが一年生に手を出すってどういうこと。通報するからね」

「人聞きの悪いこと言うな。初めて会った一年生だ」

 さっそく井沢茜が来て、津吉に文句を言った。腕を組んで、さも軽蔑した目で見下げている。

 どうしてここの女子はこうもこういう態度が好きなんだと、綾香のそれと重ね合わせて津吉は辟易していた。



 お昼休みの時間が、もうすぐ尽きようとしている。次の授業に備えての小用のために、津吉は男子トイレにいた。小便器の前に立ってチャックを降ろそうとした時だった。

「ちょっとー、さっきの女はなによ」

「うわあ、ビックリしたー」

 男にとっては極めて無防備な瞬間なのに、いきなり後ろから声をぶつけられた津吉は驚いてしまう。あわててチャックを引き上げるが、トランクスの生地が絡まってしまい途中で止まってしまった。それ以上のアップが困難であったが、勘違いされそうな怪しい手つきをしながら、なんとか閉じることができた。

「綾香さん、また個室にいたのか」

 綾香であった。れいのごとく、後ろの個室に潜んでいたようである。

「なんで何度も男子トイレに入ってくるんだよ。おっかしいだろう」

「うるさい。津吉が一年生の女の子にカスハラしているからじゃないのさ」

「それを言うなら、カスハラじゃなくてセクハラだろう。俺がお客さんにブチ切れられたわけでもあるまいし」

「どっちでもいい。とにかく証拠を見せないさいよ」

「なんのことだよ」

「なんか手渡されたでしょう」

 それは後で、たった一人で吟味してみようと津吉は企んでいた。

「いや、それは」

「両玖君、ゲロッちゃいなよ」

「うわっ、今度は金城さん。どっからでてきた」

 金城優奈が現れた。綾香が潜んでいた個室の隣の個室に潜んでいたのだ。

「もう逃げられないんだから」

「覚悟を決めなさい、両玖君」

 女子二人に詰められて、手渡された封筒をしぶしぶとポケットから取り出した。

「これってプライバシーの侵害じゃないのかよ。見せないからな」

「個人のプライバシーより、公序良俗優先!」

「だからって、俺宛ての封筒を見る権限はないだろう。てか公序良俗ってなんだ」

「綾香ちゃんに権限はありません」

 金城優奈が宣言すると、津吉は、それ見たことかと得意げだ。

「でも、スーパーナチュラル部部長の私にはあります」と言って、津吉の手から封筒をもぎ取った。

「あ、ちょっと」

「もちろん、検閲です」

 部長権限でプライバシーを侵害する金城優奈に淀みはなかった。サッと中身の便せんを取り出すと、素早く読んだ。ふんふんと、頷きながら吟味している。

「まあ、なんだ。俺もそこそこモテるってことだろうな、まあ、うう」

 もちろん、ラブレターであると津吉は思い込んでいた。綾香の視線が鋭すぎて、ややあっちの方を向いての自慢だった。

「おめでとう、両玖君。いや、よくやったと褒めてあげる」

「べつに、それほどでも」

「これでスーパーナチュラル部の部員が五人になったよ。正式な部活動として認められるから、予算もゲットできる」

 拳を見せて、金城優奈がウンウンと頷いた。ガッツポーズとまではいかないが、なにがしかの利得があったようである。その理由を、もったいぶらずすぐに開示した。

「これ、入部届だから」

「へ?」

「スーパーナチュラル部に新たな部員が入部するってことよ。ほら」

 封筒に入っていた用紙を見せた。ラブレターとかではなく、入部届であった。

「あ、ホントだ。これ、入部届だよ。ラブレターじゃないよ。ぜんぜんモテてないよ、津吉」

「ちょっと見せてくれ」

 用紙をひったくって熟読している津吉を、女子二人が生温かい目で見ていると、ドアが開いて男子生徒が入ってきた

「うわわ、な、なにやってんですか、先輩たち」奥屋敷飛翔だった。

「男子トイレで美人女子二人とアホ一人がイヤらしいことしているって、うらやましすぎるでしょう。僕も交ぜてください」

「ちょっと待て。俺たちは不純なことなんかしていないし、だからヘンなこと期待するなということと、おまえ、いまアホ一人とか言ってなかったか」

「そんなことより、沢田恵美がきませんでしたか」

「無視かよ」

「来たよ。入部届を提出してくれたんだ」

「彼女って、ひょっとして奥屋敷君が勧誘してくれたの」

 金城優奈と綾香は、少し感心していた。

「そうです。この前の墓場での一件を話したら、ぜひ入部したいっていうんで。沢田さん、霊感があるみたいなんですよ」

「それは心強いわね」

 スーパーナチュラル部に新たな部員が加わった。彼女のお披露目は放課後となる。

 男子トイレでのミーティングが終わり、お昼休み終了のチャイムが鳴った。金城優奈と奥屋敷飛翔が慌てて出ていく。

「ラブレターじゃなくて残念でした~、ふふ」

 津吉の耳元でささやいてから、綾香も行ってしまった。一人トイレに残された津吉は、ふたたび放尿のスタンバイをすると、残っていた尿意を絞り出しながら大きく息を吐いた。

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